生きているということは、宇宙の夢であるかもしれない。

2010-09-25 | 自然科学
生命がこの宇宙に発現し、

私たちが生命というものを言葉でidentifyし、

自分自身のその生命らしさを維持しよう、広めようと、

活動し続けているのは、一体、どうしてだろう。

生命を尊いと感じる感性は、
宇宙空間に飛び立つときなどほど、
その尊さの感覚が鋭くなるらしい。

ドラマの主人公「美丘」は、いわば、難病によって、
宇宙空間に放り出される経験と同等の経験を生きたのである。

ところで、それを尊いと感じているのは、人間であり、

宇宙ではない。

宇宙はなぜ、人間にそんなことをさせるのだろう。

実は、その尊い生命の先に、実現されてゆくべき何かがあって、

生命は、宇宙の見る夢の段階に過ぎないということはないだろうか。

そういうと、尊さとか、奇蹟とは、魔逆な価値観をもって生命をとらえざるを得なくなるが、人間がそれをとらえようとするからそうなるのではないだろうか?!

何か、数学的美ののようなものの中に、隠された宇宙の意思のようなものがあって、

通常の言語イメージでは取らえることができない、いわば

宇宙の夢見る目的世界というものが、生命の次にあるとしたら、

それは何だろうか。。。。

あたかも、角川映画「幻魔大戦」を彷彿とするものだろうか・・・・・・

あの映画はテーマが良く分からなかった。。。。

還元論的に反論する人なら、生命の次にあるのではなく、

生命の前に、或いは背後にあるはずだと、言うだろうか。

私の無理やり連想して思っていることは、還元論とは逆の方向である。

人間には語れない目的世界が宇宙には存在している可能性について、

不遜にも、大きなお世話にも関わらず、連想しているのである。

結局、宇宙はそう簡単に、人間の脳に、宇宙の意思を語らせたりはしないのだろうか。

簡単ではないが、不可能ではないのではないか。。。。

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