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・葵の上は、
急に胸がせきあげて苦しみ、
御所へ参内した人々の帰邸をまつ間もなく、
こときれたという。
邸の人々は狼狽し、
泣きさわいで、
うろうろするばかりだった。
比叡山の座主や、
聖たちを呼ぶことも出来ない。
もう大丈夫だろう、
と油断していた時に、
こんなことになったので、
みなみな悲しみに取り乱し、
邸のうちには慟哭の声が満ちた。
悲しみのあまり、
源氏も呆けたようになり、
浮世がうとましく、
あちこちからの弔問にも、
もの憂く味気ないばかりだった。
父の桐壺院も嘆かれて、
弔問の従者をつかわされた。
左大臣はなおも、
「生き返るかもしれない・・・」
と親心の闇は尽きるときなく、
葬送を見合わされていたが、
いつまで待ってもせんないことであった。
ついに鳥辺野に送った。
会葬の人々、
寺々の僧などで、
さしも広い鳥辺野は埋まった。
源氏は秋の有明の野に、
じっと立ち尽くしている。
彼の耳には、
まだ妻の最後の声が聞こえている。
源氏は深い悔恨にうちのめされていた。
(そのうちには、
とのんびりかまえて、
妻の心を解く努力もしないうちに、
彼女は亡き人になってしまった)
思い続けると、
源氏は辛くてたまらなかった。
ひまなく唇から洩れるのは、
しのびやかな経である。
小さな若宮を見ても、
源氏は涙ぐまれてならない。
それにしても、
この忘れ形見があることが、
今はせめてものなぐさ慰めだった。
左大臣は、
「こんな老齢になって、
若い者に先立たれて悲しい目をみようとは」
と涙にくれ、
まして母君の大宮は、
悲しみに沈んで起き上がることも、
お出来にならず、
お命もおぼつかなく見えた。
はかなく日はたってゆく。
七日ごとの法事も、
悲しいかぎりであった。
源氏は自邸の二條院にも帰らなかった。
紫の姫君が淋しがっているだろうと思ったが、
亡き妻に心淋しい日を送らせた、
自分ばかりが責められて、
今は仏への勤行にあけくれていた。
源氏は小さな忘れ形見がなければ、
出家したいと思うほどだった。
人との別れはいつも悲しいものを、
折しも秋のこととて、
思いはいっそう断ち切り難い。
ならわぬ一人寝の床に、
霧の中から文が届けられた。
咲きかけの菊の枝に、
喪の色の青鈍の紙をむすんである。
(心にくい文を・・・誰だろう?)
手にとってみると、
かの御息所の筆跡だった。
<人の世をあはれと聞くも露けきに
おくるる袖を思ひこそやれ>
(愛する人に先立たれたあなたのお悲しみは、
どんなでしょう)
というしらじらしい弔問が、
源氏にはうとましく思えた。
御息所の生霊が、
葵の上の命を縮めたということは、
源氏の密かな確信になっている。
御息所の怖ろしい本性を見た、
という事実を源氏は忘れないのである。
さりとて、
このままふっつりと交際を断つのも残酷だし、
あの高雅な女人の名誉を傷つけることにもなる、
と源氏は思い乱れた。
御息所の姫宮の斎宮は、
御潔斎のため左衛門の司にお入りになっている。
それゆえ、
喪でけがれたこちらからは、
御息所に返事をするわけにいかない。
しかし返事をしないのも、
つれないことだと源氏は思い返し、
紫の鈍色の紙にしたためた。
「長くご無沙汰しました。
いつもあなたのことは忘れていないのですが、
何分、この日頃、喪に服しておりますこととて。
<とまる身も消えしも同じ露の世に
心置くらん程ぞはかなき>
(生き残ったこの身も、
死んだ者も、
同じ露のような存在なのです。
どうかいちずに思いこまれませんように。
執念も憎しみもさらりとお忘れ下さい)」
御息所は源氏の返事を読んで、
胸をつかれた。
源氏がやはり、
御息所の生霊を悟っていたのだ。
御息所は、
わが身の呪われた宿命を責めているだけに、
源氏にいわれるとなおさら辛く、
心苦しかった。
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(次回へ)