むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

5、椎本 ⑥

2024年04月30日 07時45分25秒 | 「霧深き宇治の恋」   田辺聖子訳










・雪あられが、
降りしきるころは、
ひときわ淋しくすさまじく、
あらためて山奥深くに、
住みついた気がした。

「こうやって、
月日は経っていくのねえ。
お父さまがこんなに早く、
お亡くなりになるとは、
思いもしなかった」

大君がいうと、
中の君がいった。

「ことさら将来に、
楽しみがあるという、
生活ではなかったけれど、
お父さまがいらっしゃるだけで、
のんびりと過ごせた。
それが今では、
普段見かけない人がやって来て、
案内を乞うたりすると、
恐ろしいやら情けないやら、
こんな思いをしないといけないのが、
たまらない」

もう年の暮れであった。

女房たちは、
姉妹の姫君の心を、
引き立てるように、

「新しい年がやってまいります。
心細く悲しいことばかりでしたが、
また、春になれば、
いいこともございましょう」

と慰めた。

(いいことなんか、
わたくしたちにはあるはずない)

姫君たちは思う。

薫は、
年が改まれば公用も多く、
出かけられないだろうと、
暮れのうちに宇治へ来た。

雪が深いので、
なみの人さえ、
姿を見せなくなっているのに、
中納言という高い身分で、
立派な様子の薫が、
気軽に訪ねてきたその気持ち、
それは決して、
ありきたりのものではないと、
大君には思われた。

大君はいつもより、
心をこめて敷物を用意させた。

喪中用のものではない、
普通の火桶も出し、
女房たちは、
亡き父宮が薫の君のご訪問を、
喜んでいらした思い出話をする。

大君は、
薫とあって話をするなど、
恥ずかしくて、
と思いつつ、

(お父さまが、
この方の訪れを、
どんなに喜んでいらしたか。
この方もおやさしく、
お父さまのお相手を、
して下さった。
そのご好意にたいしても、
失礼なことはできない。
恥ずかしいからと、
引き込んでお目にかかるのを、
拒むのはこの方のご好意に、
あざむくこと)

大君は几帳を隔てて対面し、
直接に薫と話す。

薫は嬉しくてならない。

大君のものの言いぶりが、
また奥ゆかしく風情がある。

(こうして会って、
おしゃべりをするだけでは、
とてもすまされない。
どうしても自分のものにしたい)

と思う心の下から、
薫は愕然とする。

(なんでこう、
あっさりと気持ちが変るんだ。
あの道心はどこへやったのだ。
八の宮のはかないお命、
自分の出生の秘密、
かりそめの世を思えば、
世の中に跡を残そうという気も、
なくなって仏に仕える決心を、
したというのに、
この美しいひとを見れば、
心変わりしてしまった。
今はまぎれもなく、
恋している)

そう思いつつ、
青年にありがちな、
羞恥心と虚勢から、
自分の恋情を打ち明けず、
匂宮のことから話だす。

「匂宮が、
私をお恨みなのです。
お父宮から承ったご遺言、
姫君たちを頼む、
というお言葉、
それをちらと洩らしたことがあり、
ここの姫君にとりなしてくれ、
と私にお頼みになるのです。

姫君のお返事がつれないのは、
私のとりなし方が悪いから、
とお恨みなのです。

お断りもできませんので、
宮を好色の方のように、
申す人もありますが、
情は深い方ですので、
そんなにすげなくなさらなくても、
と思います」

薫は生真面目に話す。

大君は、
自分自身のこととは、
夢にも思わず、
匂宮が求愛しているのは、
妹の中の君だと思った。

中の君の親代わりとして、

(親らしい言い方で、
お返事しようかしら?)

と思案したが、
返事のしようがわからなくて、

「どうお返事していいか、
わかりません」

と笑いにまぎらせた。

薫は、

「匂宮のお話は、
あなたのことではありません。
あなたは雪を踏み分けて、
縁談を持って来た私の気持ちを、
姉君として、
喜んで下さればよろしいのです。
宮が心を寄せられたのは、
中の君だと思います。
宮へのお返事は、
どちらがお出しになっていました?」

大君は内心、

(よくも宮へお返事しなくて、
よかったこと)

と思った。

「わたくし、
今まであなたにお文を、
さしあげたことは、
ございますが・・・」

「ええ、
まじめな、
そっけないお文をね。
宮をこの里へおとりもちする前に、
私は告白したいのです。
私が愛しているのは、
あなたなのです」

大君は不快だった。

妹の縁談のことかと思えば、
いつのまにか話はすりかわり、
自分への求愛の言葉になっている。

話題に、
匂宮と妹姫の縁談が、
唐突に持ちだされた。

それだけでも咄嗟のこととて、
軽々しい返事は出来ないと、
思いあぐねているのに、
薫は、

(宮をこの里へ、
おとりもちする前に、
私はあなたと)

というではないか。

そんな大切な話を、
同時に持ちだす性急さが、
大君には許せない。

この信頼している青年が、
と心外だった。

大君は返事もしない。






          


(次回へ)

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 5、椎本 ⑤ | トップ | 5、椎本 ⑦ »
最新の画像もっと見る

「霧深き宇治の恋」   田辺聖子訳」カテゴリの最新記事