年金暮らしの自由人

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私の好きなアーチスト(ソニー・ステット)について(第20弾)

2011年09月01日 09時30分58秒 | JAZZ

LP、CDを合わせると、4~5枚程度所持していて、好きなアト・サックスの一人であるソニー・ステットについて簡略的に触れてみます。

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ソニー・スティット(Sonny Stitt)ことエドワード・スティット(Edward Stitt, 1924年2月2日 ボストン ? 1982年7月22日他界:58歳没 ワシントンD.C.))は、ビバップ期およびハードバップ期に活躍したアメリカ合衆国のジャズ・サクソフォン奏者。1945年から1949年まで、ビリー・エクスタインのビッグバンドにおいて、将来のバップ様式の先駆者であるデクスター・ゴードンやジーン・アモンズと並んで、アルト・サクソフォン奏者を受け持った。退団する頃にはテナー・サクソフォンをより頻繁に演奏するようになる。また、1946年にディジー・ガレスピーのバンドに参加。その後はアモンズやバド・パウエルと共演した。50年代初頭にはジーン・アモンズと2テナー・チームを組んで一世を風靡した。その水際立ったプレイは天下一品です。

 

当初はアルト・サックスを吹いていたが、そのプレイがチャーリー・パーカーにそっくりと評され、パーカーの影に隠れ、陽のめが当たらず、それを嫌って40年代末にテナー・サックスにスイッチ(パーカーの死後、再びアルトも吹くようになった)。
努力によりテナーでも能力を開花させているが、アルトの能力もパーカーは別格として、特別の才能を秘めていた。
ブルースや、《スカイラーク(Skylark)》のようなバラードによってとりわけ深い感銘を与えた人物です。同世代の他のサクソフォン奏者に比べると、資料に特に恵まれた一人であり、生前に平均点以上(駄作作品はない)
の録音を残した。スティットの演奏は、最初はチャーリー・パーカーやレスター・ヤングに大きく触発されていたが、ゆくゆくは自身の演奏様式を繰り広げ、今度は自分がジョン・コルトレーンを感化することとなったようです。

 

主なリーダー作として、 Pen Of Quincy 、Sits In With The Oscar Peterson Trio 、Boss Tenors 、Stitt / Powell /Johnson 、New York Jazz 、Stitt Plays Bird (Remastered) 、Personal Appearance などがあります。

 

1948年から1949年まで麻薬密売の罪でレキシントン監獄に収容されています。