エリカ・ウンベラタ Erica umbellata の接写(マクロ写真)を撮っていた。以前に同じ場所で撮った花は少し盛りを過ぎていて、もう少し新鮮な写真が欲しかったからだ。夢中になってピントが合うのを見ていた。慣れない真新しいバカチョンデジカメで、マクロには設定してあるが、なかなかフォーカスしない。何だか背後で息使いをする様な音が聞こえる。そしてその後、コンコンと背中をノックされた。何とかピントがあった様なのでデジカメのシャッターを切った。
エリカ・ウンベラタのマクロ写真。小さい花で花の長さは1cmに満たない。
後ろを振り向いてみると、大きな犬の顔がそこにあった。エストレラ犬だ。何故かその時は驚きもしなかったのが自分でも不思議だが、後で考えてみると驚いて尻餅を搗いていてもおかしくはなかった状況だ。
エストレラ犬はセントバーナードに匹敵するほど大型の牧羊犬だ。その犬も身体こそ大きいとはいえ未だ子犬だった様だ。一緒に記念撮影する暇もなく残念ながらすぐに姿を消してしまった。僕を飼い主の羊飼いのおじさんと間違えたのかも知れない。
エストレラ山はポルトガル本土で一番高い山で、標高が1993メートル。そのエリカの群生地は山頂よりも少し100メートルばかり下の石灰岩のごろごろした平原にあり、色、形の違う3種類のエリカがまだら模様の様に群生していてそれに黄色いハンニチバナ、ハリミウム・コムタツム Halimium commutatum が加わり、以前に訪れた時にはそれは美しく見事であった。只、このウンベラタ種だけは盛りを過ぎていたのだ。
そこで今回の旅は前回より1週間早める旅にしたものの、エリカたちは既に色褪せ終わっている様に見えた。
エストレラ山に行くのはこれで3度目だ。もう既に慣れたもので、どこに何があるか、どれほどの距離、おおよその所要時間などがだいたい頭に入っている。
今回の旅では4泊するつもりで出発の前日にホテルは4泊ともネット予約しておいた。週間天気予報を見てからだ。
週間天気予報では雨こそ降らないものの、後半には冷え込む予報が出ていた。麓の町、コビリャンで最高14度、最低は2度と真冬並みの寒波が来るらしい。山頂を通過するのを当初は後半に考えていたが、初っ端に変更した。一番寒くなる時には山頂は避け、南側の山筋を通ることにして、そのようにホテルの予約を入れた。最初と最後は基点になるコビリャンのホテルで以前に泊ったのと同じホテルだ。結局4泊のうち3泊が以前と同じホテルということになった。
リスボンに届け物があるので、いつものアレンテージョ回りではなく、テージョ川の北側に沿って走る高速道を使うことにした。ところが高速料金所の少し手前でMUZが自分のデジカメを忘れたのに気がついて、どうしようかと言う事になった。料金所の手前とは言え既に高速道路には入っている。高速で考えた結果、取りに戻ることにした。2時間のロスであるが、今回の旅はゆっくりの旅程を組んでいるので、それ程ロスでもないし、慣れた道で行く方が良いのかも知れない。
2時間遅れとは言え、最初の予定通りである。アライオロスのトラック食堂で遅い昼食をとる。アライオロスからエストレモス、ポルトアレグレ、カステロブランコそしてフンダオンを過ぎればコビリャンはすぐだ。
途中は一部、高速道路を使う。高速道路といってもSCUTと言って、インターチェンジも料金所もない。
自然に誘導されていつの間にか高速道に入ってしまう。ところどころの道路の上にクルマのナンバーを感知するセンサーが取り付けられていて通過したクルマに料金が加算される仕組みだ。前もって登録してあれば自動的に銀行口座から引き落とされるのだが、登録していなければ後日、郵便局に払いに行かなければならない。それが面倒でなるべくならSCUTの高速道路は使いたくないのだが、今回も少しだけ使ってしまった。
リスボンのまだ先までを往復したにも拘らず、基点の町コビリャンにまだ明るいうちに着いてしまった。距離は結構走っている。コビリャンのガソリンスタンドで満タンにしてからホテルにチェックイン。
トラック食堂の昼食が遅かったので夕食は入らない。途中のスーパーでワインと、チョリソ、チーズそれにナッツを仕入れておいたので、ホテルの部屋で軽く呑む。熟睡。
朝食はホテルでたっぷりと食べ、準備万端、デジカメは1台ずつ、早速エストレラ山を目指す。今日の行程はゆっくりであるから、途中何度も路肩に停めては野の花観察をする。当初泊る予定にしていた、ユースホステルを過ぎたあたりでも観察をしてみる。今回の旅での大きな目的の一つにビオラ・ルテア Viola lutea(黄色い高山スミレ)を観察することがある。以前の旅では山頂を過ぎた岩場の平原あたりで見かけて写真撮影をしている。ところがほんの少し(3輪)しか観察出来ていないのと、ピンボケ写真が多くあって、今回はもう少し良い写真を撮りたいと思っての旅である。出来れば群生を見てみたい。
マメ科の黄色い花だが異常に毛深くて今までに見たことのない花が群生している。それにナデシコ、ダイアンサス・ルシタヌス Dianthus lusitanus が未だ新鮮な花を咲かせているし、鮮やかな黄色いセダム・アンプレクシカウレ Sedam amplexicaule もあちこちに咲いている。雨の降らないアレンテージョではもう既に殆どの花はなく、枯れ野原と化しているのに対しエストレラ山は今が盛りだ。
クルマに戻りかけて路肩のところに黄色い小さい花を見つけた。或いは踏んでしまったかもしれない。良く見るとスミレである。何とビオラ・ルテアである。今回の旅の目的であるビオラ・ルテアが早くももう見つかってしまった。路肩沿いに丹念に探してみると、株立ちなども自生していた。これは以前の場所、山頂を少し越えた岩場の平原が楽しみである。群生があるに違いない。
気を良くしてもう少し、マリアの展望台まで走った。大きな一枚岩にマリア像が彫られ、誰もが休憩する場所だ。湧き水が流れていて、少し植層が変っていて、珍しい花を以前にも見かけているところだ。やはりいろいろと咲いている。きょうもカンパニュラ(ツリガネソウ)を見つけた。高山性のカンパニュラで我々にとっては初花である。
ところが何とこの場所でデジカメのバッテリーが切れてしまった。今まで途中では切れたことのないMUZのデジカメのバッテリーまでも切れてしまった。2台ともアウトだ。家を出る前には十分に充電しておいたのだが、昨日は走るだけであまり写真は撮らなかったこともあり、昨晩のホテルでは充電をしなかったのだ。それにバッテリーの寿命も減っている様だ。写真撮影はこれからが本番。今夜泊るホテルでは充電は出来るが、今日のこれからが本番なのだ。
考えた末、コビリャンまで戻ることにした。2時間のロスになる筈であったが時間は充分にある。コビリャンにはショッピングモールがあり、バッテリーくらいは売っているだろうと思った。ポルトガル全国チェーン家電量販店のウォルテンがショッピングモール内に入っている。
上りには意外と気付かないが、かなり上ってきた様だ。下り坂をぐんぐん下る。ギアをセコンドに落としてエンジンブレーキでぐんぐん下る。
無事コビリャンショッピングモールに到着。早速、ウォルテンの店員に聞いてみると、ちらっと見ただけでよくよく調べもしないであっさりと「ない」という。半ばまでとは言えせっかく上った山を下りてきたのだ。諦めきれる筈はない。幾つかのバッテリーがぶら下げてある場所に行って自分で調べてみたがやはりなかった。そこにいた別の店員にもう一度尋ねてみたら「取り寄せです」という。「このコビリャンの町に専門店はないのですか」と聞いてみたが「ない」という。万事休すである。
諦めるしかないか。と思ったが、MUZが「このデジカメを買ってしまったら」という。そこには日本製や韓国製のデジカメが展示されていた。僕のデジカメももう随分使っている。今年帰国した折にドイツ人のロルフさんから「古いデジカメを使っているね」などともからかわれたくらいの代物だ。そう言えばもう既に12~3年も使っているのかも知れない。メディアも買い替えたし、バッテリーも買い替えたが何の支障もなく使っている。デジカメもどんどん進化しているが、僕は基本的に写真が撮れれば良い訳で今のデジカメで充分だと思っている。でも取り寄せのバッテリーの価格は案外高額だし、最新式のデジカメは安価で勿論バッテリーは標準装備されている。
一眼レフなどもずらっと展示されている中で一番小型のニコンのデジカメを選んで思い切って買うことにした。一眼レフならそれは良い写真が撮れるのだろうけれど、僕はスケッチブックも持たなければならないし、あまり嵩張るデジカメは必要がない。小さくても8倍ズームでマクロも問題なさそうだ。取扱説明書はヨーロッパ言語でしかない。スペイン語、ポルトガル語、チェコ語、スロバキア語の4カ国語の取扱説明書が同梱されていて、英語もフランス語もなく、勿論、日本語もない。店員に「日本企業のカメラなのに何で日本語がないのだ」と冗談に言ってみると「ここはヨーロッパだからね」と返ってきた。
ついでにショッピングモール内のファーストフード店でサンドイッチの昼食。
マリア像の休憩所を過ぎたあたりまではノンストップで坂道を上る。
エストレラ山の頂上は平らな平原になっていて、気象観測の古めかしいドーム屋根のレーダー塔が2棟と土産物屋の建物があるだけ。側に、冬場にはポルトガルで唯一のスキー場となるゲレンデがあり、そのリフトがある。もちろん冬場だけのもので今は作動していない。2日後に寒波が来る予報が出ているだけにさすがに寒い。我々はウインドブレーカーを着込んでいるが、他の観光客は下界の服装のまま、短パンにティシャツ1枚、ノースリーブの人もいるが、さすがに寒そうにして急いでクルマに引き返している。
ひと通り土産物屋を見てみたが買いたいものは何もない。その土産物屋でエストレラ山特産のチーズを挟んだサンドイッチが売られていて、以前はそれを昼食として山頂の岩に座って食べたのが旨かったので、今回もその予定であったが、コビリャンのショッピングモールで昼食を済ませてしまったので、今回は買えない。
山頂を過ぎたあたりにエリカの群生地があり、今回、エストレラ犬に背中を突かれたところだ。それを更に下ったあたりでエリカ・ウンベラタのより新鮮な花を見つけたので、停車して撮影。そこにはエリカ・ウンベラタだけではなく高山性のカンパニュラ。これは今日の新花。それにビオラ・ルテアも少しだけ咲いていた。
そしていよいよ以前にビオラ・ルテアを観察した岩場の平原に着いた。以前と同じようにアルメリア・ガディタナ Armeria gaditana のピンク花が綺麗に咲いている。そんなアルメリアの群生の中でビオラ・ルテアを以前は見つけたのだ。そのあたりを丹念に探してみたが、一株も見あたらない。群生を期待していたが、たったの一株もない。
その後も、何度も停車してビオラ・ルテアを探してみるが、最初の2箇所で見かけただけでその後は全く見つからない。
その夜はセイアのホテル。コビリャンがエストレラ山の東側麓なのに対し、セイアは西側麓にあたる。このホテルも以前に泊ったホテルだ。
夜に3台のデジカメと携帯の充電をしっかりとしてぐっすりと熟睡。
朝、セイアのホテルを出て、きょうはエストレラ山の南側稜線を走る予定。僕はベルトの右と左にデジカメ。二挺拳銃だ。
その途中に今夜泊る、ロリガという村がある。この道を走るのは初めてである。初めてであるが距離的には僅かで、当初は早い目に着いてそのあたりの森に入り山野草の観察をするつもりであった。
ロリガの村に行く途中からもエストレラ山の頂上に行く別の道がある。ビオラ・ルテアの群生が諦めきれずにその山頂へ続く道に入った。立派な道であるが、ほとんどクルマが通らない貸切道路状態である。いろんな花が咲いているが残念ながらビオラ・ルテアは一株もなかった。やはり稀少な植物なのかも知れない。
ロリガのホテルは国道沿いにあるが、村は谷底にある。ホテルの部屋からはロリガの村が俯瞰できる。部屋から幾つかをスケッチした。
ロリガの村はずれに天然のプールと古代ローマ街道のハイキングコースがあり、歩いてみるとやはり珍しい花がいろいろとあった。天然のプールではヒッチハイクだというフランス人の若者男女3人が泳いだあとらしく甲羅干しをしていた。真冬並の寒波の筈であったが、それ程にもならなかった様だ、が多分寒かったのだと思う。日溜りで3人が寄り添い縮こまっていた。きょうは3台のデジカメともバッテリーが切れることはなかった。
ロリガを出て、コビリャンへ戻る道沿いは途中からは以前にも走った道だ。その途中ウニャイスという村がある。その村はずれ手前に水が沸き出る山道があり、以前にもいろいろと花の写真を撮ったところだ。以前とは反体車線なので一瞬に通り過ぎてしまった。そしてその入り口には1台の商用車が休憩していた。
ウニャイスのカフェでコーヒーを飲んでいる内に引き返すことを思いついた。僅か20分ほどの後戻りであるが、今回のエストレラ山では最後の観察になる。
今回の旅では初から実に引き返すことが多い旅となった。以前なら行き当たりばったりその日の宿はその場所に着いてから、という旅が多かった。今ではネット予約で便利になった反面、却ってがんじがらめの旅となってしまっている。
そんな中で、行きつ戻りつ、今までにこんな旅もなかった様な気がする。こんな予定通りにいかない旅も、あるいは旅の醍醐味なのかも知れない。VIT
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