今朝、PCを開けるとメールが着ていた。
大切なあの人に気持ちが通じていた。
どれだけ時間をかけても祈ると思っていたのに、
この一晩でこんなによい知らせを受け取ることができるなんて。
ハレルヤ!神さま、感謝します。
私の祈りを聞いて下さって、私の罪を贖って下さって、
あぁ、神さまあなたのことが大好きです。
くぅ
8月の誕生石である「ペリドット」は、明るい緑色。
夜になってもこの光が失われないことから、
「イブニングエメラルド」と呼ばれることもあった。
先日、このルースを大量に見る機会があって、
見ているうちにどれが一番気に入るのか分からなくなってしまうほど、
どのルースも美しく、ルースの中に星形が見えるような気がした。
今はオーストラリアやUSAが主な産地で、
美しく研磨されたルースでキズの無いものは、なかなか希少となってきている。
私が見たルースもこのくらい耀いていて、
デザイナーさんのもとには20石以上はあったと思うのだけど、
どれも甲乙付けがたい綺麗なものだった。
緑の石は今まで選ばなかったのでペリドットもいいなぁと思う。
しかし、青緑となるとやっぱりパライバトルマリンにはかなわないな?
くぅ
今日の病院は辛かった。
昨日、よく眠れなかったということもあったかもしれないが、
今朝は今が何時かも分からないくらい朦朧としていて、
朝一番で病院に行くか、もう諦めて午後の一番に行くかギリギリまで迷っていた。
でも、朝にすませておくと後が楽なので、
気持ちが空っぽになったような自分の身体を引きずって病院へ行った。
ちゃだはここ2週間前ほどから続いていた朝の発作がここ何日か収まった。
ちゃだはアモキサンのカプセルを25mg錠と10mg錠を二つ持っていて、
1日100mg飲まないといけないところを、
10mg X 4錠で、ひょっとして40mgしか飲んでいなかった日が数日あったらしい。
そんなことですぐに症状が酷くなるかと疑問にも思ったけれど、
カプセルの計算を間違えないように飲むようになってから発作は起きていない。
三環系の古い薬だけど、ちゃだには効いているんだなと思った瞬間。
しかし、こんな事で・・と思うと、少し怖くもあった。
私はここ1週間ほど精神状態が疲れていた。
じわーっと沸いて出てくるいろんな感情にどん底まで疲れていた。
眠れない、中途覚醒、昼間のだるさ、息苦しさ、過呼吸。
全部、主治医に話したけれど、薬の変更などはこちらからは言い出さなかった。
この精神的辛さと、夏バテと、うつ病の症状の、
一体どれが一番酷いのだろうと思うけれど、それさえも分からない。
時が過ぎてしばらく経っても、結局は薬を飲み続け、
抗不安剤に依存してその量が増えていくという悪循環に陥っている。
ソラナックスとレキソタンをつまりODして依存している今の状態は異常だ。
私はまだそれを客観的に見ることができているだけでも、ましだと思いたい。
明日は元気になろう。
新しい日は新しい自分が生きていくから、
今日までの自分を引きずらないようにネガティブにならずに、
この長い長い病と闘っていく。
くぅ
※OD(オーバードーズ)=許容範囲を超えて薬を大量に飲むこと
私はある人を傷つけてしまった。
ちょっとのことで文句を言ってしまった自分が情けない。
しかも、私はその事情をこのブログに書いて、
自分が誰にもぶつけられなかった気持ちをここに吐き出していた。
それを読んで、その人が深く傷ついただろうと思うと、
私の罪はいったいどのくらい深いのだろうかと自分を打ちたたいた。
肉の古い自分はこんなにもドロドロと罪にまみれていて、
それでも神さまは十字架で贖って下さった。
そう思おうとしても、どうしても自分の重荷は取り去れない。
酷いことを言った、痛みを与えた・・・
私は最低だ。
そう思ったとき、クリスチャンを辞めようかと思ったけれど、
でも、クリスチャンとしてこの罪と向き合わなければ、
逃げていては何も解決はしないのだと思った。
神さま、どうか私が肉の部分に捕らわれないで、
新生された自分が神さまの御心にかなうようにして下さい。
心からの祈りを聞いて下さい。
私は心を広げて、あなたのお答えを待っています。
その人にもこの気持ちが通じますように。
そして二人共にあなたの祝福と癒しがありますように。
くぅ
オルガナイザーとは生物学用語で、
ある生殖細胞に別の生殖細胞をくっつけたら、
その別の細胞も育っていくという理論に用いる言葉である。
私の高校は3年間クラス替えが無かった。
美術・音楽・書道だけが別で、文系も理系も関係無しに同じ授業を受けていた。
担任も3年間替わることは普通はなかったのだけど、
1年の時の担任の体育の野山先生は2年時に転勤になった。
野山先生はラガーマンだった。
最後の言葉として私達に話してくれたのはご自身の経験だった。
「学生時代、同じクラブのラガーマンが急死した。
さっきまで元気だったのに、とみんながショックを隠せなかった。
なので自分はそれからメシを食うときも、おしっこをするときも、
全力でそのことをやろうと決心した。みんなも全力で生きて行ってくれ」
そういうものすごい言葉を残して野山先生は慕われながら転勤された。
2年時に担任になったのは生物科の吉田先生と言って、
品行方正、真面目を絵に描いたような人でみんなに煙たがられていた。
野山先生とのギャップが激しくて、始めは受け入れられなかった。
その先生が「みんなはそれぞれオルガナイザーになれ」と言った。
それは相手に影響を与え、新しいものを生みだしていく、
そんな人間になれということだった。
とにかく煙たかったし、この先生の言うことを真面目に聞いていたら、
自由な校風の私達の高校生活が堅苦しくなると思っていたけれど、
3年生の最後になると、吉田先生がいかに自分たちを思ってくれているかを、
みんなが感じ取っていて、私達は「ヨシダ学級」と自分たちのことを言い表して、
結束力も強かったし、何よりもみんなが仲が良かったし、
不登校になって朝の辛い生徒を何人もの友人が迎えに行っては登校させていた。
結果、私達は一人として欠けることなく全員で卒業した。
オルガナイザーという言葉を、何気なく読んでいた本の中に見つけ、
久しぶりに高校時代を思い出し、
私は3年間、恩師に恵まれたということを感謝した。
くぅ