・人種はずいぶん雑多だし、
ゴタゴタしているが、しかし人肌がいい、
いい、居心地がいいのだ。
これはアメリカ人の人なつこさ、明るさ、人のよさ、
みたいなもののせいだろうか。
ニューヨークで長年事業をして成功している知人女性も、
「アメリカって人はいいわね」と認めている。
「日本人みたいに腹黒くないわ。
こういっちゃなんだけれど、
税務署の人ですら、人はいいわよ。
日本人みたいにはじめから脱税してるんじゃないか、
と疑ってかかることなんか、ないしね」
またニューヨークは努力したらしただけのことは、
確実に返ってくるという。
女がやっても男がやっても、
成果は同等に評価してもらえるので、
日本よりずっと仕事の楽しみがある、
といっていた。
仕事に関してはさておいて、
「人のよさ」という点で、
私は私の一族を思い出さずにはいられない。
私の伯母といとこたちが、
サンフランシスコの郊外に住んでいるのだが、
これがみな、まったりした、人のいい一族で、
我が身のことをいうのは恐縮だが、
みな中流クラスの凡々たる市井人なのだけれど、
気のいいのんびりした連中ばかり、
もっとも伯母は別として、
いとこたちは日本語を話せない二世、三世だから、
言葉が通じないでニコニコ笑っているだけなのは仕方ない。
それでも悪気がこれぽっちもなくて親切なのはよくわかり、
片言の英語、日本語、手ぶり身ぶりと伯母の通訳で、
はじめて訪れた私たちを歓待してくれたのだが、
この身内をとりまく近所の人、町の人、
白も黒も黄色も、さまざまの人がみな、
まったりしており、人がいい、のである。
この伯母は大正末に高等女学校を出るなり、
アメリカにいた遠縁の青年と縁談がととのい、
海を渡って嫁いでいった。
戦時中はユタ州の収容所に入れられて音信不通だったが、
戦後連絡がつき、50年ぶりに日本へ来た。
私たちもアメリカを訪れたりして、
親戚づきあいが始まり、今も続いている。
伯父はいっぺん日本へ帰りたいといいつつ、
とうとう亡くなってアメリカに骨を埋めた。
伯母はいま八十いくつだが、
つい最近まで日本語学校で日本語を教え、
お琴の先生をしていた。
日本風遊芸はかの地の日本人社会では盛んだから、
いとこの三世たちはみな、
舞踊やお琴や尺八、謡曲などたしなんでいる。
伯母の家の応接間には、
二、三面のお琴、掛け軸、羽子板、
ミニチュアの兜の置物などが飾られ、
マントルピースの上には花嫁人形、博多人形が並び、
そしてそれらの上に敬虔なクリスチャンである伯母は、
十字架をかかげていた。
私が訪れたとき、
伯母が近所の人や身内を動員して作ってくれたご馳走は、
巻きずし、酢の物、お刺身、それにチキンカツ、さまざまで、
二世や三世がいっぱい集まり、テーブルを囲んで、
英語の会話を交わす。
前庭の広い静かな郊外の、
どの家も同じつくりで、やがて宵になると、
それぞれの窓から飴色の灯が流れ、
ポーチの前の煉瓦道を照らす。
こういう人々をアメリカ人のサンプルとは考えては、
ならないのかもしれないが、
そしていまのアメリカにはミーイズムが流行って、
他人のことはかまわない風潮がまん延しているというけれど、
それでも私は彼らを通して、
地熱のごときアメリカ人の「人のよさ」
というのを感じずにはいられない。
私はアメリカ人の友人を持たず、
純粋なアメリカの家庭を知らないから、
アメリカ人気質について語る資格はないが、
旅行者として大都市を何日か歩いて、
天窓が開いたような開放感を持ったのが、
楽しくも不思議であった。
治安が悪かったり、
日本よりはある点は不潔だったりするが、
心をそそりたてる何かの魅力があり、
それはヨーロッパの魅力とは明らかに別種で、
しかも、アメリカはベトナムで手を汚したこととか、
核兵器をいまも作り続けているとか、
そういうこともまた別の次元なのである。
(次回へ)