公園では まだ安保゜のデモが続いている 昨日 ゴルフや消した総理は、岸・安部さんの墓参りをした。
「今度は 経済のほうで画変張りますと 誓ってきたそうです。
「アメリカの国賓として招かれた 習さんは大統領の招待を受け 満足そうに タラップを降りた。」
そのとき 日本を取り巻く周辺事態の変化がいったいどこで起こるんだろうと思う。まさか北朝鮮
だって 自殺行為はしない゜。中国とアメリカは 第二次大戦を同盟で戦った中だ。アメリカが戦争仕掛け目わけがない。
まさか、第三次世界戦争 世界の指導者は 一国だけではない。地球の平和を意思していかねば 機器を避けることはできない。
阿部さん石場君のような破壊主義者は影を消している。
いまや国連の敵国条項は日本ただ一国ではないか。
日本は抑止力を言う前にまず時刻の外交の稚拙さを学ぶべきである。戦後70年 日本外交の失策で
北方領土はひとつも帰っていない。変える機械を失した。拉致家族は項済み時代に5の帰国者があっものの
後は何もなし。この人たちも老齢化して 果たしてどんな状況かわからない。
これも外交の失敗である。尖閣も魚つりも されるがままである。
外交は勧告にまで負けてしまった。
外交力というものは 国家の総合力という人がある。もちろんそんなところもあるだろう。
昨夜 眠れぬままに 西郷遺訓を読んでいたら そのことについて 外交の本質は 交渉するものの
特に追うところが多い。才覚と人徳をかねれば 相手を信服させることができる。という一説があった。
西郷が 野に下る前 朝鮮問題について 武士集団からの つきあげがあったとき、「今の状態では
大儀もなければ名文もない。そんなことでは戦争で件でしょう。私を朝鮮に派遣してください゜
いったんはそれが決まり西郷は小躍りして゜喜び お国の役に立つときが来たというわけである。
そのときの心境を詩に託している。
朝鮮国に使いするの命を蒙る
酷吏去り゜きたって秋期清し
鶏林城畔涼を追うてゆかん
須く比すべし蘇武歳寒の操
応に擬すべし真卿身後の名
告げんと欲していわず遺子の訓
離るといえども忘れがたし旧友の誓い
胡天の紅葉 凋零の日
はるかに雲房を排すれば霜剣横たう。
外交に゜携わる人たちが ただ才能だけに頼るのでなく その比類なき徳をいかんなく発揮して゜
国難を回避する ことこそ 日本の歩む道である。