僕は数字に弱く、計算は苦手な方だが、最近はつり銭などの計算が少し得意になりつつある。
ポルトガル人も計算に弱くしょっちゅうつり銭を間違える。
もちろん全部が全部そうでもなく強い人もいるとは思うが、僕以上に弱い人も多い。
日本人ならつり銭を考える場合、引き算で考える。
15ユーロの品物を買って、20ユーロを出すと、20から15を引いた数、5がお釣りということになる。
ポルトガル人は逆で、品物が15だからそれに足し算をして、客から貰った20になるまで加えるやりかただ。
15から16,17,18,19と20まで1つずつ加えていく。
これは計算が苦手な僕にとっては合理的であまり頭を使わなくても良い方法に思える。
ポルトガル人はそれでもよくつり銭を間違える。
01.
これはいけない事だとは思うが、日本でならつり銭をそれ程気にしない。
貰ったつり銭をろくに確かめもせずにポケットにねじ込む。
商売をしている人を全面的に信用しているのか、まあ間違っていたという経験も少ない。
最近はレジスターにちゃんとつり銭が表示されるから、レジの人も計算をしなくても済むのだろう。
日本に毎年2~3ヶ月帰るが、その時はつり銭にあまり神経を使わずに、そんな感じで生活をしている。
その気分のままポルトガルに戻ってきた日には要注意である。
ポルトガルでは目を皿のようにしておかないと、間違える。
それは故意に間違えるというものでもない。
つり銭が多すぎることも少ない時と同じくらいあるのだから…、要するに計算に弱いのだ。
このところも3度続けざまにつり銭間違いがあった。
こちらは日本人だから、あらかじめ引き算をしてつり銭が幾らくるかを計算しておくのだ。
先日、メルカドでおばさんから人参1キロとインゲン豆500グラムを買った。
人参が1キロで0,70ユーロ、インゲン豆は1キロが3,40ユーロだから半分で1,70ユーロ。
合計で2,40ユーロである。
それに5ユーロ札を払った。
引き算すると簡単でお釣は2,60ユーロになる筈である。
おばさんは足し算をしている筈がどこかで勘違いをして、2,40ユーロしかくれない。
「間違っている」というと、今度は別の勘違いを起こし、3,40ユーロをくれようとする。
途中からはパニック状態になっているようだ。
1ユーロを返して、「20センチモを下さい。」と言ったら喜んでいたが、最終的に理解できたのかは疑わしい。
よくあれで商売ができるものだと思ってしまう。
露天市で5ユーロのティシャツを買った。
20ユーロ札を払ったから、つり銭は15ユーロである。
それなのに25ユーロをくれようとする。
ただでティシャツをくれた上に5ユーロを上乗せするとはどう考えても商売にはならない。
02.
そんな商売人だけではない。
金融機関の郵便局の窓口でもである。
荷物を受け取りに最寄りの郵便局に行った。
ついでに日本向けの封書用の切手を50枚買った。
毎年の様に値上がりがするので、「幾らの切手を下さい。」とは言わずに「日本向けの切手を50枚下さい」という言い方だ。額面は今回値上がりなしで、0,74ユーロであった。
僕は計算が苦手だから、独特(?)の計算をする。
0,74x50というやりかたはしない。それをするには計算機がいる。
0,74ユーロを100倍にする。そうすると74ユーロになる。
50枚だからその半分であるから、37ユーロということになる。
窓口で40ユーロを支払った。お釣は3ユーロの筈である。
窓口から出されたつり銭は2ユーロとナニガシかの小銭であった。
小銭が出る筈がない。
MUZは「手数料を取られたのかしら?」などと言っているが、そんなものはいらない筈だ。
貰った小銭を全部出して「間違っている」と自信をもって言うのが一番である。
窓口の女性はおたおたと計算をやり直して、間違いに気付いてくれた。
「日本人は計算機もなしで、何と計算に強い!」と思っているかもしれない。
最近は現金を使う事も少なくなってきている。
百貨店やホテル、レストランはもちろん、大型スーパーやガソリンスタンドではクレジットカードで支払う。
ブティックでもそうだ。
日本では、コーヒー1杯でも、なんでもデビットカードとかいうもので支払えるらしい。
乗車券などは改札口で携帯電話をかざすだけで決算できる仕組みになっている。
コカコーラの自動販売機もそうだという。
高速料金でも料金所を60キロのスピードで走り抜ける。
それを感知して銀行口座から引き落とされるのだ。
今どき、つり銭がどうのと言っている時代ではないのかも知れない。
僕は最近せっかくつり銭の計算が少し強くなってきたと自負しかけていたのに、もう時代錯誤でそんなつり銭計算などは昔話になる時代がもうそこまで来ているのかも知れない。
でもメルカドで人参やイワシを買うのに携帯電話をかざしてみてもはじまらない。
やはり間違いながらでも、小銭のやりとりでイワシなどは買いたいものだ。
VIT
(この文は2006年1月号『ポルトガルの画帖』の中の『端布れキャンバスVITの独り言』に載せた文ですが2019年3月末日で、ジオシティーズが閉鎖になり、サイト『ポルトガルの画帖』も見られなくなるとの事ですので、このブログに少しずつ移して行こうと思っています。)
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