「中國古印圖録」(大谷大学 1964)は、大谷瑩誠が蒐集した756個全ての古印の外観、印面、印影図録である。1) 巾広く蒐集した官印、私印の写真と印文、鈕状、大きさ、材質の表がある。但し、その印章の作成時代については、記載がない。印文中に「將軍印」、「將軍章」、「將軍」がある印がまとまって示されているので、ここではその部分につき詳しく見てみる。この内の約8印程度が南北朝のものと筆者は推量する。2) なおこの図録にも「△△軍印」はなかった。
1. 「中國古印圖録」(大谷大学 1964)
「將軍印」、「將軍章」、「將軍」、「將軍印章」の印章 →写1、2
No. 印文 鈕状 大きさ(mm) 材質
287 裨將軍印 瓦 23.2×23.2 銅
288 裨將軍印章 亀 24.0×24.2 銅
289 偏將軍印章 亀 23.2×23.9 銅
290 建威偏將軍 亀 24.0×24.2 銅
291 建威偏將軍 鼻 24.0×24.1 銅
292 宣威將軍章 亀 25.0×25.6 銅 鎏金
293 鷹揚將軍章 亀 25.0×24.5 銅
294 鷹揚將軍章 亀 21.4×22.4 銅
295 鷹揚將軍章 亀 20.8×20.8 銅
296 鷹揚將軍章 亀 22.0×22.0 銅
297 寧朔將軍章 亀 23.0×23.0 銅 鎏金
298 平難將軍章 亀 20.9×21.0 銅
299 廣武將軍章 亀 20.8×20.0 銅
300 建武將軍章 亀 22.0×23.0 銅
301 綏戎將軍印 亀 鈕損 25.0×24.8 銅
302 凌江將軍章 亀 26.0×24.9 銅
303 凌江將軍章 亀 23.5×23.8 銅
304 驅威將軍印 亀 23.8×23.8 銅
305 綏邊將軍印 亀 28.9×28.9 銅
306 討難將軍印 亀 25.2×26.8 銅
307 盪難將軍印 亀 28.0×27.9 銅
308 殄寇將軍印 亀 29.2×29.5 銅
309 蒲類將軍 亀 22.1×22.4 銅
計 23印
2. 分かったことを列挙する。
(1) 印文は、「將軍印」7印、「將軍章」11印、「將軍」3印、「將軍印章」2印 であった。
(2) 鈕は、亀21印、瓦1印、鼻1印であった。官位四品~九品でも9割が亀鈕であった。
(3) 全て銅製であり、うち鎏金が二つあった。
(4) 全て、陰刻、白文、篆書体であった。
(5) 印の大きさは、方20~30mmであり、方30mmより大きいものはなかった。
(6) 印面の台は、厚みがあり、重量感がある。
(7) 全756個の一覧表で、方形印の大きさについて調べると、No.354「帰趙侯印」3)だけが、35.9×35.0mmであり、唯一 方30mmより大きな印であった。但し、その印影は、まわりの25mm程度のものと同じ大きさに見えた。数字の誤植の可能性があると推測し、印を所蔵する大谷大学・博物館に調査を依頼したところ、やはり誤植で、実物は方24mmであることが確認できた。その結果、所蔵の印は全て方30mm以下の大きさであった。(長方形の印で、縦32~42mm×横13~15mm と縦だけが大きいものは4印あったが)
まとめ
「中国古印図録」(大谷)の756個全ての印は方30mm以下の大きさであり、将軍印章は、亀鈕が9割で、陰刻白文、篆書体であり、伊豫軍印に似たものはなかった。
大谷大学図書館 図書・博物館課の鈴木善幸様にお礼を申し上げます。
注 引用文献
1. 「中國古印圖録」(大谷大学 1964)
web. 国立国会図書館デジタルコレクション「中國古印圖録」 75~78、176~177コマ
Wikipedia「大谷瑩誠(おおたに えいじょう)(1878~1948) 浄土真宗の僧で、真宗大谷派連枝。東洋学者。第13代大谷大学学長。」
2. ホームぺージ「真微印網」(台湾 1995創立)
真微印庫>印學在線>數位印譜>篆刻風格單元>印風典範篇>將軍印風印譜
載せられた将軍印章は、漢8印、三国16印、晋16印、五胡十六国41印、南北朝42印 計123印、これより南北朝印の割合は42/123=0.34となる。これと同じ割合で23×0.34=8と推量した。
3. 「帰趙侯印」は、帰順した「蛮夷」異民族である「趙」の侯へ「西晋」から下賜された印である。「趙」(ちよう)は、二つあり、① 五胡十六国の一つ 前趙(304~329)。南匈奴の劉淵の建てた国。最初の国号は漢。西晉を滅ぼし、長安を都として国号を趙に改めたが、その臣石勒に滅ぼされた。② 五胡十六国の一つ 後趙(319~351)。匈奴系羯(けつ)族の石勒の建てた国。鄴(河北省磁県)を都としたが、漢人の冉閔(ぜんびん)に滅ぼされた。(精選版日本国語大辞典)
写1. 中国南北朝の「将軍印章」No.286~297(「中國古印圖録」(大谷大学 1964)より)
写2. 中国南北朝の「将軍印章」No.298~309(「中國古印圖録」(大谷大学 1964)より)
1. 「中國古印圖録」(大谷大学 1964)
「將軍印」、「將軍章」、「將軍」、「將軍印章」の印章 →写1、2
No. 印文 鈕状 大きさ(mm) 材質
287 裨將軍印 瓦 23.2×23.2 銅
288 裨將軍印章 亀 24.0×24.2 銅
289 偏將軍印章 亀 23.2×23.9 銅
290 建威偏將軍 亀 24.0×24.2 銅
291 建威偏將軍 鼻 24.0×24.1 銅
292 宣威將軍章 亀 25.0×25.6 銅 鎏金
293 鷹揚將軍章 亀 25.0×24.5 銅
294 鷹揚將軍章 亀 21.4×22.4 銅
295 鷹揚將軍章 亀 20.8×20.8 銅
296 鷹揚將軍章 亀 22.0×22.0 銅
297 寧朔將軍章 亀 23.0×23.0 銅 鎏金
298 平難將軍章 亀 20.9×21.0 銅
299 廣武將軍章 亀 20.8×20.0 銅
300 建武將軍章 亀 22.0×23.0 銅
301 綏戎將軍印 亀 鈕損 25.0×24.8 銅
302 凌江將軍章 亀 26.0×24.9 銅
303 凌江將軍章 亀 23.5×23.8 銅
304 驅威將軍印 亀 23.8×23.8 銅
305 綏邊將軍印 亀 28.9×28.9 銅
306 討難將軍印 亀 25.2×26.8 銅
307 盪難將軍印 亀 28.0×27.9 銅
308 殄寇將軍印 亀 29.2×29.5 銅
309 蒲類將軍 亀 22.1×22.4 銅
計 23印
2. 分かったことを列挙する。
(1) 印文は、「將軍印」7印、「將軍章」11印、「將軍」3印、「將軍印章」2印 であった。
(2) 鈕は、亀21印、瓦1印、鼻1印であった。官位四品~九品でも9割が亀鈕であった。
(3) 全て銅製であり、うち鎏金が二つあった。
(4) 全て、陰刻、白文、篆書体であった。
(5) 印の大きさは、方20~30mmであり、方30mmより大きいものはなかった。
(6) 印面の台は、厚みがあり、重量感がある。
(7) 全756個の一覧表で、方形印の大きさについて調べると、No.354「帰趙侯印」3)だけが、35.9×35.0mmであり、唯一 方30mmより大きな印であった。但し、その印影は、まわりの25mm程度のものと同じ大きさに見えた。数字の誤植の可能性があると推測し、印を所蔵する大谷大学・博物館に調査を依頼したところ、やはり誤植で、実物は方24mmであることが確認できた。その結果、所蔵の印は全て方30mm以下の大きさであった。(長方形の印で、縦32~42mm×横13~15mm と縦だけが大きいものは4印あったが)
まとめ
「中国古印図録」(大谷)の756個全ての印は方30mm以下の大きさであり、将軍印章は、亀鈕が9割で、陰刻白文、篆書体であり、伊豫軍印に似たものはなかった。
大谷大学図書館 図書・博物館課の鈴木善幸様にお礼を申し上げます。
注 引用文献
1. 「中國古印圖録」(大谷大学 1964)
web. 国立国会図書館デジタルコレクション「中國古印圖録」 75~78、176~177コマ
Wikipedia「大谷瑩誠(おおたに えいじょう)(1878~1948) 浄土真宗の僧で、真宗大谷派連枝。東洋学者。第13代大谷大学学長。」
2. ホームぺージ「真微印網」(台湾 1995創立)
真微印庫>印學在線>數位印譜>篆刻風格單元>印風典範篇>將軍印風印譜
載せられた将軍印章は、漢8印、三国16印、晋16印、五胡十六国41印、南北朝42印 計123印、これより南北朝印の割合は42/123=0.34となる。これと同じ割合で23×0.34=8と推量した。
3. 「帰趙侯印」は、帰順した「蛮夷」異民族である「趙」の侯へ「西晋」から下賜された印である。「趙」(ちよう)は、二つあり、① 五胡十六国の一つ 前趙(304~329)。南匈奴の劉淵の建てた国。最初の国号は漢。西晉を滅ぼし、長安を都として国号を趙に改めたが、その臣石勒に滅ぼされた。② 五胡十六国の一つ 後趙(319~351)。匈奴系羯(けつ)族の石勒の建てた国。鄴(河北省磁県)を都としたが、漢人の冉閔(ぜんびん)に滅ぼされた。(精選版日本国語大辞典)
写1. 中国南北朝の「将軍印章」No.286~297(「中國古印圖録」(大谷大学 1964)より)
写2. 中国南北朝の「将軍印章」No.298~309(「中國古印圖録」(大谷大学 1964)より)