自治会町内会、その他昭和思考の愚考

タイトル通り昭和時代の時代遅れ思考を考え結果として現代社会生活にどの様に悪影響を及ぼしているかを書き留めたいと思います。

被災者受入地域の例

2011-06-13 15:56:31 | 日記

震災を機会に被災者を受け入れる活動している地域の特集をテレビで観たのだが、平成時代とは思えない地域を放送していたのでここで紹介する。

テレビ放送自体の主題は仮設住宅の建設完了したのに抽選で当たった被災者が未だ入居していないのはナゼかと言う趣旨のものであった。その番組内で仮設住宅とは別に全く違う県で被災者受入を試みている地域レポートであった。その受入しようとした地域は千葉県の房総地域で過疎高齢化が進み人口減少に歯止めがかからず地域に空き家が目立っている。活動の発起人は地域の小学校校長で被災者の受入地域ぐるみでしてみたと言うドキュメント形式でまとめられていた。

触りだけ観れば良くある美談であり過疎化防止に一役買えばと言う事なのだろうが具体的な受入段階に差し掛かったら地元民との話し合いがうまく行かないとの事。
その自治会の話し合いの風景も中継されたが未だにこんな事を守っている地域が有るのかと驚愕した。
例えば
・この地域に住むならば(ここの)お寺さんの檀家になれるかどうか
・町会に入る人でないと困る。入らないとゴミ出しなどはできない
他にもまぁ色々・・・(本当に放送していたのですよw)
おい、昭和40年代あるいはそれ以前か?。どうやらここの自治会では本来の行政サービスや宗教選択の自由が認められないらしいwww。

その後で被災者が空き家を見学に来た様子が流されていたが”病院が遠い”からとの理由で断ったと言う話になっていた。
最後に受入活動の筆頭に立った校長のインタビューもあり”個人の思いだけでは難しい面がある”と言う下りが印象的であった。

これは地域全体で”こんな古臭い風習の有る地域に来るなよ”と遠まわしに発言している一種の親切なのか、それとも本気で”余所者は来るな!”的な排除にも似た地域性なのか。本当の所はそこの住民で無いとわからない。しかし現実問題として人口減少を招き限界集落的な形になりつつあるのに大昔のルールをかたくなに続ける事が建設的である理由はどこにも見当たらないと思う。

これに関連して言える事は放送された地域の様に一種独特なルールを継続している地域は日本全国に多々有ると思われる。しかも悪い事にその古臭いルールは外部の人間からは見えないのだ。
よって自然や田舎への憧れだけで移住したのは良いけど郷土の水に合わなくて結局また都会に戻って来たと言う話を訊くのである。

今回の震災を機会に他所から被災者受入の気運が盛り上がっているがルール明示のない地域に移住する事のリスクは大変大きいのではないかと思ってしまう。


的を得ない老害共

2011-06-13 08:56:34 | 日記

先週ゴミステーションで。ゴミ出しに来た老害が声をかけてきた。(見難いかもしれませんがセリフの裏括弧は私の内心です)

老害「今日は雨振りですよね。私ゴミ役員ですが、こういうブルーシートの張り方だと困るのですが・・・」

私「ああ確かに、そうですねぇ~」(私に言われても困るんだが)

老害「今どちらのお宅がゴミ出し係りですか?」(おいおい、お前役員なら把握しろよwww)

私「さぁ、わかりません。でも数週間前ウチだったので多分あそこのお宅かもう一軒隣のお宅ではないかと・・・・あのぅもしシートの張り方が悪いなら(当番のお宅に)言いに行って貰えば良いのではないでしょうか?」(つくづくあんたの役員としての権限って何なの?)

老害「ルールはないのですよ(はぁ!?)

私「ルールがないのですかぁ~はぁ~~」(すげー無責任。それじゃ何して良いかわからない人出てくるよなぁ~)

老害「それにまだ面識もないしねぇ~」(おいおい引越し時に挨拶に来るから面識位あるだろう)

私「私も挨拶位であまり面識ないですね~、最近引っ越してきたらしいですから」(知ってるけどしらこく対応)

老害「昔はここのゴミステーションも立ち番やっていたのですよ」

私「そうだったのですか。それは初耳ですね」(そんな昔の事知らないし大体オタク何が言いたいの?)

老害「私はねぇ、役をやってるんですよ。しかも2つも・・・もう沢山ですよ」(???????)

私「・・・・・・そんな事私に言われてもねぇ」(知らねーよ、そんなのそっちの勝手だろうwww)

老害「皆さんの自治会と一緒にできませんかねぇ~(絶対ヤダ、ウルトラハイパーお断り!。お前なんぞに御霊前差し上げたくないよ。さっさと土に帰れwwwww)

私「・・・私にそんな事言われてもねぇ。まぁ兎に角ゴミステーションはきれいに使う事が大切ですね。朝は忙しいので失礼します」(朝から気分悪いなぁ~)

そんなので切り上げてきました。

恐らく自治会の労役が大変だから若い世代と同じ自治会にしてしまえば自分らの労役を若い連中に任せて自分らは悠々自適に老後を送ると言う目論見があるのでしょう。
しかし多くの地方自治体が自治会参加を呼びかけているサイトを見るとこうなっています。”高齢の方は特に自治会に参加する様に呼びかけしています”と。自治体からしてみれば情報共有に関して若い世代はネット閲覧などで手続き等ある程度できる時代になりました。
特に回覧版の自治体関連の資料などもhtmlやpdf型式で閲覧可能です。これら自治体情報ならWeb環境さえ整えば問題なく受け取る事が可能です。またメディアを上手く活用しています。例えばお母さん方が行っている子供の連絡網一つ取っても携帯サービスのコミニティ等を利用してスマートで迅速に対応しています。(それ故噂話などが広がるのも速いのですがそれは別の問題として・・・)
また決定的に違うのは若い世代は自分の意見を主張します。自分の都合の部分だけでなく周りの事も理解しながら。論理的かつ紳士的に。また公共性と言うものは必要に応じて利用すると言う考え方が基本であり過剰に地域奉仕する必要はないのです。極論を言えば「お国の為に」と言った戦時中思想に近い思考は有り得ません。つまり地域コミニティの考え方の基本自体が違うのです。

今回老害が指摘した事項は「ゴミステーションの荒天時の管理方法」であり自治体とは関係の無い自治会のローカルルールであると言えます。特に今朝の話にあった「立ち番」や「シートを張る」などの具体的な管理方法そのものは自治会の老害共が中心に決定したルールであり地方自治体は関与していません。しかもその老害は役員になっている訳ですから「ルールはない」と発言した老害は自分らが設定したローカルルールに対して否定している、もしくは認知症でも患って忘れているのと同じなのです。また役員を名乗っているのに面識がないから指導できないでは力量不足と言わざるを得ません。

第二にシートの張り方にルールが無いと言ってるのが理解できません。荒天時にシートを張りゴミ濡れないようにする事が目的でしょうが役員自身が”ルールがない”と発言する事自体は役を仰せつかっているのに自分は無責任ですとアピールしているのと同じに見えてしまいます。

これら老害は助け合いと言う定義を”甘え”と勘違いしているのです。つまり自分らの事を自分らでやろうと言う意識に欠けている思考がありありと見えてきます。

ちなみに今朝はその老害が車で捨てに来ていました。

老害「年をとると近所でも車でないと大変で」(先週は歩いて来ていたのにwww)

私「今日は量がありそうですね」(知るか、他所のゴミの量なんて)

老害「あーあ、若い人みたいに動けへんからなぁ」(そりゃ結構!、そのまま化石化してさっさと土に帰って下さい)

相変わらず的を得ないやりとりでしたwwww


実質はノーライセンス

2011-06-13 08:29:35 | 日記

自転車は軽車両。道路交通法ならここに分類されるがこの”軽車両”と言う定義をまともに知っている人は自動車やバイクの運転免許取得者か法律系の学校卒業者位で免許の無い人や知識の無い人は法律に関係なく単なる便利な乗り物程度にしか思っていないのではないだろうか。
確かに怖いですね~近所でも。歩道走行してると思ったらいきなり車道に出るから車道の車は急ブレーキ。そうかと思えば飛び出しに近い横断してみたり。通行帯はお構いなし、道路の右端走行も沢山見かける。

日本人ほど決まり(ルール)にうるさい国民性はないのだが、日本には自転車に関わるルールらしきものはあっても効果的な罰則がないのである。また罰則を知らないのである。だから皆したい放題。もしも基本罰せられないのなら自由だ!と勘違いしているならば中国人と根っこは変わらないと思うけど・・・・

話を戻すが交通安全協会などはルールの運用を啓発活動的に行っている。例えば学校で行われる自転車交通安全指導。あるいは自治会の交通安全係が行う自転車安全指導。
どちらにも”交通安全協会”のお偉い?方がたまに来て総評するらしいけど・・・。事故減らないって事はそいつら来ても効果ないって訳だ。結局こいつらは活動していますと言う形の領収書が欲しいだけで記事にもあるように個人の自覚で終結させている。自覚で事が済むならあんたら存在価値ないよ。

自転車も免許制にする。あるいは刑事罰として罰則を科す様に厳しくしないとダメではないだろうか。

危ない自転車 「車道走行が原則」を忘れずに(読売新聞) - goo ニュース
2011年6月12日(日)00:57

 街を歩いていて、突進して来る自転車にヒヤリとさせられたことがある人は多いだろう。

 歩行者のすぐ脇を通過しようとして接触するトラブルも、しばしば目にする。

 夜になっても無灯火の自転車は少なくない。携帯電話をかけながら、あるいはメールをしながら走る自転車も見かける。

 歩道でスピードを出したり、しきりにベルを鳴らして歩行者をよけさせたり、は日常的だ。

 迷惑至極な「我が物顔」の自転車利用、と言わざるを得ない。

 道路交通法で、自転車は自動車と同じ「車両」の扱いだ。ところが、歩道も走れるという、あいまいな状態が長らく続いてきた。

 2008年改正の道交法は、歩道走行を例外とした。自転車と歩行者を分けるのが狙いだ。原則は車道走行で、幹線道路など車道が危ない場合は歩道を走れる。

 だが、政府のアンケートによると、4割もの人が「車道走行の原則」を知らない。法改正の趣旨があまり浸透していない。

 もちろん、車道では、自転車も交通弱者だ。一義的には、車のドライバーに注意義務がある。それでも信号を無視し、信号待ちの車列の隙間をすり抜ける「危ない自転車」が、事故を招いている。

 警察庁の交通事故統計では、自転車関連の事故は全体の約2割とこの10年間、高水準のままだ。

 特に歩行者との事故は、昨年が約2800件、一昨年が約2900件にのぼり、10年前の約1800件よりはるかに多い。

 自転車利用者に忘れないでもらいたいのは、事故を起こせば、代償も高くつくということだ。

 近年の裁判では、例えば、自転車通学の高校生が歩行者にぶつかり脊髄損傷の重傷を負わせた事故では6000万円超、やはり高校生の自転車が歩行者を死亡させた事故では4000万円近くの賠償金支払いが命じられている。

 自転車には、自動車損害賠償責任保険(自賠責保険)のような制度がない。賠償が巨額だと支払いは困難で、被害者も賠償を受け取れない。深刻な問題だ。

 任意の保険加入も検討してみてはどうか。自転車店で点検・整備してもらった際に発行される「TSマーク」にも保険が付く。安全運転の意識も増すだろう。

 健康、環境志向が高まり、自転車利用者が増えた。東日本大震災後は、交通網の混乱などで増加が加速している。だが、自転車は時に「凶器」となる。その自覚を利用者に求めたい