江戸時代中期1707年(宝永4年)の富士山の「宝永大噴火」
この噴火はマグニチュード8.6~8.7推定(日本最大級の地震)
その後49日後に大噴火が始まった
巨大地震の強い力で内部にひびが入り
爆発的な噴火を引き起こしかねない(産業技術総合研究所)
こんな美しい富士山が
近い将来、東海相模巨大地震よって
大噴火が始まったらどうなるのだろう??
考えてみても恐ろしくなる
地震の神様(ナマズ大明神様)
人々の悪行に絶対怒らないで下さい
お願いします
江戸時代中期1707年(宝永4年)の富士山の「宝永大噴火」
この噴火はマグニチュード8.6~8.7推定(日本最大級の地震)
その後49日後に大噴火が始まった
巨大地震の強い力で内部にひびが入り
爆発的な噴火を引き起こしかねない(産業技術総合研究所)
こんな美しい富士山が
近い将来、東海相模巨大地震よって
大噴火が始まったらどうなるのだろう??
考えてみても恐ろしくなる
地震の神様(ナマズ大明神様)
人々の悪行に絶対怒らないで下さい
お願いします
11月28日太平山紅葉狩り
麓の駐車場に車を止め
自動車道を徒歩で登り、関東ふれあいの道(舗装道路)
下り大中寺まで
大中寺で昼食、持参のおにぎり
暫し休憩
大中寺とは
七不思議が伝わる曹洞宗の寺
太平山南麓の山懐につつまれた名刹大中寺は、
はじめ真言宗の寺として久寿(きゅうじゅ)年間(1154~1155)
に建てられたが、その後、衰退していたのを
快庵妙慶禅師(かいあんみょうけいぜんし)が
延徳(えんとく)元年(1489)に曹洞宗の寺として再興したという。
戦国時代、越後の上杉謙信は関東管領職を受けて、
北関東に進出すると大中寺の6世住職快叟(かいそう)が叔父であったことから、
この寺を厚く保護し、永禄4年(1561)、
当時、焼失していた伽藍の修復を行っている。
永禄11年(1568)、謙信が北条氏康と和議を結んだのもこの寺である。
以上は栃木市の観光案内から抜粋
お寺さんの関係者から
話を聞いて、近道を太平山神社に向け出発
急坂に岩と木の根の登山道
汗をかきながら茶店までたどり着く
およそ20分ぐらいの行程でした
茶店で草団子で紅葉を楽しみ
太平山神社参拝の後
下山をする
反対の自動車道をあたりの風景を楽しみながら
麓の駐車場に到着
久し振りのトレッキング
爽快でした