天沼春樹  文芸・実験室

文芸・美術的実験室です。

猫迷宮 77

2011年03月22日 16時15分09秒 | 文芸

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 会社の郵便受けに茶色い封書が届いていた。差出人は、あの稲葉氏だった。稲葉氏の印象からだろうか、なんだか気が重くなる。陰気なオーラがその封書からも漂っている気がした。悪因縁のオーラだ。たぶん、校正刷りの返しがおくれている詫びだろうと、ハサミをだして封書をあけた。便せんに細かい文字で、案の定の言い訳が書いてあった。八月の末までには御返却できるだろうとある。まあ、かまいはしなかったが、用件のあとに、なんのつもりか、近況の報告が書いてある。

 

 私、最近になって、人の紹介で風変わりな霊媒師のもとに時々通っております。失せ物、訪ね人、良縁などの相談をしてくれる女占い師とでも申しましょうか。私には年来の関心事がありまして、易者の類はマメに訪ねたりしておりますが、今度の方は、陰陽五行とは縁がないような洋風の鑑定だとのことでした。占星術のたぐいかと思っておりましたら、霊媒だと申します。つまりは、さがす相手が生き物ならば、その魂を呼び出して、いまの居場所を口寄せしてくれるらしいのです。すでに物故している場合は、あの世からの交信となるはずです。イタコとはちがうようで、めったなことではそんな降霊術はいたさぬと、紹介の知人も言っておりました。

 私の関心は、魂がほかのものに憑依するという民間伝承でありまして、たとえば狐憑きとか、蛇憑きとか、はたまた死者の霊が憑いてしまうとか、斯界ではよくある現象のようであります。何度か訪ねているうちに、しだいにこちらの興味を伝えて、その人の霊能をこの目で確かめたいと思ったりしております。霊能と申しましても、多くは心理的な催眠術であることが多く、まやかしとまでは言わずとも、実態がないわけで、単なる仮想体験にすぎぬことは承知しております。ただ、ここ数年来、身体が弱ってきていますゆえ、長年抱いていた疑念をはらしたいし、また、私個人の実体験がいかなるものかと糺したくもあるのです。詳細は『猫文書』の中にも書いておりますから、神尾様も御存じと思われます。

 ともあれ、明日にもまた、京浜線の梅屋敷の奥にあるその霊媒師の家を訪ねることになっております。(稲葉峯生氏の私信)