毎年8月15日は、これまでの人生で最も緊張する日です。
73年前のいつもより激しく鳴いていたセミの声が今でも耳に残っています。私が高等女学校(現中学校)の1年生の夏でした。
大事な放送があるのでちゃんと聞くように!とのお達しがあり、家族全員が正座をしてラジオの前に座りました。
ガーガーと雑音の入るラジオから、天皇陛下のお言葉を聞くということが分かり、雑音のために内容はあまり分からないまま陛下のお言葉は終わりました。異常事態であることは雰囲気で分かりましたが、真実を知ったのは町内の役員さんからの報告を受けてからです。玉音放送により日本が戦争に負けたことを知ったのです。
それまで日本は世界一強い国だと教えられ、あの第二次世界大戦は勝つための戦争で、勝つたびに?日の丸の小旗を振ってぞろぞろと行進をしていました。お米も不自由し着るものも木綿がなくなり、鉄製品の鍋釜もお国のために供出しなければなりませんでしたが、その時はそれが自爆(特攻隊)のための飛行機の材料になるなんて想像だにしませんでした。
北朝鮮の餓死者が道端に転がっていたり、体に爆弾を巻いて自爆するISの若者たちの現実と寸違わぬ事実が行われていたのです。そしてそれが戦争なのです。
あれから73年、追いつけないほどのスピードで日本の歴史は走り続け、私たちも平和の豊かさを十分に体験しました。
世界中の人々が手をつないで希望にあふれたバラ色の人生を、どうぞ神様、永遠に授けていただけないでしょうか!!
73年前のいつもより激しく鳴いていたセミの声が今でも耳に残っています。私が高等女学校(現中学校)の1年生の夏でした。
大事な放送があるのでちゃんと聞くように!とのお達しがあり、家族全員が正座をしてラジオの前に座りました。
ガーガーと雑音の入るラジオから、天皇陛下のお言葉を聞くということが分かり、雑音のために内容はあまり分からないまま陛下のお言葉は終わりました。異常事態であることは雰囲気で分かりましたが、真実を知ったのは町内の役員さんからの報告を受けてからです。玉音放送により日本が戦争に負けたことを知ったのです。
それまで日本は世界一強い国だと教えられ、あの第二次世界大戦は勝つための戦争で、勝つたびに?日の丸の小旗を振ってぞろぞろと行進をしていました。お米も不自由し着るものも木綿がなくなり、鉄製品の鍋釜もお国のために供出しなければなりませんでしたが、その時はそれが自爆(特攻隊)のための飛行機の材料になるなんて想像だにしませんでした。
北朝鮮の餓死者が道端に転がっていたり、体に爆弾を巻いて自爆するISの若者たちの現実と寸違わぬ事実が行われていたのです。そしてそれが戦争なのです。
あれから73年、追いつけないほどのスピードで日本の歴史は走り続け、私たちも平和の豊かさを十分に体験しました。
世界中の人々が手をつないで希望にあふれたバラ色の人生を、どうぞ神様、永遠に授けていただけないでしょうか!!