それから・・・・・・・・・
博多駅 筑紫駅側で待っている。70年にもなるのか。戦後はじめの再会である。
もともと彼は 他県の出身で 父親の仕事の関係で 一家当地に引っ越してきた。
待つほどもなく 彼の姿が現れた。若者が二人ほどお供についている。
「よ~ われわれはつとめて昨日あったような 挨拶をした。
「どうした。校門さまみたいに 助さん格さんに連れられて、」四人で近くの喫茶店にはいった。
親同士も互いに往来して家族のような付き合いであったから 何も遠慮もなかった。
学校でも 格好な競争相手でといっても 私から見ると 彼は大人だ。たぶん成績も彼のほうがよかったのだろう。
「おれさ、お前のお父さんには大変かわいがられてね。」というと彼は不思議そうに「そうか。俺にはとても
厳しい父親だった。お前の父親こそ 出張のつど俺の下宿に着てね 大いに励まされた門だよ。」
それは 初耳だ。大体出張のとき俺の様子を見に来たことがない。変な親父たちだね。」
助さんも格さんも 笑って聞いていた。
「お前のうちは 兄さんたちが兵隊に言って 上の兄さん戦死したんだろ。それが親父にとっては
悔しかったらしい。』そういうわけで彼は陸軍士官学校に入学した。
帰ってから 手紙の交換が数度あっただろうか。そのうち途切れてしまった。
知らせがないのが 元気な証拠ともほっとけない。
近くに住む友人に様子を聞いた。
「ほれ まだ知らせてなかったか。彼はこのまえ胃の全摘出手術をしてねその後、俺も会ってないんだ。
すまないが 模様見て知らせてくれないか。わかった
といったものの その友人から 何の知らせもない。われわれの年配゛だから そんなことでなくなっても
不思議ではないのだが、どうも信じられない。走行しているうちに 私自身 すごい血便を出した。
手術のできる体ではないし 成り行きに任せるしかない。一週間ぐらい断食した。血便は
とまったようだ。友よしばらく待て 一緒に逝こう。