武本比登志の端布画布(はぎれキャンヴァス)

ポルトガルに住んで感じた事などを文章にしています。

219. 犬と猫と観葉植物、そして蟹と鼠も Cães, gatos, plantas domésticas e até caranguejos e ratos.

2025-03-01 | 独言(ひとりごと)

武本比登志の油彩F30(画像と文章は関係がありません)

 ポルトガルに居ても、日本で個展をするために、毎年2~3か月は帰国をしていたし、国内外の旅行も多かったので、とても犬や猫を飼うことが出来ると言う環境ではなかった。いや、犬や猫だけではなく観葉植物などでさえ育てることは出来なかった。

 ポルトガルでの34年間はそういったものから無縁の生活であったのだ。

 MUZなどは、ポルトガルで他人が犬の散歩をさせているのを見ながら「いいな~。羨ましいな~」などといつも言っていた。

 住んでいたマンションのお向かいのローマンさんの家では2頭の小型犬を飼っていたし、わが家の二つ下のジョアキムさんの家でも猫を飼っていた。その猫は時折廊下で自由にさせていたものだから、隙あらば我が家に入り込もうとしたりしていた。猫が好む匂いがしていたのかも知れない。

 海外に住んでいても最初のスウェーデンの終盤では我が家でも猫を飼っていた。

 スウェーデン人の友人の友人宅で猫が生まれたのでいらないか?と言われたとのことでMUZが貰って来て、飼ってみたのだが、猫を飼ったのはその時の1度だけだ。

 グレーの雉猫で未だ子猫だったが『次郎吉』と名付けた。我々は2人とも外で仕事をしていたものだから殆どは次郎吉1匹が家で留守番だ。仕事から家に帰って鍵を開けようとすると、遠くの部屋から、たたた、たたたっと玄関に走って来る可愛い足音が聞こえる。余程寂しかったに違いない。

 それでも散歩に連れ出したこともないし、家の中だけで飼っていた。スウェーデンでは猫に猫用のリードを付けて散歩をしている姿をよく見かけたし、ウサギでもその様にしていたのを時折見かけた。

 建物は大きなマンションの学生寮で我が家は確か4階だったと記憶している。学生寮と言っても、日本では考えられない夫婦や子供の居る家族用で、階下には住民なら自由に使える、卓球場や共同ランドリーやサウナもあった。

 次郎吉は4階のベランダの手すりに乗って外を眺めるのが好きだった。猫と言へども落ちたりしたらひとたまりもない。危険だから止めさせようとしたが、次郎吉は聞かなかった。

 そしてある日、案の定転落してしまった。見当たらないので下を見ると植込みのところでうずくまっていた。足の骨を折ってしまったのだ。

 動物病院へ連れて行き治療をして貰った。ギブスを嵌められ頭にはプラスティックのバケツの底を抜いた様なものが被せられた。次郎吉は情けない顔をしていた。何度か病院へ通って完治した。

 スカンジナビア半島の最北端ノードカップまで旅行した。クルマだから次郎吉を連れて行っても良いかなと思ったが、日本人の友人が留守番をしてくれると言うことになったのでお願いをした。次郎吉の餌やりと観葉植物の水遣りである。

 ノードカップから帰って来ると次郎吉は居なかった。再び4階のベランダから遁走したのである。僕たちが出発して間もなくのことであったらしい。友人はあちこち探し回ったとのことであるが、見つからなかった。

 宮崎の我が家のお隣でも猫を飼っている。たいていは自由にさせている様で、わが家の敷地内にも入ってくる様だし、目の前を横切ったりもするが、ある程度の距離をとって、近づこうとはしない。僕に警戒心を持っている顔つきだ。

 ポルトガルに住む前の宮崎では大きな敷地に住んでいて、複数の犬を飼っていた。ポメラニアンの老犬『メリーさん』も居たし、どこからかやって来た雑種犬がたくさんの子犬を生んだ。雄たちは皆引き取られていったのだが、雌1頭が残った。黒白茶色の三毛だから犬なのだけれど『ミケーニャ』と名付けた。紀州犬の雑種も何処からか来て居ついていた。白かったので『ブランコ』と呼んだ。

 徳島の友人宅で血統書付きの柴犬に子犬が産まれて、そのうちの1頭だけ貰い手がなかったそうで僕が貰うことにした。僕がメリーさんを散歩させているのを見て、その友人は「似合わない」と笑って柴犬を勧めた。クルマで大阪からの帰り徳島に寄って陸路とフェリーの長旅をして連れて帰った。長旅でクルマに酔ったらしくて、宮崎に着いても寝てばかりであったので『スリーピー』と名付けた。

 『アギラ』と呼んでいた猟犬も居たこともある。メリーさん以外は全てMUZが名付け親であった

 『アギラ』はある日、繋いでいた鎖から居なくなっていた。元の飼い主が連れて行ったのかも知れない。『メリーさん』と『スリーピー』は寿命を全うし、僕の手で埋葬をした。『ブランコ』はポルトガル移住を決めてから、鶏舎の番犬にと友人が引き取ってくれた。『ミケーニャ』は僕たちがポルトガルへ移住するのを察知してか、その寸前に姿を消した。不思議なことが多い犬であった。どれも家族の一員で思い出は深い。

 34年間のポルトガル暮しを終え、もう宮崎に定住なのだから、猫でも犬でも飼おうと思えば飼うことはできる。

 でも何だか他人が犬の散歩をしているのを見ても、羨ましいとも思わないし、MUZも飼いたいとは今のところ言わない。

 猫や犬どころか、観葉植物を育てたいとも言わないし、大淀川の河川敷を散歩の途中、蟹の姿を見つけては、それだけで満足している様にも思う。

 お隣の猫が一定の距離をとり目の前を横切って、僕に対して警戒心露わに睨みつけて過ぎ去っていくのを、僕は心の中で「ネズミを獲れよ~」などと言いながら、楽しんで睨み返している。VIT

 

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2 コメント

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Unknown (毛津有人)
2025-03-01 10:29:38
広いお屋敷に悠々自適にすごされているようで羨ましい限りです。こちらは現代版方丈記の毎日です。猫が飼えれば自分の人生は完璧だと思うのですが、市営住宅なので禁止されています。
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土地 (武本比登志)
2025-03-02 09:04:47
>毛津有人 さんへ
コメントありがとうございます。広い土地に住んでいたのはポルトガルに行く以前で、今は40坪ほどの狭いところです。以前には山の中で自分の土地が1500坪で隣接の国有地が1000坪ほど、それも自分の土地のように使っていましたが、庭を猪が横切り、山猿が飼い犬にちょっかいに出しに来るような場所でした。
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