1. 伊豫軍印(4)~(7)で記したように、南北朝官印で方1寸半(36.9mm)のものは一つも見つけられなかった。
2. 本印は、あらゆる点で、南北朝官印と異なっていた。よって、本印は南朝劉宋のものではないと結論する。
3. もし、宋書に書かれているように倭の五王と一緒に伊豫将軍が印章を授与されているとしたら、以下のようなものになると筆者は推理する。
「印文「伊豫將軍章」 銅製 蛇鈕 陰刻 白文 方1寸(25mm) 篆書体 厚みがあり重量感がある」
まとめ
「伊豫軍印は南朝劉宋から授与されたものである」という仮説は、否定された。南朝宋のものではない。
ここまで書いてきて、筆者はどうも何かがおかしいと思った。伊豫軍印は、南北朝印にあらゆる点で、全くかすりもしないのである。原因は、仮説そのものに問題があるのではないかと思い、調べた結果、僅か5分でそれを見つけた。この仮説に引っかかった筆者は、自分の馬鹿さ加減に笑う他なかった。意図的にミスリードして、あたかも倭の五王に関係ありそうと思わせる仮説に引っかかったのであった。以下に恥を忍んでそのわけを書く。
阿部は仮説の根拠として以下のように書いていた。1)
「「北朝の「(北)周」では「皇帝」の「印璽」について「蕃國之兵」に供するものを含めて「方一寸五分,高寸」であったと書かれており、これと同一規格であることが注目されます。
「皇帝八璽,有神璽,有傳國璽,皆寶而不用。神璽明受之於天,傳國璽明受之於運。皇帝負?,則置神璽於筵前之右,置傳國璽於筵前之左。又有六璽。其一「皇帝行璽」,封命諸侯及三公用之。其二「皇帝之璽」,與諸侯及三公書用之。其三「皇帝信璽」,發諸夏之兵用之。其四「天子行璽」,封命蕃國之君用之。其五「天子之璽」,與蕃國之君書用之。其六「天子信璽」,『?蕃國之兵用之。六璽皆白玉為之,方一寸五分,高寸,?獸鈕。』」(隋書/志第六/禮儀六/衣冠 一/後周)
これは「北朝」の規格であるわけですが、「北朝」では「北魏」以来「漢化」政策を実施していましたから、「北朝」は基本的にその制度や朝服等を「魏晋朝」及びその後継たる「南朝」に学んだと考えられます。このことは「伊豫軍印」が「北朝」の規格に準じているように見えるのは実際には「南朝」の規格に沿ったものということを意味する可能性があることとなり、---」
ここには、皇帝印璽が方一寸五分、高一寸と隋書に書かれて、伊豫軍印がこれと同じであることに注目している。銅印の規格が書かれていないので、白玉(白い翡翠)製の皇帝印璽から推測せざるを得なかったと受け取れる。そこで筆者は、「隋書/志第六/禮儀六」に銅印の規格が書かれていないのかと検索した。それを以下に示す。
「隋書 卷十一志第六 禮儀六」2)
・208 皇帝八璽,有神璽,有傳國璽,皆寶而不用。神璽明受之於天,傳國璽明受之於運。皇帝負扆,則置神璽於筵前之右,置傳國璽於筵前之左。又有六璽。其一「皇帝行璽」,封命諸侯及三公用之。其二「皇帝之璽」,與諸侯及三公書用之。其三「皇帝信璽」,發諸夏之兵用之。其四「天子行璽」,封命蕃國之君用之。其五「天子之璽」,與蕃國之君書用之。其六「天子信璽」,徵蕃國之兵用之。六璽皆白玉為之,方一寸五分,高寸,螭獸鈕。
・209 皇后璽,文曰「皇后之璽」,白玉為之,方寸五分,高寸,麟鈕。
・210 三公諸侯皆金印,方寸二分,高八分,龜鈕。七命已上銀,四命已上銅,皆龜鈕。三命已上,銅印銅鼻。其方皆寸,其高六分,文曰「某公官之印」。
筆者による意訳
・208 皇帝八つの璽あり、神璽と伝国璽があるがこれらは宝なので実際には用いない。神璽は、これを天に於いて受けることを明かし、伝国璽はこれを運に於いて受けることを明かす。皇帝は屏風を背に玉座に座り、神璽を莚の前右に置き、伝国璽を莚の前左に置く。また六個の璽あり。その一「皇帝行璽」は、諸侯および三公(太尉 司徒 司空)を任命する時に之を用いる。その二「皇帝之璽」は、諸侯および三公へ書を与える時に之を用いる。その三「皇帝信璽」は、諸夏の兵に発する時に之を用いる。その四「天子行璽」は、蕃國の君を任命する時に之を用いる。その五「天子之璽」は、藩国の君へ書を与える時に之を用いる。その六「天子信璽」は、蕃國の兵を徴集する時に之を用いる。これらの六璽は皆、白玉(白いひすい)で之を造り、方一寸五分、高さ一寸で、螭獸(ちじゅう 上古の魔獣)鈕である。
・209 皇后璽は、印文「皇后之璽」であり、白玉で之を造り、方一寸五分、高さ一寸、麟(きりん)鈕である。
・210 三公諸侯は皆金印で,方一寸二分、高さ八分、龜鈕である。七命以上のものは銀で、四命以上のものは銅で、皆亀鈕である。三命以上のものは、銅印で鼻鈕である。その方一寸、その高さ六分で、印文は「某公官之印」である。3)
皇帝の六璽は、「白玉(白いひすい)で造られ、方一寸五分、高さ一寸、螭獸鈕」である。そして、銅印については、「四命以上は銅、亀鈕であり、三命以上は銅、鼻鈕であり、共にその大きさは、方一寸(25mm)、その高さ六分(15mm)」とはっきり書かれている。「将軍印章」はこの官位に相当する。
なんのことはない、ここを読んだだけで、仮説は否定できたのである。皇帝印璽に続いてすぐ銅印規格について書かれているので見逃す筈はない。阿部は意図的にミスリードして仮説を論じたのである。それに引っかかった筆者は馬鹿である。しかし、結果として中国古印を知ることになったことを慰めにしよう。方1寸以上の大きな銅製の中国官印古印がないことが納得できた。
まとめ
隋書には、「銅印は、方一寸、その高さ六分」と書かれていた。
次回から、「伊豫軍印」は日本の古印であるという説を検証しよう。
注 引用文献
1. ホームページ:「「倭国」から「日本国」へ ~ 九州王朝を中核にして ~」>五世紀の真実>「倭の五王」について>「伊豫軍印」について (作成日 2015/03/21、最終更新 2017/02/19)
著者:阿部周一 札幌在住の技術者(1955年生) gooブログ「古田史学とMe」の著者である。
2. web. https://ctext.org 維基 -> 隋書 -> 卷十一志第六 禮儀六
3. 「命」は官位を表し、九命が上位で、一命が下位(品とは逆)。諸橋徹次「大漢和辞典」の「九命」の解説より、「周禮、春官、大宗伯」 壹命職を受け、再命服を受け、三命位を受け、四命器を受け、五命則を賜ひ、六命官を賜ひ、七命國を賜ひ、八命牧となり、九命伯となる。
2. 本印は、あらゆる点で、南北朝官印と異なっていた。よって、本印は南朝劉宋のものではないと結論する。
3. もし、宋書に書かれているように倭の五王と一緒に伊豫将軍が印章を授与されているとしたら、以下のようなものになると筆者は推理する。
「印文「伊豫將軍章」 銅製 蛇鈕 陰刻 白文 方1寸(25mm) 篆書体 厚みがあり重量感がある」
まとめ
「伊豫軍印は南朝劉宋から授与されたものである」という仮説は、否定された。南朝宋のものではない。
ここまで書いてきて、筆者はどうも何かがおかしいと思った。伊豫軍印は、南北朝印にあらゆる点で、全くかすりもしないのである。原因は、仮説そのものに問題があるのではないかと思い、調べた結果、僅か5分でそれを見つけた。この仮説に引っかかった筆者は、自分の馬鹿さ加減に笑う他なかった。意図的にミスリードして、あたかも倭の五王に関係ありそうと思わせる仮説に引っかかったのであった。以下に恥を忍んでそのわけを書く。
阿部は仮説の根拠として以下のように書いていた。1)
「「北朝の「(北)周」では「皇帝」の「印璽」について「蕃國之兵」に供するものを含めて「方一寸五分,高寸」であったと書かれており、これと同一規格であることが注目されます。
「皇帝八璽,有神璽,有傳國璽,皆寶而不用。神璽明受之於天,傳國璽明受之於運。皇帝負?,則置神璽於筵前之右,置傳國璽於筵前之左。又有六璽。其一「皇帝行璽」,封命諸侯及三公用之。其二「皇帝之璽」,與諸侯及三公書用之。其三「皇帝信璽」,發諸夏之兵用之。其四「天子行璽」,封命蕃國之君用之。其五「天子之璽」,與蕃國之君書用之。其六「天子信璽」,『?蕃國之兵用之。六璽皆白玉為之,方一寸五分,高寸,?獸鈕。』」(隋書/志第六/禮儀六/衣冠 一/後周)
これは「北朝」の規格であるわけですが、「北朝」では「北魏」以来「漢化」政策を実施していましたから、「北朝」は基本的にその制度や朝服等を「魏晋朝」及びその後継たる「南朝」に学んだと考えられます。このことは「伊豫軍印」が「北朝」の規格に準じているように見えるのは実際には「南朝」の規格に沿ったものということを意味する可能性があることとなり、---」
ここには、皇帝印璽が方一寸五分、高一寸と隋書に書かれて、伊豫軍印がこれと同じであることに注目している。銅印の規格が書かれていないので、白玉(白い翡翠)製の皇帝印璽から推測せざるを得なかったと受け取れる。そこで筆者は、「隋書/志第六/禮儀六」に銅印の規格が書かれていないのかと検索した。それを以下に示す。
「隋書 卷十一志第六 禮儀六」2)
・208 皇帝八璽,有神璽,有傳國璽,皆寶而不用。神璽明受之於天,傳國璽明受之於運。皇帝負扆,則置神璽於筵前之右,置傳國璽於筵前之左。又有六璽。其一「皇帝行璽」,封命諸侯及三公用之。其二「皇帝之璽」,與諸侯及三公書用之。其三「皇帝信璽」,發諸夏之兵用之。其四「天子行璽」,封命蕃國之君用之。其五「天子之璽」,與蕃國之君書用之。其六「天子信璽」,徵蕃國之兵用之。六璽皆白玉為之,方一寸五分,高寸,螭獸鈕。
・209 皇后璽,文曰「皇后之璽」,白玉為之,方寸五分,高寸,麟鈕。
・210 三公諸侯皆金印,方寸二分,高八分,龜鈕。七命已上銀,四命已上銅,皆龜鈕。三命已上,銅印銅鼻。其方皆寸,其高六分,文曰「某公官之印」。
筆者による意訳
・208 皇帝八つの璽あり、神璽と伝国璽があるがこれらは宝なので実際には用いない。神璽は、これを天に於いて受けることを明かし、伝国璽はこれを運に於いて受けることを明かす。皇帝は屏風を背に玉座に座り、神璽を莚の前右に置き、伝国璽を莚の前左に置く。また六個の璽あり。その一「皇帝行璽」は、諸侯および三公(太尉 司徒 司空)を任命する時に之を用いる。その二「皇帝之璽」は、諸侯および三公へ書を与える時に之を用いる。その三「皇帝信璽」は、諸夏の兵に発する時に之を用いる。その四「天子行璽」は、蕃國の君を任命する時に之を用いる。その五「天子之璽」は、藩国の君へ書を与える時に之を用いる。その六「天子信璽」は、蕃國の兵を徴集する時に之を用いる。これらの六璽は皆、白玉(白いひすい)で之を造り、方一寸五分、高さ一寸で、螭獸(ちじゅう 上古の魔獣)鈕である。
・209 皇后璽は、印文「皇后之璽」であり、白玉で之を造り、方一寸五分、高さ一寸、麟(きりん)鈕である。
・210 三公諸侯は皆金印で,方一寸二分、高さ八分、龜鈕である。七命以上のものは銀で、四命以上のものは銅で、皆亀鈕である。三命以上のものは、銅印で鼻鈕である。その方一寸、その高さ六分で、印文は「某公官之印」である。3)
皇帝の六璽は、「白玉(白いひすい)で造られ、方一寸五分、高さ一寸、螭獸鈕」である。そして、銅印については、「四命以上は銅、亀鈕であり、三命以上は銅、鼻鈕であり、共にその大きさは、方一寸(25mm)、その高さ六分(15mm)」とはっきり書かれている。「将軍印章」はこの官位に相当する。
なんのことはない、ここを読んだだけで、仮説は否定できたのである。皇帝印璽に続いてすぐ銅印規格について書かれているので見逃す筈はない。阿部は意図的にミスリードして仮説を論じたのである。それに引っかかった筆者は馬鹿である。しかし、結果として中国古印を知ることになったことを慰めにしよう。方1寸以上の大きな銅製の中国官印古印がないことが納得できた。
まとめ
隋書には、「銅印は、方一寸、その高さ六分」と書かれていた。
次回から、「伊豫軍印」は日本の古印であるという説を検証しよう。
注 引用文献
1. ホームページ:「「倭国」から「日本国」へ ~ 九州王朝を中核にして ~」>五世紀の真実>「倭の五王」について>「伊豫軍印」について (作成日 2015/03/21、最終更新 2017/02/19)
著者:阿部周一 札幌在住の技術者(1955年生) gooブログ「古田史学とMe」の著者である。
2. web. https://ctext.org 維基 -> 隋書 -> 卷十一志第六 禮儀六
3. 「命」は官位を表し、九命が上位で、一命が下位(品とは逆)。諸橋徹次「大漢和辞典」の「九命」の解説より、「周禮、春官、大宗伯」 壹命職を受け、再命服を受け、三命位を受け、四命器を受け、五命則を賜ひ、六命官を賜ひ、七命國を賜ひ、八命牧となり、九命伯となる。
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