むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

14、わがアメリカ ③

2022年08月13日 08時56分45秒 | 田辺聖子・エッセー集










・人種はずいぶん雑多だし、
ゴタゴタしているが、しかし人肌がいい、
いい、居心地がいいのだ。

これはアメリカ人の人なつこさ、明るさ、人のよさ、
みたいなもののせいだろうか。

ニューヨークで長年事業をして成功している知人女性も、
「アメリカって人はいいわね」と認めている。

「日本人みたいに腹黒くないわ。
こういっちゃなんだけれど、
税務署の人ですら、人はいいわよ。
日本人みたいにはじめから脱税してるんじゃないか、
と疑ってかかることなんか、ないしね」

またニューヨークは努力したらしただけのことは、
確実に返ってくるという。

女がやっても男がやっても、
成果は同等に評価してもらえるので、
日本よりずっと仕事の楽しみがある、
といっていた。

仕事に関してはさておいて、
「人のよさ」という点で、
私は私の一族を思い出さずにはいられない。

私の伯母といとこたちが、
サンフランシスコの郊外に住んでいるのだが、
これがみな、まったりした、人のいい一族で、
我が身のことをいうのは恐縮だが、
みな中流クラスの凡々たる市井人なのだけれど、
気のいいのんびりした連中ばかり、
もっとも伯母は別として、
いとこたちは日本語を話せない二世、三世だから、
言葉が通じないでニコニコ笑っているだけなのは仕方ない。

それでも悪気がこれぽっちもなくて親切なのはよくわかり、
片言の英語、日本語、手ぶり身ぶりと伯母の通訳で、
はじめて訪れた私たちを歓待してくれたのだが、
この身内をとりまく近所の人、町の人、
白も黒も黄色も、さまざまの人がみな、
まったりしており、人がいい、のである。

この伯母は大正末に高等女学校を出るなり、
アメリカにいた遠縁の青年と縁談がととのい、
海を渡って嫁いでいった。

戦時中はユタ州の収容所に入れられて音信不通だったが、
戦後連絡がつき、50年ぶりに日本へ来た。

私たちもアメリカを訪れたりして、
親戚づきあいが始まり、今も続いている。

伯父はいっぺん日本へ帰りたいといいつつ、
とうとう亡くなってアメリカに骨を埋めた。

伯母はいま八十いくつだが、
つい最近まで日本語学校で日本語を教え、
お琴の先生をしていた。

日本風遊芸はかの地の日本人社会では盛んだから、
いとこの三世たちはみな、
舞踊やお琴や尺八、謡曲などたしなんでいる。

伯母の家の応接間には、
二、三面のお琴、掛け軸、羽子板、
ミニチュアの兜の置物などが飾られ、
マントルピースの上には花嫁人形、博多人形が並び、
そしてそれらの上に敬虔なクリスチャンである伯母は、
十字架をかかげていた。

私が訪れたとき、
伯母が近所の人や身内を動員して作ってくれたご馳走は、
巻きずし、酢の物、お刺身、それにチキンカツ、さまざまで、
二世や三世がいっぱい集まり、テーブルを囲んで、
英語の会話を交わす。

前庭の広い静かな郊外の、
どの家も同じつくりで、やがて宵になると、
それぞれの窓から飴色の灯が流れ、
ポーチの前の煉瓦道を照らす。

こういう人々をアメリカ人のサンプルとは考えては、
ならないのかもしれないが、
そしていまのアメリカにはミーイズムが流行って、
他人のことはかまわない風潮がまん延しているというけれど、
それでも私は彼らを通して、
地熱のごときアメリカ人の「人のよさ」
というのを感じずにはいられない。

私はアメリカ人の友人を持たず、
純粋なアメリカの家庭を知らないから、
アメリカ人気質について語る資格はないが、
旅行者として大都市を何日か歩いて、
天窓が開いたような開放感を持ったのが、
楽しくも不思議であった。

治安が悪かったり、
日本よりはある点は不潔だったりするが、
心をそそりたてる何かの魅力があり、
それはヨーロッパの魅力とは明らかに別種で、
しかも、アメリカはベトナムで手を汚したこととか、
核兵器をいまも作り続けているとか、
そういうこともまた別の次元なのである。






          


(次回へ)

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