永岡議員の無念 8月2日

その国の宰相たる者、民の言葉に耳を傾けて当たり前。しかし、わが国の宰相は違う。自分の思い通りに、民を操ろうと必死なのだ。民は、正常の精神を持ち合わせていれば、そんな宰相の独りよがりに迎合などしない。そんなこと当たり前なのに、この国の宰相は、まったく意にかんせず。民は、ついて来るものと信じている。

でも、アイデンティティを確立した民は、そう簡単には宰相の意向には従わない。次々と発表される週刊誌の総選挙の当落予想。すべてが、「民主党の圧勝」。それでも小泉総理は、総選挙に打って出るのか???

永岡洋治議員の自殺は、政界のみならず、多くの人々に衝撃を与えた。永田町の出来事は、決して他人事ではないし、すべてが有権者1人1人に直結していることを、あらためて皆が認識したはずだ。永岡議員は、心底、気の毒。永田町と選挙区、その両方の犠牲者だ。自民党執行部は、明らかに無責任。特に武部幹事長は、異種異様なプレッシャーを、弱い立場にある永岡議員に与えたに違いない。

そしてまた有権者も、事ここに及んで無責任。選挙民(支援者)は、言うだけ言って満足する。それで良いかもしれないが、言われた永岡議員は、たまったものではない。永岡議員の苦渋の選択を、理解しようとして、初めて真の支援者と言えるのに、あたかも永岡議員に非があるかのごとく、自分の言い分だけを言い張り、責めたてる・・・。どれほど、本人を傷つけているか、まったく眼中にない・・・。小選挙区制度の最大の弊害。

でも、選挙なんてそんなものだ。永岡議員に、そのいろはを伝える人が1人も居なかったのかと、今更ながら不思議に思う。私など、落選後、1人で考え込んでいたら、間違いなく永岡議員と同様の予後だった。良い人過ぎても、選挙なんて絶対に成立しない。しかし、度が過ぎると有権者への裏切りとなる。自身のアイデンティティを確保しながら、尚かつバランスをとることは、本当に難しいことなのだ。

武部幹事長は、弱みに付け込み、尋常ならざる勢いで、永岡議員を脅していたに違いない。派閥幹部の亀井氏や平沼氏が、永岡議員の亡がらを、氏の自宅で待ち受けたその心情は、この私でも、想像に難くない。綿貫氏が奇しくも言った「こんな政治では、駄目だ」の言葉に、私たち国民は、一縷の望みを託したい。

弱者に心を寄せる、そんな情けのかよった政治を、私たちは本来求めているのだ。今回の「ドタバタ劇」は、私たち国民に、誰が本当に「国民本位」の政治家なのかを、十分に見極めるチャンスを与えてくれている。いざという時に自己保身だけに走らない、尊敬に値する器量を持った政治家なのか、ここでじっくりと見極めよう。永岡氏の犠牲を無にしないために、有権者にも高い志が必要なのだ・・・。


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