玉陽庵 算命学ブログ

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「神」の視点と「人」の視点

2014年11月06日 | 算命学 あれこれ
算命学の特徴として、同じ五行でも「神界五行」があり、
神の視点で人の宿命を捉える方法論があることが挙げられます。

理論的な事は難しいので置いておくとして。

「人の世の評価」と「神の評価」は同じではない、という点が
非常に興味深いのです。

何度か述べましたが、ここで言う「神」は特定の宗教の神様のことではありません。
自然の法則や、森羅万象そのものを算命学では「神」と呼ぶのです。

例えば、以前お話した「特殊な宿命を持つ人」の中で「格」という
ある種の型に入る方々がいて、財や名誉を伴うとてつもない上昇運を
経験する可能性があると述べました。
凡人である我々にとってはなんとも羨ましい、いわゆる「成功者」となる人々です。

では、このような稀有な運をお持ちの方を、「神」はどう見ているのか?

実は「神の視点」から見た彼らは、極々平凡な一生を送ると思われる方々の「下」に置かれます。
“神の恩寵があるからこその成功”ではない・・・これを教わった時、どれほど驚いたことか!

この世で最も神の恩寵を受けているのは、「五行のそろっている人」。
非常にバランスが取れていて、葛藤も少なく、取り立てて大きな欲もなく、抜きんでた才能もない。
だから、人よりも優れた成果を残そうとジタバタすることもなく、「中庸・中道」を行く。

彼らは人より抜きんでた成功をしない代わりに、平穏で安全な人生を神から約束されているのです。

算命学で最も「尊い」とされている星も、「司禄星」という、日常を大切にする星。
日々コツコツと努力を積み重ね、身近な人々に愛を注ぐ星です。
「神の視点」では、どんな成功も、名誉も、財も、「平凡な日々の暮らし」には及ばないのです。
これは、日々の努力や日常の些事、雑事をおろそかにしてはならない、ということでもあります。

徳のある僧侶など、人の道を説く方には、波乱万丈の人生を送ってきた方が多くおられます。
これにもきちんとした理由があり、波乱に満ちた人生を歩んだ人こそ、「中庸・中道」が
どれだけ得難く、尊いかを身をもって経験しているから。

人の世では評価をされない「平凡、中庸」は、実は最も尊い道なのです。

ここで注意しなければならないのは、算命学は「善悪を語らない」という点です。

「中庸・中道」からかけ離れた「非凡」の道を歩み、人の喝采を浴びることは、「悪」ではありません。

ドラマチックで、山あり谷ありの人生からは、学べることがたくさんあります。
このような宿命をお持ちの方は、おそらく精神の次元を一気に上げることを目指す、
向上心あふれる魂をお持ちなのでしょう。

バランスの偏りは時に大きな才能を生み出し、世の中に大きく貢献することもあります。

ただ、このような方は、同時に大きなリスクも背負います。
上昇運に乗り、華々しい成功を収めた後、運気の下降に伴って悲劇的な不運に見舞われる場合があるのです。
(本来の自分の分をわきまえていれば、このような不運はもちろん防げます)
「中庸・中道」にはあった「神の恩寵」、すなわち「安全」が無いのです。
(ただし、「中庸・中道」にはあった「運の上限」も無くなるという「神の贈り物」があります。)

この世は「平等」ではありません。
ただ、神は「公平」です。

神の守りの無いリスクを背負っても賭けに出る、波乱に満ちた人生を歩むか。
神の守る、中道の道を淡々と歩むか。

どちらの人生にも大きな意義があるのだと、どうぞ覚えていてください。

「人の世に賞賛される成功者」だけが成功者なのではなく、視点を変えて見れば
「平凡な暮らしを全うする者」もまた立派な成功者なのです。

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