「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

8、宿木 ③

2024年05月30日 08時27分15秒 | 「霧深き宇治の恋」   田辺聖子訳










・その日は晴れの披露宴である。

新婚三日目の夜は、
親族を招いて、
盛大な祝宴が張られる。

夕霧右大臣は、
薫中納言、
(表向きは源氏を父とする兄弟)を、
相伴の客として誘った。

薫は快くやってきて、
何くれと協力し世話する。

夕霧は一時は、
六の君の婿に薫をと、
考えたこともあったが、
薫にその気がなかった。

匂宮は宵を少し過ぎたころ、
来られて六の君の居間へ入られる。

その間に宴の用意はととのう。

寝殿の南の間、
東寄りに宮のお席が設けられる。

高坏が八つ、
その上に料理を盛った、
銀の皿が並べられる。

小さい台二つには、
花足のついた銀の皿、
これには三日夜の餅が飾られている。

夕霧も席につき、
宮のお出ましを、
女房をやっておすすめする。

夕霧の北の方、
雲井雁の兄弟などだけが、
席についていた。

宮がお出ましになって、
あるじ側の頭の中将が盃を捧げ、
お膳をお勧めする。

客たちも次々宮に盃をお勧めする。

ことに薫がしきりに酒を、
おつぎするのを、
宮は苦笑して受けられる。

薫は真面目に祝宴の接待につとめた。

下にも置かぬ婿君の、
もてなしの花やかさが、
薫の家来たちには、
うらやましく見えた。

宮家のお供にひきかえ、
ろくに振舞酒にもありつけなかった、
薫の前駆の一人が、
帰ってからぶつぶついっているのが、
薫に聞こえた。

「あ~あ、
どうしてうちの殿は、
大臣の婿君に納まって、
下さらなかったんだろう。
味気ない独身生活の、
どこが面白くて・・・
こちらまで廻り合わせが悪い」

薫はおかしかった。

それにしても気がかりは、
先ごろ帝が洩らされた、
内意のことだった。

(ほんとうに姫宮を、
ご降嫁させられる、
おつもりだろうか。
気のすすまぬ自分はどうすれば、
いいのだろう。
しかしその姫宮が亡き大君に、
似ていらっしゃるとしたら、
どんなに嬉しいだろう)

と思うと、
この縁談に全く気が動かないわけでも、
なかった。

匂宮は今は全く、
二條院へは来られないでいられる。

中の君のことも、
お気がかりではあるものの、
六の君にすっかりお心を、
奪われていられる。

婿君として宮はもはや、
昼間も六の君のお部屋で、
過ごされる。

六の君は、
非のうちどころのない美女で、
二十を一つ二つ越えていたから、
いまを盛りの年頃。

新婚夫婦に仕えるのは、
美しく若い女房三十人ばかり、
女童が六人。

夕霧の北の方(雲井雁)の大君を、
東宮にさしあげたときよりも、
この度の結婚は美々しかった。

宮はもはや、
二條院へお出かけになること、
叶わぬお身となられた。

下々の者のように、
ふと思い立って、
というわけにはいかない。

宮はそのまま六條院の南の町に、

(ここはその昔、
亡きお祖母さま、紫の上の手もとで、
幼い宮がお育ちになったところである)

住んでいられる。

二條院の中の君は、
いずれこうなることは、
予想していたものの、
宮のお立場を、
察し得るわけでもないので、

(ご婚儀以来、
ふっつりとお見えにならなくなった。
こうもあっさりとお見限りに、
なるなんて。
数ならぬわたくしなどが、
世間に顔出しするほうが、
間違っていた。
やはり宇治に籠っていれば、
よかった)

と思うとわが身が悲しかった。

宇治へ帰ろう、
中の君は思う。

きっぱりと宮との仲を、
断つというのではない、
宇治にしばらく退いて、
心を落ち着けたい、
と思った。

頼る人といえば、
薫しかなかった。

中の君は薫に手紙を書いた。

「先日の父の法要のこと、
阿闍梨が知らせてきましたので、
詳しく承りました。
ほんとにありがとうございます。
もしできましたら、
お目にかかってわたくしからも、
お礼を申しあげたく存じます」

薫はこの手紙を受け取って、
胸がときめいた。

いつもはこちらから出した、
手紙の返事にもはかばかしい、
言葉を書かないひとが、

「お目にかかりたい」

と書いてよこした。






          


(次回へ)

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