年金暮らしの自由人

サブタイトル:自然とお酒と音楽と
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ロックの殿堂 第11弾 (イーグルス)

2013年01月27日 21時34分12秒 | ロック

私が好きなロックの分野でプレーヤー及びアーチストを紹介するコーナーです。


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イーグルス(英語:Eagles)は、1971年にデビューしたアメリカのロック・バンド。アメリカ西海岸を拠点に活動しながら世界的人気を誇り、トータルセールスは1億枚を超える。

イーグルス結成の先駆けとなったのは、1971年にリンダ・ロンシュタットのバックバンド(Linda Ronstadt & Her Band )編成のためにミュージシャンが集められた機会であった。これにグレン・フライ、ドン・ヘンリー、ランディ・マイズナー、バーニー・レドンの4名が顔をあわせ、後に彼らは独立して、1971年8月にバンドを結成することを思いつき、ロンシュタットが所属していたアサイラム・レコード(拠点・ロサンゼルス)からイーグルスとしてデビューした。

1972年に「テイク・イット・イージー」が、デビュー曲でいきなりシングル・ヒットを記録。続く「魔女のささやき」も全米ヒットとなった。デビュー当初は一般にはカントリー・ロックのイメージが強かった。

2枚目のアルバム『ならず者』はコンセプト・アルバムと言われているが、基本的にはファースト・アルバムと同様のサウンド構成に留まり、ブルーグラス的な楽曲と、ロック的な要素を共存して、哀愁を帯びたバラードに仕立て、音楽的成熟度としては格段の向上を見せた。

1975年、大ヒット・アルバム『呪われた夜』を発表。タイトル「呪われた夜」をはじめとし、グラミー賞、ベストポップボーカル賞を獲得した「いつわりの瞳」、ランディー・マイズナーがボーカルをとる「テイク・イット・トゥ・ザ・リミット」と3つのヒット曲を生んだ。
全体としてはよりロック色を強め、またタイトル曲ではAORやファンク、ダンス・ミュージック的要素を盛り込むなど、音楽的な幅はさらに広がった。音楽的方向性への疑問や揉め事も重なったことで1975年12月にバーニー・レドン脱退。
レドンの後任には、元ジェイムズ・ギャングのメンバーであったジョー・ウォルシュを迎えた。ウォルシュの加入には反対するメンバーもいたが、音楽的には一気にハードロック色を強める結果となった。1976年には、初来日公演を果たしている。

1976年、彼らの代表作となる『ホテル・カリフォルニア』を発表。当時のロック界ひいては都市社会の矛盾を揶揄したかのような歌詞と13本ものギターを重ねた完璧なサウンド・ワークによって、全世界的な大セールスを記録し、1970年代のアメリカン・ロックを代表する曲のひとつとなった。

その後、グループ間の不仲や、曲作りのスランプなどからバンドは1980年に活動を停止。そして1982年、正式にバンドの解散が発表された。

1994年に、第1期最終メンバーによって再結成。4曲の新曲とライブ収録曲を併収した変則アルバム『ヘル・フリーゼズ・オーヴァー』を発表し、以後世界規模でのツアーを繰り返し展開。
1995年に16年振り3度目の来日公演を東京と横浜、兵庫、福岡で行ない成功を収めた。2004年には5大ドームと横浜アリーナにおいて、9年振り4度目の公演が行われた。1998年に、ママス&パパスやサンタナなどと共にロックの殿堂入りを果たした。
2007年10月31日に、久々の新作『ロング・ロード・アウト・オブ・エデン』(19曲+ボーナストラック1曲入り、2枚組)を発売。2011年3月1日から6日にかけて、実に7年ぶりとなる5度目の来日ツアーを東名阪ドームで実施。現在も活動を続けている。
代表作はホテル・カリフォルニア、呪われた夜、ならず者などがある。
(ウィキペディア フリー百科事典抜粋による)

 


私の好きなアーチスト(ビリー・ホリディ)について(第21弾)

2013年01月09日 17時19分22秒 | JAZZ

ジャズ及びロックそして自然が好きな皆様、新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。昨年は多数のアクセスありがとうございました。

LP、CDを合わせると、15~20枚程度所持していて、最もジャスの深さに影響を受けたボーカリストです。ビリィ・ホリディについて簡略的に触れてみます。

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ビリー・ホリデイ(Billie Holiday, 1915年4月7日 - 1959年7月17日)は、アメリカ合衆国の黒人女性ジャズ歌手。「レディ・デイ」の呼称で知られる。サラ・ヴォーンやエラ・フィッツジェラルドと並んで、女性ジャズ・ヴォーカリスト御三家の1人に数えられる。人種差別や、麻薬・アルコール依存症との闘いなど壮絶な人生を送った彼女は、多くの人々を魅了したその声も晩年にはかれ、音域も極端に狭くなっていった。しかし、なお情感豊かな唄声は他に並ぶ者がいないほどの高い評価を与えられ、ジャニス・ジョプリンをはじめとする多くのミュージシャンに多大な影響を与えた。

彼女の生涯に於いて代表的なレパートリーであった「Strange Fruit (奇妙な果実) 」や「God Bless' the Child (神よめぐみを)」、「I Love You, Porgy (アイ・ラブ ・ ユー、ポーギー) 」、「Fine and Mellow (ファイン・アンド・メロウ) 」は、後年、多くのミュージシャンに取り上げられるジャズ・ヴォーカルの古典となった。

ビリーことエリノラ・フェイガン・ゴフは、1915年にフィラデルフィアで生まれ、メリーランド州ボルチモアのフェルズ・ポイント地区で育った。 彼女が生まれた時、母、セイディ・フェイガンは19歳。母子家庭で育てられ、父はクラレンス・ホリデイ17歳とされているが、確かなことは不明。ただ、母が「あなたの父さんはクラレンス・ホリデイ」と言っていたことから、「ホリデイ」を名乗る。(ウィキペディア百科事典を一部抜粋)
昨年暮れ頃にBSアーカイブスで放送した中から『世界のディバー男と女の物語』で彼女の自伝を紹介しているが、15歳の父と13歳の母という「子どものような」ふたりが結婚し、ビリィはその間に生まれたとされている。
当然生活はできず、母親は娘を売春宿に預けて売春生活を始めるが、1929年には母と共にエリノラまでが売春の容疑で逮捕され収容される。また15歳の頃に強姦にあい悲惨な結果となる。やがて、大人になり結婚、離婚を繰り返す事になるが、いずれの男もビリィの金と体を目当ての男ばかりであったと言われている。ビリィの求めている愛と現実とのあまりの差が情感豊かな唄声となり、多くの人たちに響き渡ったのであろう。歌で名声を高めたビリィだがその一生はあまりにも寂しい。

多くの作品を残しているが、代表作としては、奇妙な果実、レディ・イン・サテン、ラバーマン、アラバマに星落ちて、アット・ストリービルなどがある。

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