・源氏ははじめて、
女三の宮の物思わしげな風情、
沈んだお顔、
何もかもその理由がわかった。
何という情けない、
忌わしいことがおきたものだ。
これが人づてに聞いたのなら、
まさか、と信じられないが、
わが手で証拠をつかんでしまった。
しかも、
宮の場合は、
それならといって、
別れることも出来ない。
知らぬ顔を通して、
今まで通り妻として、
ねんごろに待遇しなければ、
いけないのだ。
形はそうだとしても、
もはや自分には、
隔てなく宮を、
いとしむことなど、
出来はしない。
宮は特別の方である。
ご身分も高く、
自分も大切にし、
気を遣ってきた。
そんな方を盗むとは、
また、大胆不敵な男である。
(私は柏木衛門督に、
見かえられたか。
この私が)
源氏は心外であり、
不快でもある。
だがそれを顔に出すことは出来ない。
おのずと暗く重い愁いの影が、
面をくまどっていく。
苦しみながら、
源氏はある夜、
愕然と悟ってはね起きた。
(故・父院の桐壺院は、
もしや、
今の自分の苦しみのように、
私と継母・藤壺の宮のことを、
ご存じでいて、
知らぬふりをなさって、
いられたのではないか)
と。
柏木を弾劾し、
責めるべき資格が、
自分にはあるのだろうか。
さらに、
すべて知りながら、
じっと耐えて、
終生、やさしく、
いたわってくださった故・父院の、
苦悩と煩悶を自分は何十年、
気付かなかった。
今、自分がその場に立たされて、
あからさまに難詰することが、
出来るかかどうか・・・
源氏は何気ない風でいるが、
日ごとに物思いの深くなる様子を、
紫の上は見て、
別の見方で解釈していた。
(やっと命をとりとめたわたくしを、
あわれんで二條院へ、
おいでになったのだけれど、
やはりあちらの宮さまが、
ご心配なのだ)
と思った。
「どうぞ、あちらへ、
いらして下さいまし」
紫の上は、
源氏にやさしくすすめる。
「わたくしはもう、
すっかり快くなりました。
六條院の宮さまこそ、
お具合が悪いと、
承っております」
源氏は、
「六條院へ帰るときは、
あなたと一緒に帰ろう。
そこでゆっくり養生すればいい」
というが、
紫の上は源氏の口調に隠された、
苦みには気がつかなかった。
「わたくしはも少しこちらで、
のんびりさせて下さいまし。
あなたはひと足先に、
お帰りになって、
宮さまのお気持ちを、
晴れさせてあげて下さいまし」
などといっているうちに、
日はまたたくうちに、
過ぎてゆく。
宮は、
源氏が来ない日が重なるのを、
以前なら源氏の薄情から、
とばかり考えていらしたが、
今は、
自分の過失のせいと、
お気付きになる。
(御父院、朱雀院の、
お耳に入ったら、
どうお思いになるかしら)
とお考えになると、
さすがに顔向けも、
ならぬように思われる。
柏木からは、
逢いたいという手紙が来るが、
小侍従はあれ以来、
それどころではなかった。
「お文が源氏の院のお手に、
入りましたのよ」
こうこうこういうわけで、
と柏木に知らせると、
彼もぎょっとした。
まして、
ああもはっきり、
人の名も紛れなく書いた、
手紙を源氏に見られたとは。
源氏に恥ずかしく、
きまり悪く、
申し訳なく、
朝夕、暑いころだというのに、
青年は鳥肌たつ思いであった。
(思えば、
院にはよく可愛がって頂いた、
身だった。
長い年月公私にわたって、
よく目をかけて下さり、
招かれて親しくまつわった。
心から敬愛していた。
こんな大それたことをして、
院に疎まれ、
憎まれては、
どうしてお顔を合わせられよう。
かといって、
ばったり六條院へ、
出入りしなくなってしまえば、
人目もあやしまれるだろうし、
院も、さてこそ、と、
合点なさるだろう・・・)
青年は進退に窮してしまい、
気分も悪くなって、
御所へも参内しない。
法的な制裁を受ける、
というのではないが、
自分の将来もこれで終わり、
と思われて情けなかった。
(次回へ)