いろいろつれづれ日記

16歳と13歳の女の子のママです。子育て記録から始めたブログでしたが、いまは何でもあり!日々の活動記録になっています。

10月26日(出産ドキュメント)

2005年10月26日 | Weblog
<お知らせ>
10月18日、無事女の子を出産しました。
24日、退院しました。


しばらくブログをお休みしておりましたが、
今日やっと再開します。

今回は、18日一日の出産ドキュメントを書きます。
次に、また時間があったら1週間の入院生活の様子を書こうと思います。
後日の記録にしたいので、詳細に書きます。
かなりの長文なので、読み続けると疲れます!
興味の無い方は読み飛ばしましょう。


<10月18日>
今日も午前3時頃、定期的な痛みが来る。
しかし、時間が経つにつれ、また間隔が広がっていき、
朝になると痛みもおさまった。

今日は健診の日だが、もう陣痛が規則的に来るまで
病院には行きたくなかった。病院を往復したくなかったのだ。
寝不足のせいか、ボーっとしていた。

しかし、痛みが再発する様子がないので、
仕方なく健診へ行こうと家を出ると、
あわせて隣の家からお義母さんが出てきた。
事情を話すと、「でも健診は行かなきゃだめよ」という
お義母さんの声に後押しされ、病院に行くことになった。
お義母さんが、入院かばんも一緒にもって行くという。

私は「また帰されるんじゃないか」と思っていた。

病院で、診察が始まった。
今回は、初めて「分娩監視装置」という、赤ちゃんの
脈拍をグラフにとる機械を体につけた。
この頃くらいから、またおなかが痛み始めた。

次に内診が始まった。
見てもらうと、子宮口が4.5cmくらい開いているとのこと。
すぐ入院になってしまった。

持ってきた荷物は無駄にならずに済んだ。
さすがお義母さんだ。

11時30分ごろ、入院となったが、
通されたのは病室ではなく、陣痛室だった。
この病院の陣痛室は、ベッドが2台あり、
カーテンで仕切られているだけだった。
隣には、朝産んだらしい人が、
旦那さんと赤ちゃんと一緒に休んでいた。

昼ごはんが運ばれてきた。
メニューは日本そば。
病院なのにそばがでるのか・・・。
お腹は空いているものの、お腹が痛くて美味しく食べられなかった。

2,3時になって、定期的にお腹が痛い。
そして3時過ぎ、次の妊婦さんが隣のベッドにやってきた。
フーフー言っている。
私よりはるかにキツそうだ。
私も痛いけど、痛みが無いときもある。
しかし、隣の妊婦さんは常にフーフー言って、
しかもどんどんフーフーが早くなっている。
そして吐いてしまった。

そういえば、午前中休んでいた人も、
「吐いたから食欲が無い」と言っていた。その人ももどしたらしい。
みんなもどすのかなぁ。

となりの人のフーフー言う声や、もどす音が聞こえてくる。
私もお腹が痛いが、そんな音を聞かされると気分が萎える。

とうとう隣の人は内診の後、子宮口が最大になりつつあるようだった。
「出そうです」という訴えの後、隣の人は分娩室へ移動していった。

分娩室と陣痛室はつながっているのだが、
なんとその人が入った後も分娩室の扉は閉められることがなく、
分娩室からの声が丸聞こえだ。

分娩の経過が声で伝わってくる。
私もお腹が痛いけど、その人の方がもっと壮絶だ。

私もそのうちとなりの人と同じ経過をたどるのかと思うと、
とても不安だ。私にも同じことができるのか。

5時半ごろ、隣の人の赤ちゃんが生まれた。
分娩室へ移動してからそんなに時間はかかってないんじゃなかろうか。

私はとりあえず、良かった、と思った。
声はかけてあげられなかったけど、私は心の中で
あなた(隣の人)へエールを送っていたんだよ。
隣の人の出産は終わった。
次は私の番だ。

しかし、隣の人の壮絶なお産の様子を見て、
定期的に来ていた私の陣痛はまた間延びしてしまった。
ここで間延びしたら、早く生まれないではないか。困ったなぁ。

7時過ぎ、旦那さんがやってきた。
夕食が運ばれてきた。
夕食の中に、好物のマグロ納豆があった。
しかし、陣痛のためほとんど食べられない。
ご飯を食べないと、このあとの出産に体力がつかないのになぁ。

8時が過ぎ、陣痛はいつものリズムに戻った。
しかも痛みは強くなっている。
私は「いたーい、いたーい」と旦那さんに言い続けた。
声に出した方が痛みも和らぐかと思ったのだ。

そのうち、また分娩監視装置が装着された。
この機械は、赤ちゃんの脈拍と、子宮内の音が聞こえてくるのだ。
この音を聞いていると、出産への気持ちが高ぶってくる。
陣痛もいつしか間隔がなくなり、常にずっと痛くなっていた。

その後、お義母さんがやってきた。
なんだか、こんなに痛いのはどうして私だけなんだろうと思い、
お義母さんの顔をみたら涙が出てきた。

そのうち、やはり私も気持ちが悪くなってきて、
ベッドの上で寝ながらもどしてしまった。
しかも通路側ですればいいのに、機材の置いてある側へ
吐いてしまい、機材にかかってしまった。
あーぁ。気持ち悪いと言ったのに、旦那さんが袋を出すのが遅かったからだよー。
ベッドの上で吐いたので、私の顔はゲロまみれ。ベッドも汚れた。
しかも夕食のマグロ納豆のせいで、とてもにおう。
あーあ。納豆出すなよー。

そして、あるタイミングから、痛みの種類が変わった。
かたまり(それは赤ちゃんのことだけど)を、
とにかく早く出したい感じだ。

内診すると、子宮口が8~9cmになっており、
もう早く出したい感じで我慢が出来ない。
そして、それほど待たされず分娩室へ移動となった。

私が早く移動したせいか、周りの準備が追いついていないようで、
スタッフの人はあたふたしていた。

分娩台に上がり、一生懸命踏ん張る(いきむ)ものの、
全然出てこない様子。
痛みは最高潮。何がなんだかよく分からない。
台の上で気が狂いそうだ。まな板の上で今からさばかれる魚はこんな感じなのかなぁ。こんなことは初めてだ。

それにしても早く出したいので、また踏ん張る。
まだでない。一体どうなっているのか。
声を漏らすな、出すなと言われた。
すごく踏ん張る。
何回くらいいきんだろうか。
3,4回いきんだところで、先生が登場する。
先生が出口を切開するらしい。

出産前は切開するのが本当に怖くて嫌だった。
でもこのときはもうその考えも無くなり、早く切って欲しかった。
切って赤ちゃんが無事に出てくるのならそっちの方がよっぽどいいと
思ったのだ。

途中、点滴や注射を打ったが、針をさす痛みは全然気にならない。
しかも切るのも気にならなかった。

そうこうするうち、赤ちゃんが本当に出てきたらしい。
いきむのを止めさせられた。
赤ちゃんはするっと出てきた。時間は午後11時21分。
出ると今までの痛みはうそのように消えた。
はぁはぁ。
そして赤ちゃんは出ると同時に勢いよく泣いた。元気そうだ。
その元気さに安心した。
性別はやはり女の子だった。

出てきてすぐ、赤ちゃんを胸の前に置いて見せてくれた。
あぁ。かわいい。私の第一声。
それは本当に見た目のかわいい女の子だったのだ。
よく生まれたての赤ちゃんって、すごくぶさいくなのをイメージしていたのだが、
その子はそんなんじゃなく、本当にかわいかったのだ。

赤ちゃんはいったん離された。
私の気分も落ち着いてきた。
そのうち、先生が切ったところを縫合するという。

先生が縫う。
チクッとして本当に痛い。
これは産むときより痛いかも知れない!?
私はまた「いたーい、いたーい」と言ってしまった。

落ち着いたところでまたベッドへ移り、
陣痛室へ移動した。
動く天井を見ていた。
あぁ。私はどんな風にして移動して来たのだろうか。
方向感覚が全然分からない。

あぁ。でも生れてくれて本当に良かった。
今日一日は本当にいろんなことがあったけど、
これで私の「トツキトオカ」は終わった、と思った。

(入院生活編へ続く→)
コメント (1)
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