安倍流せいじというのは、従来たいていの人は やれなかったことを 俺がやって見せる。ということらしい。
それじゃなくて やってはいけないことをやってみせると意気がるやんちゃ坊主的ななところがある。
事実、やっていることは 強者の手法で 邪魔なものは月とは消して走れというようにも見える。
「わたしは世界の恒久平和のために尽くします。とおっしゃっても 周りはそう受け取れない。
軍備にしても われわれが知らないうちに 世界第五位以内にランクされる強力な軍備を備えている・
「
ははーんこの人の平和論は 武力を備えた実力派だと思ってしまった。
しかし、そう入っても「じやー聞くけど泥棒がはいってから縄なうのか。」
スイスみたいな戦争しない永世中立の国でも 国民皆兵制度で徴兵制がある。もちろん戦争するためではないという国論が定まっている。
たしかに、あの国は 中立を守っていくだろうとしんらいしている。
だが日本は違うぞ。何をやらかすかと 見守っているるなかなか心から信じてくれないもどかしさが
外交面で多いのではないか。
日本は、戦後半世紀戦争放棄して世界の平和に貢献してきたではないか。
今後もあいてが侵略しない限り こちらから軍事行動和起こすことは無い。
そういってきたのが 怪しくなってきた。
少なくとも 世界の識者は警戒心を持っているだろう。
私は自分の国土や人民は じぶんたちでまもっテイクのだという国民合意が欲しいと思っている。
それは憲法9条の厳守である。
にほんという国威宣揚タイプでなく謙虚な姿勢が欲しい。とともに凛とした国威を保持していくというたゆまぬ努力である。
同じ戦敗国のドイツがいいお手本ではないか。
中国の歴史は五千年にも及ぶ。その間 日本からは 遣唐使、遣隋使など文化的な交流もおこなった。しかし、中国が
日本を攻めたということはないと思う。だからというわけではないが、むしろ中国大陸を軍靴で踏み込んだのは日本であった。
というと現今では売国奴と呼ばれることと思う。しかし、仮に頭山満翁が生きていたらお前たち同じ東洋人同士争そって
何になる。というだろうと思う。