「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

1、ローマ ②

2022年08月28日 08時29分23秒 | 田辺聖子・エッセー集










・台北の町はどんなところにも屋台が出ていた。

ここの屋台の特徴は、
たとえば銀座の屋台のように酔客が相手ではなく、
市民の台所がそのまま道路へ進出した、
という感じなのだ。

人々は家族連れで腰掛けに坐って、夜食を食べる。
朝から屋台の腰掛けは満員である。

安いから、家で食べるのも外で食べるのも変わらない。
妙齢の美人が、どんぶりを抱えて朝飯を食べている。

この間行ったのは冬だったが、
蓬莱島の台湾は冬も暖かく、
ポインセチアが赤々と咲いている道ばたで、
人々がのんびり坐っているのもいい眺めであった。

夜遅くまで屋台は賑わい、人々は群がる。

暖かい白い湯気が路上にただよい、
おいしそうな匂いは町にたちこめている。

屋台にはいろんなものがあって、
ラーメンやスープ、蒸し饅頭、豚の団子入りビーフン、
やきそば、ギョーザ、チマキ、ありとあらゆるものがあった。

そういうのが頭にあるので、

「ヨーロッパでも屋台はあるのかしら」

という疑問になったのだ。

そういえば十年前にいったヨーロッパ、
アムステルダムとフランクフルトでは屋台を見た。

アムスでは魚、フランクフルトではむろん、
ソーセージを煮たてていた。

「屋台というからにはやはり、
暖かい国のほうがおいしいのとちがいますか」

と私はカモカのおっちゃんに意見を述べた。

「屋台は行儀のええもんと違うから、
解放的な南ヨーロッパの方に多いかもしれません」

とおっちゃんもいった。

そういうわけで、
私は、ヨーロッパは初めてというおっちゃんと、
諸国訪台の旅に出たのである。

この「台」は台湾ではなく、屋台の台である。

また、屋台、縄のれん、赤提灯など、
安直なる店は都市のバイキンであるとすると、
諸国訪バイの旅、ということもできる。

ところで私もおっちゃんも、
外国語はサッパリなので、
言葉に堪能で事務に明るい旅行会社の青年が、
ついていってくれることになった。

同行三人、羽田からルフトハンザに乗り込む。

ゆく先はローマである。

ローマなら古き都であるから、
屋台や赤提灯ふうな店も多いであろうと思ったのだ。

今度の旅はパリ行きの団体に便乗しているので、
ヘンなコースである。

そうして偶然、諸国の空港を見学できることになった。

羽田を出て十時間くらいして、
まず給油でモスコーの空港に着いた。

間に機内食がいっぺん、型通りのものが出た。

おっちゃんは、生まれて初めてのヨーロッパというので、
機内食も一物残さず平らげ、水割りも飲む。

モスコー空港は雪であった。
三月終りというのに、おそろしい寒さ、
一面の雪で、白樺の林が空港の向こうに見え、
地平線まで何もない。

空港の側に人家や高速道路があり、
飛び上がると目の下にうちのマンションが見える、
伊丹空港とはえらいちがい。

大きなだだっ広い空港で、人けはなく、
兵隊があちこちにいて、旅行者を見ている。

少年みたいな兵隊もいるが、
雪にさらしたように真っ白い肌に、
ほっぺたがピンク色で美しい。

空港の中は暖房もきいていて、文明国らしいのだが、
トイレに行ってみると、ドアはボロボロ、水洗の水は出ず、
紙は薬包紙みたいなのが備えてあった。

空港で働いているらしい女性が来て、
悠々とこわれたドアを半開きのまま、
用を足していた。

窓ガラスの外では鉄砲を持った、
兵隊が外套を着て、行ったり来たりしている。

やっと飛行機に乗り込んで旅を続ける。






          


(次回へ)

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