8月の思い出

2014-08-04 20:06:53 | 日記

8月に入りました。年年歳歳 人は変われど 天の道理の代わることは

ないはず゛でございます。

シカシ、敗戦後 半年の体験というものは もう再び経験することは無いと

信じたいものです。なにしろ有史以来始めてのことですから。

武装解除された兵隊の集団は 戦国時代の切り取り強盗の様相

スラ呈していました。

1年後私は学校だけは、出ておこうと思い立ち 旧制む専門学校に入りましたが

空襲で校舎というものは無く、バラックの小屋そのものでした。

不思議にあんな状態名なると 空腹の次にくるものは 活字への飢えですね。

唯一焼け残った図書館が私の通った学校です。

そこでばら紙に国富論をはじめに古典書和浄書しました。そして本格的な

学生アルバイト 氷屋をはじめ 地元紙が大々的に取り上げていただいことで

学校の復興資金をひねり出し学校から表彰されるところまでになりました。

闇市のど真ん中焼け残った5階建てのビル画私の職場に決まりました。

ビルからいっぽ出ると外は喧騒の町に変わります。夜になると 飲み屋街が

一団と活気付き あちこちに街娼がこびを売る。馬賊の大将だつたというむおじさんがいた。

やさしい人手いつもニコニコしていたが この人にはそこらのお兄ちゃんたちも

一目おく人物です。われわれは彼の店で毎日食事していた生でだいぶもてなしを受けたのですが

青春の一こまですね。


台風 風物誌

2014-08-04 08:43:03 | 日記

風がちかずいている・まもなく沖縄上陸のようだ・

島国に 生まれると 本土とは違った 緊迫感輪持つ。

私の家が 筑後200,yfたっているという。古老の話によると

ねたぎはしっかりしたもので。少々の台風には引け句ともしませんよ。という代物だから

近所の人たちのというか一族郎党のたまり場になっている。

台風は大海原を気ままに走り荒れ狂い、直接上陸してくるから

テレビで瞬間風速45メートルというときは 大体50メートルは越している。

その間古老たちは農作物心配をし、おばさんたちは 四方山話に花が咲き

「疎のサンのうちの小屋は大丈夫か。」

「゜倒れてもしようなかこっ」

こどもたち はゲームに夢中だ。握り飯がみんなに配られる。

村一番の美人っこてさわがれる 雪子も着ている。

たいふうも季節の一つとしてむらでは組み入れているのである。