「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

1、姥ざかり ③

2025年01月26日 08時58分07秒 | 「姥ざかり」田辺聖子作










・この前、
孫のようなおまわりさんが来た

老人の一人暮らしというと、
特別に訪ねる回数が多い

いざという時の連絡先を、
書き取ったりする  

「おばあちゃん、
ええ息子さん居ってやのに、
なんで一緒に住まへんねん
三人も頼りになる、
息子さん居るやないか」

とおまわりは不思議そうにいう

私はそれよりも、
おまわりのなれなれしい、
「おばあちゃん」にカッとした

<おばあちゃんとは
誰のことかと
おばあちゃんいい>

引退したといっても、
女実業家のはしくれ、
十ぱひとからげにおばあちゃんとは、
何だ!

なんで「奥さん」といえんのか、
この頃の警官教育はなってない

私ゃこのヒヨコおまわりを、
孫に持ったおぼえはないのだ

「なんで一緒に住まな、
あかんのですか?
子供は子供、
私は私ですよ
それぞれの生活いうもんが、
あります」

といったのを、
ヒヨコおまわりはどう誤解したのか、

「ま、事情はあろうけど、
立派な生活しとるらしい息子さんが、
おばあちゃん一人ほっとくいうのは、
いかんですなあ
何やったら地区の顔役の人に、
仲へ入ってもろて、
一緒に住めるように、
話し合うてもらいましょうか?
淋しいでしょう」

などといい、
私が子供と同居したいのに、
子供が拒んでいるように、
思い込んでいる

何でこう世の中、
というものはスカタンと早とちり、
偏見と誤謬に満ちているもんやら

「一人で炊事洗濯などをやってると、
心細いでしょう?
ゴハンちゃんと食べてますか?」

と知ったかぶりでいい、
何を、この安ポリ、
私ゃ晩飯はウニやカニ、
平目の刺身などで、
五勺ほどの晩酌を傾け、
時にワインを抜いたして、
テレビに興じ、
機嫌よくご馳走を食べているのだ

インスタント味噌汁などを、
貧しくかっこむ息子どもと、
一緒に暮らしたら栄養不足に、
なってしまうわ

かねてこんなこともあろうかと、
私は老後のため確実な株を、
買い貯めたり、
定期にしたりし、
着るものもしっかり揃えてあるのだ

毛皮、宝石、
それらも足らぬものはなく、
売り食いしても、
余生はやっていけそう

この間、
ひまに任せて着物を数えてみたら、
柔か物だけでも百三十八枚あった、
大島や結城なんかは、
いくら高くてもヨソ行きにならないから、
これらを入れるとかなりの数になる

箪笥二棹と整理箪笥にぎっしり、
まず物持ちの方であろう

貪欲な嫁らと共に暮らしたら、
どんなことになるか知れはしない

洋服だって、
体型はかわるし、
流行もかわるから、
毎年作らなければいけない、
この前長男の嫁は、

「子供の学資に追われて、
ここ何年か、
服なんか作ったことありません」

と恨めしそうにいっていたが、
どうせ作っても、
着てゆくところは、
PTAぐらいのもの、
作るだけ無駄、
うぬらはセーターにスカート、
ぼろかくしのレインコートでも、
着ていたらいいのだ

そこへくると私なんかは、
そうはいかない

一人暮らしの哀れな老人、
という世間の偏見に対抗するためにも、
最新流行の洋服を身にまとい、
きちんとしていなくてはいけない

真珠やダイヤの指輪を、
無造作に指にはめていなくては、
安っぽく見られてしまう

私のマンションには、
金目の家具があり、
玄関にはヨーロッパ旅行の時の、
ヴェニスでの私の写真が、
掲げてあるなど、
いかにも富裕、
かつ優雅な暮らしの匂いが、
ただよっているはず、
一見してそれらは、
わかる人にはわかるであろうのに、
安ポリときたら、
一人暮らしの老女というだけで、
ただもう、見当はずれな同情と、
みせかけのヒューマニズムで、
「淋しいでしょう」
などというのだ

あんぽんたん!

お花仲間の竹下夫人も、
油絵仲間もそうである

英会話仲間はちょっとましであるが、
竹下夫人に至っては、

「お孫さんと離れていらしたら、
お淋しくありません?」

ばかりを連発する

私は孫は六、七人もいるが、
小さい頃はともかく、
中高校生ともなると、
可愛げがない

正月のお年玉だけが目当てで、
何かしてやろうと思っても、

「塾があるから」

「おけいこに行くから」

とすげなく、
それにこの頃の子って、
会話というものの訓練がまるきり、
出来ていない

「どこの大学を受けるの?え?」

「うう・・・まだ」

「まだ決まってないの、
どっちへ進みたいの?
どんな仕事をしたいの?」

「むむ・・・わからん」

「あんたもお兄ちゃんみたいに、
ラジオ聞きながら勉強してるのかねえ
気が散っていかんやろ、
それで志望校も決まらへんのとちがう?

おや、ひどいニキビ
ママのお料理はヘタやから、
栄養過多になるはず、
ないんやけどねえ
買い食いがすぎるのかしらねえ・・・

この間新聞にのってたけど、
非行少年少女の不純異性交遊で、
たくさん警察にあげられてたやないの、
間違うてもそういうことは、
しなさんなよ

でもまあ、あんたは、
石ころぶつけたような顔で、
そう女の子にもてる男やないから、
心配ないと思うけど

パパに似てるとナンだけど、
ママに似ていてよかった、
不良少女の誘惑を受ける顔じゃ、
ありませんからね」

高校生の孫は返事もしない

これが女の子の中学生の孫も、
同様で、私が、

「ほらほら、
年よりや大人が、
重い荷物を持っていたら、
すぐ手を出して自分で持つ・・・
気を利かせなさい、気を!」

というと、
びっくりして飛び上がるのである

「ママは何を考えているのかねえ、
女の子の教育なってない・・・
女の子は気が利かないといけない」

女の子は二度飛び上がり、
そのさまがいかにも愚鈍である

いいかげん愚鈍な生まれつきなのに、
躾けも教育もせず過保護に、
育てられているから、
いよいよ愚鈍に、
トロくさく、
にぶく、
気の利かない、
昼あんどんみたいな、
女の子が出来上がってしまう






           


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1、姥ざかり ②

2025年01月25日 08時58分21秒 | 「姥ざかり」田辺聖子作










・この間、
お花仲間の竹下夫人のところへ、
まわした縁談の結果も聞かないといけない

男の方から、
おつきあい願いたい、
という電話が入っているのだ

相手の娘さんは、
竹下夫人の知人の娘である

そのあと午前中に、
向かいのビルの医者へ行って、
午後は油絵の会へ行き、
ついでに近いから、
長男の家へまわろうか

そういえば、
次男の所も三男の所も、
ここしばらく電話がない

ひと月になんべん電話するか、
私は帳面につけていてやるのだ

嫁はいずれも四十代、
受験期の子供を持っていて、
手が抜けない、
なんぞぬかして、
手紙一本よこさない

私は一人暮らしが好きで、
一人で暮らしているのであって、
長男は同居せい、
といってくれている

西宮にある家は、
亡夫と私とで建てた家で、
名義は私である

私の部屋もそのままあるのだが、
嫁や大きい孫と住むのは、
わずらわしいのだ

それで東神戸に十階建てのマンションが、
出来たのを幸い、
その八階の一戸を買って住んでいる

ここは神戸にも大阪にも、
電車の便がよく、
行動するのに具合よい

マンションからは海も見え、
特に夜景がすばらしいのである

これは息子名義になっていて、
嫁は悔しがって、

「お母さんが西宮に住みはって、
私たちがそのマンションに住んだほうが、
ええ、と思いますけど、
西宮には庭もあるし、
土いじりができて、
日当りもいいですわ

年からいうと、
マンションは若い者のほうが・・・」

というのだが、
あほらしい

私ゃ、
土いじりも庭もきらいだ

マンションは日当りもよい

湯が出て、
鍵一つで外出できて、
清潔で簡便だ

西宮の家は二階建てで、
いやに大きいが、
やれ草むしりだ、
やれトユが詰まった、
生垣の手入れだ、
雨漏りだ、
門柱がどうかした、

と文句のいい通し、
一戸建てというのは、
まことに手がかかって、
面倒で不経済

「でも町内は古いなじみですし、
お母さんもそんな箱みたいなところに、
ぽつんと一人でいてはるより、
ここやと近所に、
話し相手もたくさんいますわよ」

と長男の嫁の治子は、
やっきになっていう

「やれやれ、
何が悲しくて、
近所づきあいせんならん
私はマンションへ来て、
心からほっとしてるんやわ

隣の住人が何してる人やら、
顔も見たことないし、
こんな気楽なことはじめてや
私ゃ近所隣は嫌いや」

「それでも一人で住んではったら、
みんな心配です」

「ふん
死ぬときは死ぬときや」

「私がお母さんを、
追いやったように、
親類にいわれたりしますしねえ」

長男の嫁の真意は、
息子名義のマンションで暮らして、
自分たちは水入らずになりたい、
というところであろう

そうして、
西宮の家には、
次男か三男が入って、
私と同居すればいい、
というところらしい

そう何もかも思い通りに、
いくものか、
とりあえず私は、
快適なマンションの一人暮らしを、
楽しんでいるのだ

「お母さんぐらい、
幸せな人はないでしょうねえ」

と嫁たちがいうと、
カッとくるのである

「お金は持ってはるし、
贅沢なマンションに暮らしてはって、
気ずい気ままの生活やし」

といわれると、
何をいうてるねん、
お金は今まで苦労した、
年金みたいなもので当然、
気ずい気ままというけれど、
どこを見ても腹立つこと、
気にいらぬこと、
じれったいことばかり

どれもこれも頼りない上に、
物知らず、考えちがいばっかり、
いちいちカッとしているのだから、
なんで気ずい気ままになれようか

そんな世捨て人みたいな平和を、
楽しんでおれますかいな

朝食は、
グレープフルーツと、
紅茶にトースト、
目玉焼きである

紅茶はティパック一袋で、
二杯飲む

トーストはバター、ジャムを、
つけるのが決まりである

いつぞや、
次男の家に泊ったら、
即席みそ汁と漬物、
梅干しを出した

こんな貧乏たらしいものを、
朝から食べているのかいな

「いえ、
いつも朝は抜きです
忙しいから・・・
お母さんが来はったから、
特別に作りました

お年やよってに、
アッサリしたもんの方が、
ええやろ思うて」

と次男の嫁の道子はいう

なんで年よりなら、
味噌汁に漬物と決めるのだ

年よりだって、
洋食の方が好きなのもいる

そのせいか、
次に三男の家で食事をしたら、
洋風であったが、
出来あいのハンバーグに、
これまた固形コンソメの素を溶かした、
即席スープであった

三男はそれをサカナに、
ビールを美味しそうに飲んでおり、
それはそれでもよいが、
育ち盛りの中学生の子供たちが、
あわれである

「いえ、
私がひき肉から作るより、
この方が子供らは喜ぶんですよ」

と三男の嫁の須美子はいっていたが、
私なんか箸もつけられない

不味くて脂がコテコテして、
結局持っていった海苔で、
食事を済ませた

「あら、お母さんて、
若向きの料理の方がいい、
というお話やったのに、
やっぱりアッサリ好きですか」

と嫁は不服そうにいい、
どうやら嫁同士、
情報交換しあっているらしい

「アッサリ好きでも、
ひつこいもん好きでもありません
私ゃ、うまいもん好きなのよ

インスタントの料理が、
舌にあわないだけなのよ」

といってやったら、

「お口にあわなくてすみません!」

といい、
三男の嫁は四十を出たばかりであるが、
いちばん気の強い奴で、
いちばんカチンとくる奴である

こんな連中と一緒に住めるか!
一人暮らしがいちばんなのだ






          


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1、姥ざかり ①

2025年01月24日 08時50分09秒 | 「姥ざかり」田辺聖子作










・朝の8時ごろ電話が鳴った

私はまだ眠っていたから、
びっくりして目をさまし、
何ごとかしらと、
胸がドキドキした

こんなに朝早く

3人の息子のそれぞれの家で、
何かあったのかしら?

電話に出ると、
何のこと、亡夫の友人の細木氏であった

「お元気ですか、
しばらくご無沙汰しとったから、
今日、外へ出るついでに、
お宅へ伺おうと思いまして・・・」

何をのんきなこと、
いうてるねん

私はこの人の声を聞くたび、
いつもイライラする

「えらい、
朝早いんですねえ
8時ですよ、寝ていたんですよ」

「おや、
まだおやすみでしたか
そりゃあ、悪かったですな、
私は5時に起きるもんですから、
8時は真昼ぐらいの感じですわ

アハッハ・・・
歌子さん、
年よりにしては朝はゆっくりですな」

年よりとは何だ!
私は76歳であるが、
腰もしっかり伸び、
足は達者、
毛もふっさりあり、
白髪染めで染めているが、
歯も目も、
目は老眼鏡をかけるけれど、
不自由はしていない

亡夫と同い年の細木氏は80であるが、
見るからに老人くさく、
杖をついて歩き、
モッサリしたものを着、
話題といえば、
愚痴話か昔話

どうもあの爺さんは、
懐古趣味があるようだ

「今日はちょっと忙しくて、
これから出て夕方まで、
帰らないのですよ」

私は婉曲に断る

「でも、そのあとでも・・・」

「いいえ、
帰る時間がわからないもんですから、
すみませんねえ
この次にまた」

愛想よく断っておいた

この人は、
亡夫の十七回忌によんだあと、
連れ合いを亡くしたので、
急に手持ち無沙汰になったとみえ、
独り暮らしの私を、
訪問したがって仕方がない

一、二へん愛想よく歓待したら、
それでアジをしめたのかもしれぬが、
私はこの爺さんとお茶を飲みつつ、
昔話をするほど、
モウロクしていず、
かつヒマ人ではないのだ

それに細木氏は、
死んだ人間のことを話したがる

私はとんと死人には、
興味も関心もないのだ

亡夫の慶太朗は弱気で無能で、
大阪弁でいう、アカンタレ、であった

戦災で失った昔からの服地問屋を、
再興したのは一にも二にも、
私の力による

やっと経済成長の波に乗って、
これから楽になろうというときに、
夫は死んでしまい、
そのあと、まだたよりない長男の、
良一を社長にして、
私が専務になって何とか、
会社をもちこたえてきた

良一はそのころ、33~4、
私から見ると、
危なっかしくて見ていられない

次男は鉄鋼会社に、
三男は銀行へいっていたが、
これぞという頼りにはならず、
私は古くからの番頭の前沢と、
懸命に働かなかったら、
どうなっていたかわからない

亡夫の慶太朗は性格もあたまも弱いが、
体も弱い男であった

よく三人もの子供ができたもの、
とひそかに思うくらいだ

夫の死後の奮闘が大変だったから、
いまさら夫の思い出なんて、
あるはずもない

細木氏は私とちがい、
いつまでも夫人のことを、
思い出してなつかしむようである

「男があとへ残されると、
もう、お手上げですな
息子の嫁もよくしてくれますが、
何といいましても家内と違います
夫婦いうもんは、
年いってこそのものですな
奥さんもそう思いはるでしょう?」

「思いませんよッ
私はいま主人がいたら、
さぞうっとうしいかった、
と思います
ま、一人でいても、
うっとうしいことはありますが」



一人暮らしの私は、
寝たいときに寝、
起きたいときに起き、
旅行したいときに旅行する

のべつ夫がいて、
文句をいったり、
命令したりするとなれば、
私は息がつまるように感ずるであろう

何が「夫婦は年いってこそのもの」だ

夫に死なれた当座は、
夫に腹が立ち、

(会社も何もほったらかして、
先に死んでしまいよって、
どないしてくれるねん)

と思った

何ごとにつけ、
細木氏とは波長が合わないのだから、
いつもいい顔見せて、
お相手するわけにはいかない

細木氏は残り惜しげに、

「お忙しいんですなあ、
歌子さんは・・・」

「ええ、習い事が多いもんですから、
それにちかぢか、
アメリカへも行ってみたいと思ったり、
していますので」

「えっ!アメリカ
ほほう、去年もたしか、
行きはったんちがいますか」

「去年はあなた、スイスですよ、
スイスからフランス、イタリーと、
まわりました」

細木氏が遊びに来たとき、
土産に、

「これはシャモニーで買った、
エーデルワイスの押し花ですのよ
お孫さんにでも、
あげてください」

と絵はがきと本物の花を、
押花しにたのをやった

「エーデルワイスて何ですか?」

と細木氏はいい、
情けない

なんぼ年よりいうても、
男やないかいな

男なら世間へ出てたんやから、
物の名前の片端くらい、
かじっとるやろ、
なんと常識ない人、
と私は思い、
ちょっと歌ってみて、

「エーデルワイス・・・
いう歌、若い子歌ってますやろ、
アルプスに咲く花ですわ」

「ほほう」

何でも「ほほう」だから、
つきあうのに骨が折れる

私はアメリカの話をしているうちに、
またまた30分くらい、
電話をして時間を食ってしまった

こういう連中とつき合っていると、
時間のムダが多い

しかしまた、
全くつきあいを断つというのも、
淋しい

自慢して「ほほう」と、
びっくりさせるのも嬉しいことであり、
かつ、絶えずびっくりさせて、
啓蒙してやらないと、
あの爺さん、
底なしにモウロクするかもしれない

彼にとっては、
老化防止に役立つだろう






          


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「31」 ③

2025年01月23日 09時14分09秒 | 「むかし・あけぼの」  田辺聖子訳










・私は縁に出て、簾をあげた

築地も門も壊れたままなので、
往来がよく見わたせる

生意気ざかりの青二才どもが、
こちらを指さして、

「お、出てきた
あの婆の尼が清少納言のなれの果て、
というわけか」

私は啖呵を切った

「いかにも清少納言のなれの果てだよ
いかにも婆の尼だよ
だけど、痩せても枯れても、
あたしゃ清少納言だ・・・」

若殿ばらは、
逃げるように車を急がせて去った

自分でもおどろくほど、
やつれて見るかげもない、
顔になっている

しかし私には、
今も公任卿や赤染衛門や、
和泉式部が手紙や見舞いをくれて、
友人が多いので淋しくない

私は社交界へ出ないものの、
全くの世捨て人でもないのだ

そういえば、
あの美しき情趣深き和泉式部は、
恋人の為尊親王に死に別れ、
その弟の敦道親王にも先立たれた

歌人としての名は、
いよいよ高いが、
いまは道長の君のお気に入りだった、
藤原保昌の君と再婚している

和泉式部は一条帝の御代、
彰子中宮のもとに仕え、
時めいた時代もあったが、
すべては昔ものがたりになってしまった

そういえば、
そのころ共に彰子中宮に仕えた、
れいの為時の娘、
この頃では彼女の書いた「源氏物語」
にちなんで「紫式部」と呼ばれている女が、
世上に流布した日記の中で、

「清少納言というのは、
高慢ちきで箸にも棒にもかからぬ女」

などと書きちらしていた

「利巧ぶって漢学の才を、
ひけらかしているけれど、
まちがいも多く、
浅はかなものである

そうやって他人より、
際立とうとやっきになるような人間は、
長い目で見ると、
必ず見劣りされ、
行く末、ろくなことにならない」

というのは、
「春はあけぼの草子」への、
批判であろうか

「とにかく、
情趣、情緒、風流、雰囲気、
というようなものばかりを、
大切にして気取るような人は、
何ということない殺風景な凡々たることも、
感動的に受け取り、
いちいちに一人よがりで、
大げさな感涙をこぼしたりして、
こちらは白けて浮いてしまう

その感動の中身も実は、
空虚で軽薄なのである

そういうものの見方、
生き方が身についてしまったような、
人間の行く末が、
どうしてよいものであろうか」

これはあきらかに、
私の生き方、私の人生に対する、
嘲笑で挑戦である

しかし私は彼女に怒りをおぼえる、
というのではない

また嘲笑されてしょげる、
というのでもない

彼女が「春はあけぼの草子」を、
読んだように私も「源氏物語」を読んで、
そして私は面白かった

ただ彼女とちがうところは、
「春はあけぼの草子」も「源氏物語」も、
どちらも同じ人生の陰と陽、
凹と凸だと発見したことだった

人生も人間も、
さまざまに変る光陽にみち、
どの面もどの光も真実であるのだった

それからまた、
あの紫式部は、
陰鬱で不平不満のかたまりであり、
ゆえ知らぬ怨嗟につねに、
心を煎られていた、不幸な女、
「足らう」ということを、
知らぬ気の毒な女だった、
という同情である

それは物語作者の宿命みたいな、
ものであろう

物語を創作する人間は、
おのが描き出した宇宙に、
ふりまわされて骨身を削り、
生みの苦しみに肉を殺いで、
それでもつねに餓えつつ、
何かを求めて死んでゆく

死ぬまで「足らう」、
ということはないのだ

そこへくると私は、
書くべきことを書き終えた安らぎで、
いつも満ち足り、
世を楽しく過ごしている

紫式部は気の毒な女だった

・・・「だった」というのは、
もう十二、三年も前に死んでしまった

まだ四十一だったという

その娘がやはり、
彰子中宮、いや、皇太后のもとへ、
お仕えしていて、
これは母に似ず、
伊達男の父の宣考に似たのか、
派手で愛想よい性格で、
男たちにもて、
恋人も多いらしい

そういえば、
安良木もいまだに彰子皇太后に、
いや、落飾されていまは、
上東門院と申しあげるが、
お仕えしている

いまでは小馬命婦とよばれ、
女院のご信頼もあついとのことだが、
ついに結婚しないで終わった

少女でいらした彰子中宮に、
奉げた安良木の純情は、
幸せにも人生の大半そのまま、
持ち続けることができたのだった

安良木が彰子中宮の御殿にもたらした、
「春はあけぼの草子」が刺激となって、

「こちらでも、
彰子中宮のめでたさをたたえた作品を」

という希求が湧きおこり、
道長の君のお声がかりで、
紫式部が筆を取った、
ということである

おお、それもこれも昔のこと

あの権力者の道長の君さえも、
お亡くなりになってしまった・・・

私は腰をのばし、
やおら外に出る

庭の片隅に作った青菜が、
思いのほか出来がよかったゆえ、
干し菜にしておこうと思う

軒の竹竿にうちかけつつ、

「おお、なんとみずみずしい緑色
昔の男どもの着た直衣の色を、
見るような」

紅梅がさね、
山吹がさね、
桜がさね・・・

美しゅうございましたね、中宮さま

いまも思い出にありありと、
そのままでございますよ

花やかな後宮の色と匂いと笑い声

私は小柴垣の彼方の、
亡き中宮の鳥辺野の御陵に、
手を合わせる

朝な夕な、
中宮にお話し申しあげているが、
目につくたび、
手を合わせ、胸のうちで、
お話しする

中宮もまたおこたえになる

瞼に浮かぶお姿は、
むろんお若く美しい中宮である

そしておん年二十一でいらした主上と、
二つの敦康親王、
お生まれになったばかりの、
美子内親王・・・

極楽浄土で、
おむつまじく団欒なすっている、
おんありさまである

折から、
春の空はまるで、
祭りの日の車の裾から、
こぼれ出した衣か、
檜扇の五色の糸のように、
あけぼの色に染まった

あけぼのは、
御陵の深い緑の稜線を、
赤くいろどる

中宮のお美しいお姿、
さわやかなお心ざまを、
私はついに「春はあけぼの草子」に、
とどめた

中宮は老いられない

千年たっても老いられない

私の頬を満足の涙が伝う・・・






          


(完了)

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「31」 ②

2025年01月22日 09時06分59秒 | 「むかし・あけぼの」  田辺聖子訳










・不機嫌な顔になった則光はいう

「くだらん本の一冊や二冊より、
田舎にはもっと大きな何かがある
嘘っぱちや泣きごとを並べる、
都の上つ方の腹黒いもくろみや、
ちっぽけな了見を、
ふきとばしてしまうような、
ものすごい力があらえびすの国にはある

あずまは未開で荒けずりだが、
人間は大きく息をつき、
足の続く限り駆けまわれるところだ

そういうよさが、
お前にはわからんのだ
所詮、俺とお前はちがう人間なのだ

・・・ああ、気が悪い」

則光は腰をあげた
私はいそいでいった

「でも、来てくれてありがとう、則光
怒らないで笑って別れてよ」

則光がいい男であるのを、
私は彼の妻たちの誰よりも、
よく知っているつもりだった

「くそ
お前はちっとも変わらんな、
笑って別れるなんてことが、
そもそも都会人のよたっぱちだ

別れるのは、
愛想をつかしたからこそ、
別れるのさ

俺はもうお前が、
野垂れ死にしたって知らんぞ、
愛想もこそも尽き果てた!」

則光は一度もふり返らず、
出ていった

いや、私にしてみれば、
彼は出ていったのではない

私は彼のよさを、
「春はあけぼの草子」に書きとどめ、
しるし伝えて、
のちの世の女たちに、
則光を愛させるのだ

まさしく彼は、
私の書く本の中にひきとめられ、
閉じ込められるのだった

ひと月ばかりして、
則光から便りが来た

「逢坂の関にて 則」

とあり、
珍しく歌がしたためてあった

<われひとりいそぐと思ひし東路に
垣根の梅はさきだちにけり>

(東国へ俺は行くぞ
見ろ
梅は俺の先がけをして、
咲いている
さらばだ

俺とお前は人生がちがう
俺はこせこせした都を捨て、
広い東国の天地に生きるぞ
お前は狭い都の片隅で、
這いずりまわって、
過ごすがいいさ)

しかし彼の気負いは、
無邪気で屈折していないところが、
さわやかだった

いい男だった

いい男や女を、
私はたくさん見た

あれもこれも書きとどめ、
伝えたかった


~~~~~


・いま私は、
故定子中宮の鳥辺野の陵のそばに住み、
亡き中宮の陵を朝夕拝しつつ、
日を送っている

この山荘は、
亡き父の持ち物だったが、
長兄が譲りうけていた

私は中宮のおそばにいたくて、
三条の私邸と引き換えに、
ここに移り住んだ

荒れ果てた家は、
近くに住む赤染衛門が、
雪の降る日にこんな歌を、
よんでよこした通りである

<あともなく雪ふる里の荒れたるを
いづれ昔の垣根とか見る>

私は六十歳というとしになった

この年、万寿四年(1027)

長く筆をおいていたのに、
ひさかたぶりに、
この草子のうしろに、
書き加える気になったのは、
このほど、
道長の君や行成の君が、
相次いで亡くなられてしまったからだ

あの左大臣どのがついに・・・

この二十五年のあいだに、
なんと多くの人の死を、
見てきたことか

主上がおん年三十二のお若さで、
崩御されたのは、
もう十六年前のこと・・・

そのとき、
彰子中宮はまだ二十五のお若さだった

かの定子中宮の亡くなられたお年と、
同じだったが、
すでに皇子をお二人挙げていられた

東宮はその兄皇子、
ついで新東宮も弟皇子が立たれたため、
定子中宮のお生みになった、
敦康親王はとうとう、
皇位におつきになれずじまいだった

伊周の君は、
すべてに望みを断たれ、
絶望のあまり消え入るように、
亡くなってしまわれた

美子内親王は九つで、
敦康親王も二十歳のお若さで、
母宮父宮のあとを追われた

おお、そういえば、
私は指を折る

花山院も、
明順の君もすでに亡い

有国も隆円僧都も方弘も

経房の君は、
任地の大宰府で都恋し、
と泣きつつ逝かれとか

彰子中宮は落飾され、
脩子内親王も仏門に入られた

定子中宮のおん子としては、
脩子内親王のみ、
お残りになったのである

ただ、敦康親王のおん子、原子(女偏)姫が、
ただいまおん年十歳で、
道長公のご長男の頼通の君に、
養われていらっしゃると聞くが、
どうぞご無事にお成人あそばし、
お幸せな生涯でいられるように、
と祈らずにはいられない

則光はどうしているやら、
死んだという噂はまだ聞かない

則光と仲のよかった私の兄、
致信は悪たれ侍らしく、
頼光の手下どもに攻められて、
斬り殺された

私もその場に居合わせて、
おそろしいことであった

危うく巻き添えになるところだった

こいつもやってしまえ・・・
とはやり立つ侍どもの、
白刃にかこまれ、
震えながらも、

「あたしゃ、女だよ
まちがえないでおくれ!」

と大声で叫び、

「それに尼なんだ!」

といいつづけた

やっとのことで、
放たれたが世間では、
そのとき私が前をまくって、

「この通り」

と見せたというようにいわれている

(清少納言らしい・・・)

と侮蔑とも憐憫ともつかぬ、
笑いの石つぶてを投げられた

引退して一人住みの私は、
世間の好奇のまとであるらしい

私が逼塞して暮らしていると思い、
人々は憫笑の目を向ける

このあいだも、
若殿ばらが数人、
私の家の前で車に乗り過ぎつつ、
声だかにいった

「ここがかの清少納言の、
住み家らしいぞ
どうだ、この荒れたさまは
時めいて誇り顔の才女も、
こう落ちぶれ老いさらばえては、
もうひと言半句も、
気の利いた言葉は出まいな」

「男を男と思わず、
傲慢にふるまった罰じゃないか」

「夫も子も持たぬ、
女の末路はこれなんだなあ」






          


(次回最終章)

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