前向きな人生の整理整頓

人生も後半、一日が短いです。明日やると思っても、若者のようには明日はたくさんないのかもと気づいた今日この頃

センター試験や尾崎何とかや

2020年01月19日 23時07分19秒 | 音楽

日曜日、わたしには今、あまり関係ないのだけど、

それでも少しのんびりしてしまいます。

現在、眼病を患っているわたしは、ホットアイマスクをして暫し

寛いでいました。

 

視界が塞がっていると何もできないので、自然、色々なことを

考え、他の知覚がいつもよりマシな働きをします。

 

今朝、センター試験の問題が新聞に載っていました、

毎年、国語の小説の問題だけは目を通します。

時間があったので解いてみることに。

と、いうのも原民喜の「翳」が出題されていたからです。

一応、解けました。けれど、何か名状し難いものが残りました。

不満な感覚です。

上手く言えませんが、問題になり、明確な解答を追うと

書き手の思いを感じることが散漫になる気がします。

まあ、それが試験であり、一々感じ入ったのでは時間が足りませんものね。

古い記憶を辿ると、受験の頃、いつも漢文の辺りは時間も足りず、

焦って、投げていた記憶があります。

大学入試の問題になるということ、果たして書き手にとって誉なのか?

そんなことをぼんやり考えていました。

 

聴くともなしにつけていたラジオ。

クリープハイプとかいうバンドの尾崎なんとかという人が出て

喋っていました。

随分、人気者らしくて司会の人たちも持ちあげて、

詞の世界が素晴らしいと言っています。

リスナーからのコメントも

絶賛だったので、期待を込めて聴きました。

アイマスクをしているので、ワクワクしながら。

 

何を歌っているのか、半分くらいわかりませんでした。

やや、ラジオのチューニングがあっていないこともありましたが、

それを割引いても、言葉が聞き取りにくくて、

聴きづらい声にわたしは感じました。

ああ、わたしは完全に今の時代の音楽についていけなくなっているのだ。

少し、落ち込みました。

 

尾崎何とかさんの話によると、

みんなに受け入れられ、届くことはうれしいが、

届かない場合もあり、それはそれで受け止めて

活動の糧にしていると。

爽やかで、好感の持てる考え方だと思いました。

レトリックな歌詞が売り物らしい(多分)

それを伝え、伝わることを糧にもしているらしいが、

わたしには響きませんでした。

ただ、音楽をやっている人は伝えたいことがある人なのだと

つくづく思いましたよ。

 

何事においても少数派のわたしには理解できずとも、

真価はこれからの時が決めることでしょう。

多くの人の胸を打つものは残っていきますから。

青き時代、盗んだバイクで走りだす尾崎豊が理解できなかったわたしが、

黄昏ても、尾崎何とか、もとい、尾崎世界観がわからなくって当然なんだ。

 



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