遠賀団印(おんが)・御笠団印(みかさ)は、それぞれ明治32年(1899)、昭和2年(1927)に大宰府町で出土したもので、律令制時代の軍団の存在を裏付ける日本に二つしかない貴重な資料である。1)2)
両軍団は、大宝元年(701)制定の大宝律令により成立し、天長3年(826)に廃止された。大宰府管内の諸司印(方2寸2分)12面の給付は天平17年(745)(続日本紀)であるので、令外印である両団印の給付はそれより後と考えられ、木内武男は印文の書体などからして、奈良時代のものとしている。すなわち、両団印は745年以降に製作給付され、826年まで使用されたと推定される。
伊豫軍印が奈良平安時代に同じような目的で造られた印であるならば、両団印に倣った点が多く認められるはずであると考え、伊豫軍印と両団印とを種々の点から比較することにした。その結果を以下の表に示した。形状・印面・印影→写1,2
項目 遠賀団印 御笠団印 伊予軍印
印文 遠賀團印 御笠團印 伊豫軍印
材質・製法 青銅・鋳造 青銅・鋳造 (青銅推定)・鋳造
印顆 陽刻・朱文 陽刻・朱文 陽刻・朱文
印面(縦×横mm) 42.1×41.5 42.1×42.1 36.9×36.9
全高(mm) 51.8 51.5 24.6
印側高(mm) 10 9 3(側面の立上りが不明瞭)
鈕の形状 弧鈕無孔 弧鈕無孔 弧(丁?)鈕有孔 孔歪み
鈕に⊥の陽刻 鈕に⊥の陽刻 鈕に⊥の陽刻無し
鈕の厚み(mm) 11 11 2~3
重量(g) 208.5 3) 214.4 3) 50.8
書体 篆書 篆書 六朝楷書
外観 重厚 重厚 軽妙
まとめ
伊豫軍印は、遠賀団印・御笠団印に似た点がほとんどない。
さらに各項目について、現存する他の官公印も含めて、詳しく比較検討する。
注 引用文献
1. 川上市太郎「御笠團印と遠賀團印」『福岡縣 史蹟名勝天然記念物調査報告書』第10 輯 史蹟之部 p64-73(昭和10年3月 1935)
・「遠賀團印」 重さ55匁6分6厘5毛(昭和10.1.21測定 福岡県標準秤器)換算すると208.74g 印面の広さ 天地1寸3分9厘(42.1mm) 左右1寸3分7厘(41.5) 総高さ1寸7分1厘(51.8) 握りの幅8分4厘(25.5) 同厚み3分7厘(11.2) 首幅5分7厘(17.3) 文字の深さ1分4厘(4.2) 品質 青銅製 鈕の前面中央部に陽刻⊥を表す
明治32年2月梅花盛り、八尋百太郎氏が御笠北高等小学校校舎新築のため、地均しのため土をすきとり運びて覆したる際転び出でたるを見、拾い上げ置きたり。その場の14,5人に見せけるに誰一人これを珍重がる者もなく、捨つるに忍びず、持ち重りある物なれば、子供の玩具にもと、自宅に持ち帰りたり。その後子供は幾人も成長しけるが、追ひつぎつぎにこれを文鎮などに使ひ居たるものなり。而して本印は出土のままにしてあり。
・「御笠團印」 重さ57匁2分8厘5毛(昭和10.1.21測定 福岡県標準秤器)214.82g 印面の広さ 天地1寸3分9厘(42.1) 左右1寸3分9厘(42.1) 総高さ1寸7分(51.5) 握りの幅8分(24.2)同厚み3分7厘(11.2) 首幅5分8厘(17.6) 文字の深さ1分(3.0) 品質 青銅製 鈕の前面中央部に陽刻⊥を表す
昭和2年4月8日、武藤喜太郎氏が、桑園より掘り出した日、これを自宅に持ち帰り何か「印」の形したるを以て、文字を見出さんものと、釘もて印面の土を刻み落としたれど、不明瞭のため、少し磨きたらば或いは文字の現はるゝ事もあらんかと、荒砥石にかけ、印面を若干擦り減らし見たり。(印影文字の肉太くなり、刀勢を損したるは全くこれがためなり)
2. web. 「大宰府魅力発見塾」>古代の太宰府の軍団印「遠賀団印」と「御笠団印」の出土地
3. 東京国立博物館測定値(2023.4.27) 測定していただきありがとうございました。
写1. 遠賀団印・御笠団印の形状・印面・印影(木内武男編「日本の古印」(二玄社 1965)より)

写2. 伊豫軍印の形状・印面・印影(印影は景浦稚桃「伊豫軍印に就て」伊予史談 第5巻2号(18号)p1(大正8年9月 1919)より)

両軍団は、大宝元年(701)制定の大宝律令により成立し、天長3年(826)に廃止された。大宰府管内の諸司印(方2寸2分)12面の給付は天平17年(745)(続日本紀)であるので、令外印である両団印の給付はそれより後と考えられ、木内武男は印文の書体などからして、奈良時代のものとしている。すなわち、両団印は745年以降に製作給付され、826年まで使用されたと推定される。
伊豫軍印が奈良平安時代に同じような目的で造られた印であるならば、両団印に倣った点が多く認められるはずであると考え、伊豫軍印と両団印とを種々の点から比較することにした。その結果を以下の表に示した。形状・印面・印影→写1,2
項目 遠賀団印 御笠団印 伊予軍印
印文 遠賀團印 御笠團印 伊豫軍印
材質・製法 青銅・鋳造 青銅・鋳造 (青銅推定)・鋳造
印顆 陽刻・朱文 陽刻・朱文 陽刻・朱文
印面(縦×横mm) 42.1×41.5 42.1×42.1 36.9×36.9
全高(mm) 51.8 51.5 24.6
印側高(mm) 10 9 3(側面の立上りが不明瞭)
鈕の形状 弧鈕無孔 弧鈕無孔 弧(丁?)鈕有孔 孔歪み
鈕に⊥の陽刻 鈕に⊥の陽刻 鈕に⊥の陽刻無し
鈕の厚み(mm) 11 11 2~3
重量(g) 208.5 3) 214.4 3) 50.8
書体 篆書 篆書 六朝楷書
外観 重厚 重厚 軽妙
まとめ
伊豫軍印は、遠賀団印・御笠団印に似た点がほとんどない。
さらに各項目について、現存する他の官公印も含めて、詳しく比較検討する。
注 引用文献
1. 川上市太郎「御笠團印と遠賀團印」『福岡縣 史蹟名勝天然記念物調査報告書』第10 輯 史蹟之部 p64-73(昭和10年3月 1935)
・「遠賀團印」 重さ55匁6分6厘5毛(昭和10.1.21測定 福岡県標準秤器)換算すると208.74g 印面の広さ 天地1寸3分9厘(42.1mm) 左右1寸3分7厘(41.5) 総高さ1寸7分1厘(51.8) 握りの幅8分4厘(25.5) 同厚み3分7厘(11.2) 首幅5分7厘(17.3) 文字の深さ1分4厘(4.2) 品質 青銅製 鈕の前面中央部に陽刻⊥を表す
明治32年2月梅花盛り、八尋百太郎氏が御笠北高等小学校校舎新築のため、地均しのため土をすきとり運びて覆したる際転び出でたるを見、拾い上げ置きたり。その場の14,5人に見せけるに誰一人これを珍重がる者もなく、捨つるに忍びず、持ち重りある物なれば、子供の玩具にもと、自宅に持ち帰りたり。その後子供は幾人も成長しけるが、追ひつぎつぎにこれを文鎮などに使ひ居たるものなり。而して本印は出土のままにしてあり。
・「御笠團印」 重さ57匁2分8厘5毛(昭和10.1.21測定 福岡県標準秤器)214.82g 印面の広さ 天地1寸3分9厘(42.1) 左右1寸3分9厘(42.1) 総高さ1寸7分(51.5) 握りの幅8分(24.2)同厚み3分7厘(11.2) 首幅5分8厘(17.6) 文字の深さ1分(3.0) 品質 青銅製 鈕の前面中央部に陽刻⊥を表す
昭和2年4月8日、武藤喜太郎氏が、桑園より掘り出した日、これを自宅に持ち帰り何か「印」の形したるを以て、文字を見出さんものと、釘もて印面の土を刻み落としたれど、不明瞭のため、少し磨きたらば或いは文字の現はるゝ事もあらんかと、荒砥石にかけ、印面を若干擦り減らし見たり。(印影文字の肉太くなり、刀勢を損したるは全くこれがためなり)
2. web. 「大宰府魅力発見塾」>古代の太宰府の軍団印「遠賀団印」と「御笠団印」の出土地
3. 東京国立博物館測定値(2023.4.27) 測定していただきありがとうございました。
写1. 遠賀団印・御笠団印の形状・印面・印影(木内武男編「日本の古印」(二玄社 1965)より)

写2. 伊豫軍印の形状・印面・印影(印影は景浦稚桃「伊豫軍印に就て」伊予史談 第5巻2号(18号)p1(大正8年9月 1919)より)

※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます