・日が高くなって出かけたので、
もうすき間もなく物見車が並んでいて、
何輌もの車を連ねてきた、
左大臣家の一行は場所がなかった。
やっと、身分ありげな女房車のあたり、
その辺の車をのけさせることにした。
その中にのかぬ車があった。
少し古びた網代車の、
しかし下すだれの上品なさま、
内なる人は奥に引きこもって、
ほのかに袖口や裾などの、
清らかな色がこぼれて見えるだけ。
その車の供は権高に、
「手を触れるな。
このお車は、のけさせてよいものではない。
無礼を働くな」
頑としてのかない。
そのよしありげな車の主は、
誰あろう、六条御息所なのだった。
物思いのなぐさめにもと、
思い立って忍んで来たのだが、
左大臣家の従者たちにもわかってしまった。
左大臣家の供人の中には、
源氏の家人もまじっているので、
御息所を気の毒に思ったが、
しかし葵の上は源氏の正妻であり、
どちらにつくこともできない。
とうとう左大臣家の供人は、
車を何台もたてならべてしまったので、
御息所の車はうしろへ押しやられてしまった。
それも残念だが、
御息所はわが忍び姿を見あらわされたことが、
悔しくてならない。
聞くまいとしても、
向こうの従者の心無いののしり声は、
耳に入った。
左大臣家ではあんな卑しい下々の者までが、
正妻であることを鼻にかけて、
わが身を数ある情人の一人と思い、
貶めているのだ。
御息所は悔しさとせつなさで、
身も震えるばかり。
車の轅を据える台も、
みなへし折られてしまって、
みっともないことだった。
高雅な趣味人の御息所とすれば、
堪えがたい恥ずかしさである。
もう行列は見ないで帰ろうとしたが、
車の抜け出るひまもなく、
そのうち、
「来たぞ、来たぞ」
人々のどよめきが渡ってくる。
さすがに「にくいあの男」の姿を、
ひと目見ようと待たれるのも、
恋する身の弱さであった。
源氏は、
後方に押しやられている御息所の車など、
むろん気づかないから、
つれなく過ぎてゆく。
源氏はそ知らぬ顔をして去ってゆく。
しかし、左大臣家の一行はわかるので、
源氏はまじめに重々しく通ってゆく。
供人たちは葵の上の車の前は、
かしこまって敬意を表しつつ、
過ぎてゆく。
御息所はそれを見るにつけても、
屈辱感に心は蝕まれる。
折しも、
式部卿の宮が朝顔の姫君と共に、
桟敷から行列をご覧になっていらした。
「あの源氏の大将の君は、
そなたに思いをかけて文をよこすと聞くが・・・
こんな美しい公達ぶりを見ては、
物堅いそなたの心も、
とけるのではないか」
「長年、お文をお寄せ下さるまめやかさも、
もったいのう存じますが、
でも、わたくしはそれゆえにこそ、
あの方と現し身の上で、
愛を契ったりするのは避けよう、
と決心いたしました。
こんな男女の愛もあるのです・・・
わたくしは充分、
あの方と愛を交わし合っています。
お文のやりとりで・・・
わたくしは生涯、
それを貫きとうございます」
朝顔の姫君は、
静かに父宮にそう答え、
聡明な澄んだ瞳を、
去りゆく源氏の行列にあてていた。
源氏は、
車争いの一件を従者の一人から聞いて、
御息所を気の毒にいとおしくも思った。
それにしても、
葵の上も、あまりに思いやりが、
足らぬではないか、
と源氏は不満に思った。
重々しい身分の貴婦人でありながら、
やさしい情愛に欠け、
自身は悪意はないのに、
結果として御息所に思いがけぬ屈辱を、
与えることになってしまった。
夫にゆかりある婦人、
と思えば、さりげなくいたわり、
思いやりをわかちあうべきであろうものを。
葵の上は、
そこまで人柄が練れていないので、
心くばりが冷たく、
それにならって下々の者まで、
御息所に狼藉を働いたにちがいない。
御息所は繊細で、
傷つきやすい感受性の、
たしなみふかい女人なので、
どんなに辛い思いをしただろうと、
源氏は同情した。
さっそく六條邸を訪れたが、
「斎宮がまだ邸にいられますので、
神へのはばかりもございますれば」
ということで、
御息所は会うのを拒んだ。
その気持ちもわからなくはないが・・・
(なんだってまた、
こうも気むずかしい女が多いのだ。
どちらもこちらも、
かどの多い女ばかり・・・)
源氏はむなしく帰る車の中で、
嘆息が出るばかり。
(次回へ)