つくづく、歴史を背負ってるなぁと思うわけです。
韓国歴史ドラマに見る階級差別、男女差別、みな儒教の影響と言えば
それまでですが、その文化?が日本に伝わって連綿と続いている。
今なお、クリーンアップされてはいない。
いくら男女同権を謳っても、文化は法律より根深い。
しかし、大黒柱という言葉が死語になっても、やはり家事は女性の仕事と
されるのは不思議と言えば不思議。
そこには男の甘えがある。
妻に母親を求める抜き去りがたい幼児性が残っている。
「アンタが作ってよ」と言いたくとも言えない女性の弱さ、
いや、波風を立てたくないという計算が男の甘えを助長している。
結局は、お互い相手をおもんばかる精神が欠落してるんでしょう。
ハッキリ言えば、結婚はしたが実のところあんまり相手を好きでない。
だから、相手が何を悩んでるか意に介さない。
気にするとすれば、それは自分にとって不都合なことがある場合。
だから恋愛は自己愛の変形と言うのだけど。(^^;
で、こんなことを考えるのは面倒くさいから
ハイハイやればいいんでしょ、と言うことになる。
それはそれでいいと私は思う。
どうしても嫌なら別れなはれ。(^^;
あ~いかん、つまらん結論になってしまった。(笑)
さて、本日の一枚。
奈良三輪神社前と言えば、やはり素麺。(^^;
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その役割分担が崩れた為、新たに同権のなんたるかを設定し直す必要があったのでは。
私は、まだまだ設定作業に時間が掛かると見ています。
その間、何度もこんな話題が出没するんじゃないでしょうか。
確かに彼らには、どちらの仕事だとか言う意識はあまり無いように見受けられますね。
しかし、普通、年寄りは「最近の若い者は、、」というのが通り相場。
まのじさんは逆ですね。
若いのかな。(^^;
全くそう思います。
そして、自分を大切にするとはどういう事かがこれまた難しい。
結局、人は分けが分からないまま年老いていくんでしょうかね。
いいじゃないのシアワセならば、でしょうが。(^^;
同時に、周囲を見渡すと、結婚しない人だらけ。
せっかく、結婚しても、なんだかんだと、別れて、
独り者に。役割分担といった面では、まだまだ、
旧態依然としているように見えて、これは、結婚して
子供がいる家庭。結婚あるいは同棲していなければ、
そもそも、分担してもらう相手がいないということに。
役割や収入、考え方など、男女の差がどんどん、
無くなっていけば、恋心なんて消滅してしまうような。
あちらにウンウン、こちらにソウソウと肯いてばかり。
文化によるものか、もっと根源的なものがあるのか、
とかく私の世代は、男女同権に過敏すぎたように思えます。
男女に係らず、それぞれに授けられたエネルギーのベクトルに、
素直になっているように思えるのが、今の若い子育て世代で
パパが上手に子供の世話をしているのを見ると、
ああ、上の世代を教訓にして育ってるなー、と感心します。
我々が「どっちの仕事?」といってる間に、
彼らは、易々と全部こなしちゃうのかも。
ちぇっ。
実際、子供+生活力不足で分かれたくても分かれられない人もたくさんいるとは思います
それと、人間は自分が一番
子供を必死に守るのも、人に優しい人も、自分がそうしたいから、自分がそうすることで、自己満足をするからだと思っています
自己満足は言葉が相当ではないかも知れませんが、結局は自分の中からふつふつと湧き出るものが、そのような行動を取らせると思っています
だからと言って、決してその人たちを冷めた目で見るとかではありませんよ、決して。
だから、自分を本当に大切にしている人は、自分のために、周りも大切にするのだと思います
周りを粗末にする人は、結局は自分を大切にしていないからでしょうね
自分を大切にするのは、かなり大変かも、どうやって自分を大切にしていいかわからないというのもあるようには思います、私がそうだから・・
テーマから、かなり引いた内容になってしまいましたが、大切にするというのは、相手を自分を思いやるということにつながり、もろもろの摩擦が発生しにくいと思うのです
字、言葉を知らないため、私の言わんとすることが伝わったでしょうか
長々とすみません