(産経新聞)
「押し入れに、ドラえもんがいると信じていた。4次元ポケットで何とか(再生)してくれると思った」
平成19年6月27日、光市母子殺害事件の差し戻し控訴審。本村弥生=当時(23)=と、生後11カ月だった長女の夕夏(ゆうか)を殺害した罪に問われた大月(旧姓・福田)孝行(30)は、夕夏の遺体を天袋に押し込んだ理由を、そう言い放った。
事件から8年が経過し、26歳となっていた大月が初めて明らかにした“真実”に、傍聴人は唖然(あぜん)とし、弥生の母はうなだれた。
◆懲戒請求8千件
予兆はあった。《無期はほぼキマリで、7年そこそこで地上にひょっこり芽を出す》《犬がある日かわいい犬と出合った。そのままやっちゃった。これは罪でしょうか》…。12年9月に始まった最初の控訴審で、検察は大月が知人にあてた手紙の内容を明らかにした。しかし「ドラえもん」の衝撃はそれを上回った。
弁護団は19年5月の差し戻し控訴審の初公判で、死後の乱暴を「死者を復活させる儀式だった」などと主張。現大阪市長で弁護士、橋下徹(42)はテレビ番組で、主任弁護人の安田好弘(64)らが最初の最高裁の弁論(18年3月)に欠席したことにも触れ、「弁護団を許せないと思うなら、弁護士会に懲戒請求をかけてもらいたいんですよ」と呼びかけた。
「ドラえもん」でバッシングは頂点に達した。懲戒請求は8千件を超え、弁護人の一部が「業務を妨害された」と橋下を提訴する事態に。当時の弁護団の一人は「『殺す』という脅迫を含む嫌がらせの手紙が毎日のように届き、無言電話が鳴り続けた」と振り返る。
「新供述」で殺意を否定し死刑回避を図る弁護方針に、弁護団内で葛藤がなかったわけではない。「社会の反感が強まり、結局、福田君の命が危険にさらされる」。会議は熱を帯び罵声も飛び交ったという。
それでも、弁護団は反省の態度を示すより「真実の追究」を重視する戦術にかじを切る。当時の弁護団にいた今枝仁(41)は「『ドラえもん』なんて、身体で言えば盲腸のようなもの。言及する必要があったわけではない」とした上で、「ありのままに話をさせなければ、弁護団が彼の信頼を得られないと考えた」と話した。
広島拘置所で面会を続けたジャーナリストらも、大月が新供述を「『弁護団が作り上げたものではなく、僕から伝えた真実だ』と話した」と口をそろえる。
◆裏目に出た方針
「報酬を度外視して働く姿に敬意を払わなければ、凶悪事件を担当する人間は誰もいなくなる」。弁護団を擁護する声も上がっていた。しかし、結果は遺族の処罰感情をさらに峻烈(しゅんれつ)なものにした。差し戻し控訴審の意見陳述で、弥生の夫、本村洋(35)は「これまで起訴事実を大筋で認めていたが、うそだと思っていいのですか」と問いかけ「君の犯した罪は、万死に値する」と言い切った。
20年4月の差し戻し控訴審判決は、新供述を「死刑回避のための虚偽の弁解」と断罪。今月20日の差し戻し上告審判決も「真摯(しんし)な反省の情をうかがえない」と指摘し、弁護方針が完全に裏目に出たことを示した。
量刑の減刑、真相解明、被害者側への配慮…。事件は、刑事弁護に何が求められるのか問い続けた。今枝は「『被告人の利益』が第一に考えられなければならない」と断言する一方で、自問する。「被告にとっての一番の利益とは、懲役期間が1年短くなることではなく、再びかかわっていく社会との『和解』にある。弁護団はそれを目指していたといえるだろうか」(敬称・呼称略)
■実名・匿名 分かれた報道
山口県光市母子殺害事件で、死刑が確定することになった犯行当時18歳の大月孝行被告について、20日の上告棄却後、新聞やテレビは実名報道に踏み切った社と、匿名報道を継続した社とに分かれた。各社は21日付朝刊や、ニュース番組の中で、実名・匿名を判断した主な理由を説明した。
新聞は産経、朝日、読売、日経が21日付朝刊で実名報道。産経は死刑により「更生の機会が失われ、事件の重大性も考慮」したことを主な理由とした。
朝日は「国家によって生命を奪われる刑の対象者は明らかにされているべきだ」と主張、読売も「国家が人の命を奪う死刑の対象が誰なのかは重大な社会的関心事」とし、情報公開の観点からも必要性を強調した。
毎日と東京は匿名を継続。毎日は更生について「心持が根本的に変化すること」と広辞苑を引用し、死刑で更生の可能性がなくなるとする見方にくみせず、刑確定後も被告に心からの謝罪を求め、再審、恩赦の可能性にも触れた。東京も再審、恩赦制度に言及し「少年法が求める配慮はなお必要」とした。
■「実名切り替え妥当」
元最高検検事の土本武司・筑波大名誉教授の話「多数のメディアが実名に切り替えたのは妥当な傾向と思う。少年法はかつて保護一辺倒だったが、凶悪犯罪の増加で国民もその不適切さを感じ、近年は責任主義の理念に基づく一部改正もなされた。その基準に照らし各メディアも判断しているのではないか」
■「判断材料の提供を」
元家裁判事の井垣康弘弁護士の話「死刑や無期懲役は、少年法の原則保護主義の枠をはるかに超えたいわば『想定外』のケースだ。検察官が元少年に死刑を求刑した段階で、報道機関は死刑にすべきかどうか社会に判断材料を提供すべく、実名・顔写真も含め元少年に関する全情報を収集し公開すべきだった」