揺れる日本列島・九州北西部とホリエモン 3月21日

福岡県西方沖地震は、マグニチュード7.0、震度6弱の大きな地震だった。死亡者こそ1人という報道だが、半壊を会わせると多数の家屋が甚大な被害を受けている。映像を見ると、犠牲者が少ないことは奇跡だ。阪神淡路大震災から10年、中越地震そして暮れのスマトラ沖地震と相次いで巨大地震に見舞われる日本そしてアジア地域。地震に対する警戒と備えを強調しても、誰も昨日の福岡県西方沖地震を予知できた者はいないのだ。昨年政府は「九州北部で震度6弱の地震が起きる確率は、千年に1回未満」と発表したばかり!結局、予知などあてにはならず、地震は突然やってくるものなのだ。

昨日の地震も、その予兆は皆無だった。気象庁の発表によると、前日の19日に発生した地震は、三重県中部で震度1、宮城県沖震度1、広島県北部震度2、岩手県内陸南部震度2、三宅島近海震度1、東海道沖震度1、宮城県北部震度3、宮城県沖震度2の8件だった。宮城県で頻発していることがうかがえるが、これら8件をして福岡の地震を予兆できるものは存在しない。東海大地震の発生は言われて久しいが、所詮はいつ何時発生するかは、まったくわからないのだ。これが地震大国日本における、地震予知の限界なのだ。

中越地震の初動の遅れを教訓に、今回の政府の対応は素早かったとの一連の評価だ。しかし、私が総選挙でたたかいを挑んできた村田吉隆防災担当相は、地元岡山県で国政報告会の真っ最中だったため、緊急対策本部のある内閣府に到着したのは、地震発生から5時間半余りが経過してのことだったという。村田大臣は、国政報告会を中断し、岡山市内の自衛隊駐屯地に向かったが、自衛隊機を最寄りの駐屯地から呼び寄せるのに手間取り自衛隊機の使用を断念。陸路、香川県高松空港へ向かい、民間機で帰京したそうだ。

震災発生後の初動がいかに迅速かで、被害の大小は決まるという。どこに居ようとも防災担当大臣が瞬時に官邸もしくは内閣府に戻れる態勢を整えることは、危機管理の第一歩といえる。市街地へ降りるよりも、天に昇るほうが近いのではないかと思えるほどの山頂の集落が点在する中山間地域を地元とする大臣には、緊急時の移動手段の確保は、頭の痛い問題だろう。

科学は進歩し、宇宙旅行が可能になった現代でも、地底で巻き起こる現象に対して、人間は無力だ。阪神淡路大震災並みの震度にも耐え得る耐震構造の技術は、建築メーカーのウリの一つにはなっているが、日本中の建物すべてを切り替えるほどのプロジェクトにはなっていない。総理官邸や公邸、国会議員会館の建て直しは真っ先に実行されても、国民の住宅の安全までは保証してくれない。少なくとも政府は、年金制度や食の安全に関しては、国民を全力で守り抜く姿勢を現して欲しいものだと強く願う。

ライブドアの堀江貫文社長は、「自分に夢はない」と明言している。つまり、今、彼がやろうとしている「テレビとインターネットとの融合」について、フジサンケイグループの社員や視聴者に対して、それによってどのようなコンテンツを提供でき、その結果、どのように斬新で魅力的な情報の双方向社会が実現し得るのか、まったく説明ができないのだ。これではフジテレビの日枝氏ならずとも、堀江氏の志を、多くの人は温かく許容する気持ちにはなれないだろう。

堀江氏は、「お金こそ何の色もなく公平だ」と断言する。確かにその通りだ。しかし、堀江氏は、お金で買えないものは、差別や家柄であって、それらに満足している人が、お金を大切にしないのだと明言している。地位も既得権益もある人に限って、「お金がすべてだ」という論理を否定するのだとも述べている。

しかし、堀江氏がフジサンケイグループに挑んだ今回の敵対的買収では、フジサンケイグループの社員の心を引きつけるどころか、社員の不安をあおり、グループをあげて、堀江支配から逃れようと必死だ。堀江氏の論理でいけば、フジサンケイグループの社員の心も、お金で買えたはずなのだが、現実にはそうはいかなかった。当然だ。フジサンケイグループの社員の心を引きつけることすらできない堀江氏が、テレビやラジオの舵取りを行なったとして、視聴者を引きつけるだけのコンテンツを提供できるかどうかは、非常に疑問だ。

堀江氏は、差別や家柄を引き合いに出したが、重要なことは、その人の出自ではない。堀江氏に関して言うならば、社会への感謝と人々に信頼感を与える温かい包容力、すなわち豊かな人間力の部分に、残念ながら不備があるのだ。堀江氏の、先の先を読む並々ならぬ明晰な頭脳をいかすには、まずは、社会の中心に立てるだけの揺るぎない人間力の形成に、努力と意識を傾ける必要がある。賢い堀江氏のことだ。いまからでも遅くはない。人間のハートにアタックするだけの、お金では決して買うことの出来ない崇高な人格を、一歩一歩身に付けることから始めるべきだ。

今回のライブドアVSフジの攻防で、私たちは多くのことを学ぶことができる。既存の役員が支配権を維持するための新株予約権の発行は、司法の判断によって却下された。一般株主を無視したこの方法は、既得権益にしがみつく国会議員にも似て当然許されるべき手法ではない。しかし、たとえ合法的と判断されても、お金がすべてだと豪語する堀江氏を、社会はなかなか受け入れようとはしない。大きな改革を断行するには、より多くの人々の総意とエネルギーが必要だ。改革者は、人心を魅了しなければならないのだ。翻って、自分自身を見つめ、研鑚努力の糧としていきたいと自戒する私である。
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