「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

1、ローマ ③

2022年08月29日 08時47分18秒 | 田辺聖子・エッセー集










・私は曽野綾子さんと一緒に旅したことがあったが、
曽野さんは堂々とした流暢な英語を操り、
全く頼もしかった。

とてものことに私は、
曽野さんとかホトトギス氏、
(同行の旅行社青年の姓が名作『不如帰』の主人公と同じなので)
の庇護がないと、外国へは出かけられない。

その点おっちゃんは気楽で、

「なに、その場になれば何とかなります」

「おっちゃんは昔の教育受けた医者だから、
ドイツ語はいけるんでしょ、
次に着くのはフランクフルトだよ」

「ワシのは古いことなので、腐ってしもた」

「しかしカルテはドイツ語でしょう」

と私も執拗なのだ。

「カルテは決まったコトバしかない。
思いがけん言葉は出てきませんからな」

私は台湾、香港は別として外国へ行くと、
どうもコンプレックスを感じていけない。

建物が巨大すぎる、
何もかも高いところについてる、
言葉がわからない、
女の人が堂々としてる、
なんてのに圧倒されるのだが、
おっちゃんは全くそれはないという。

尤もまだ外国のトバ口である。

太陽はやっとフランクフルトで沈み、
美しい夜になる。

ここの空港の見事さは、
あとで見たドゴール空港の上をゆく気がする。

空港の従業員はたてものの中を自転車で、
きびきびと走り回っていた。

空港ショップの人も、コーヒー店の女も、
「つれづれなるままに」という感じではない。

モスコー空港の従業員たちはそうであった。

最新の近代的な磨き立てた空港で、
きびきびと働いているのである。

ここからパリまで一時間。
パリへ着くと夜も遅く、十時半。

パリの空港の雰囲気がまた違う。

空港の空気はやわらかく、
女の声のフランス語のアナウンスは歌うようである。

目のさめるような金髪美人が、
赤いセーターと赤いスカートで歩いていると、
両替の窓口の男もポーターもおっちゃんまで、
じ~っと視線をあてて、美人の行く方へ首を曲げる。

「かないませんなあ、
女の子が通り過ぎるまで手を止めて見てるんですから」

ホトトギス氏は、円をフランに替えてきて、
男たちのワルクチをいった。

今夜はパリに一泊して翌朝ローマという、
ちょっと勿体ない旅、
空港からホテルまで乗ったタクシーの運転手は中年のおばさん、
助手席に犬を連れていた。

十時半という時間なのに、
けなげに働いている中年おばさんには感動する。

ただ女性運転手の困るところは、
荷物をトランクに積むのを手伝わないことである。

(それは男の仕事でっしゃろ)

という顔で、腰に手をあてて見ている。

しかしこのおばさんは愛嬌のある方で、
ホテルの名をホトトギス氏がいうと、
地図を出して場所をたしかめ、
「うい」といった。

犬はかなり大きいヤツ、
車に長年乗り慣れているのか、
うずくまっていたのがおもむろに立って、
うしろの席をじろりと見、
(野郎ども、乗ったか)という感じで、
ひと声「ワン」と吠え、
私たちは度肝をぬかれた。

パリの運転手は、
隣の席に犬を乗せているのが多いようである。

女性運転手だから乗せてるのかと思ったら、
そうでもないらしい。

四人でタクシーに乗ろうとしたら、
横の犬を指さして両手を広げ首をすくめる運転手もいたから。

三人以上乗せたくないためも、あるかもしれない。

ホテルへ一泊し、
翌朝早くローマへたつ。

やってきた運転手は小粋で陽気なしゃべりんである。

空港へ行く途中の高速道路で、
夕べここでギャングとポリスがやりあった、
と片言英語でいう(らしい)

彼は昂奮してしゃべりまくり、
ハンドルから手を離して、新聞を肩越しに私たちに見せ、
見ると写真を指で叩いて説明し、
合間に指を二本出した。

「二人つかまった?」

と日本語でいうと、日本語わかるはずないのに、
「うい」という。

「そらええけど、ちゃんと運転してや、前見てや」

おっちゃんとホトトギス氏はハラハラしていた。

いよいよローマというので、
おっちゃんはネクタイをしめてる。

「出入国の折はちゃんとせな、係官に悪感情を与え、
国家規模の紛争を招くかもしれまへん。
何しろこのヒゲづらですから」

といっていたが、
パリでもローマでもヒゲ男は多く、
たちまちおっちゃんぐらいのヒゲでは目立たなくなった。






          


(次回へ)

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