今年は戦後70年ということで、多くの戦争体験が報じられていますね。
私が小学3年生の、12月8日に大東亜戦争(第二次世界大戦)が勃発して、敗戦という形で戦争が終わったのが、女学校1年生の8月15日。
その間3年8か月。
実感としては、10年位あの無残な戦争の中にいたような気がしています。
今まで戦争のことは思い出したくなくて封印をしていましたが、鮮明に脳裏に焼きついている風景があるのです。
当時、私は熊本県八代市に住んでいました。
終戦の年のある日、暗くなった裏庭から見た北の空一面に、何かが斜めの線になって落ちて行く風景が、赤く照らし出されて、それは美しいとしか表現ができない風景なのに、体が固くこわばっていたのを思い出します。
後で、熊本市が空爆で焼け野原になったことを知りました。
あの時のその風景を、いま話しても誰も信じないでしょう。
当時は、空襲から身を守るために、灯火管制が布かれていて、電灯には覆いをかぶせてさえぎる光がなかったのです。
星を見るように、熊本で焼夷弾の落ちて行く風景を、八代から眺めたという訳です。
信じますか?
私が小学3年生の、12月8日に大東亜戦争(第二次世界大戦)が勃発して、敗戦という形で戦争が終わったのが、女学校1年生の8月15日。
その間3年8か月。
実感としては、10年位あの無残な戦争の中にいたような気がしています。
今まで戦争のことは思い出したくなくて封印をしていましたが、鮮明に脳裏に焼きついている風景があるのです。
当時、私は熊本県八代市に住んでいました。
終戦の年のある日、暗くなった裏庭から見た北の空一面に、何かが斜めの線になって落ちて行く風景が、赤く照らし出されて、それは美しいとしか表現ができない風景なのに、体が固くこわばっていたのを思い出します。
後で、熊本市が空爆で焼け野原になったことを知りました。
あの時のその風景を、いま話しても誰も信じないでしょう。
当時は、空襲から身を守るために、灯火管制が布かれていて、電灯には覆いをかぶせてさえぎる光がなかったのです。
星を見るように、熊本で焼夷弾の落ちて行く風景を、八代から眺めたという訳です。
信じますか?