質問主意書 2月1日

BSE問題に関する川内博史代議士の質問主意書に対する答弁書が証拠になって、政府に大きな打撃を与えたことは間違いない。この質問主意書は、官僚でさえ知らない事実もあったくらいで、BSEに関して、おそらく全ての国会議員の中で最も踏み込んだ質問内容といえるものだ。問題となった部分以外にも不十分な点の多い答弁書だが、そういう政府の対応も含めて、BSEの恐怖から日本の国民を守っていくための、ある意味切り札になり得る質問主意書と答弁書だったわけで、政府の閣議決定違反は重大な国民への裏切り行為となった。

今回問題になったのは、政府答弁書通りに、事前の現地査察が実行されなかったことだ。行政の最高意志決定である閣議決定は、閣議決定をもってのみ、内容を修正あるいは変更できるわけで、「事前調査」を勝手に「事後調査」に変更することは、閣議決定を経ずしてあり得ない話なのだ。

この失態を受けて、なんと政府は、質問主意書に新たな規制を設けようとしているらしい。第一は、閣議決定を経れば、答弁書の変更あるいは撤回をしても良いというものだ。とんでもない!そんなことになれば、東横インと同じ不正が、必ず行われる。答弁書を出しながら、その後の閣議で内容の撤回がいつでも可能になれば(今の政府なら、十分やりかねない)、それでは質問主意書の存在意義が完全に失われてしまう。

第二は、質問主意書の提出回数に、制限をもたせるというものだ。これは川内議員の質問主意書とは直接の関係はなく、要するに、鈴木宗男議員の連発する質問主意書に、外務省が困り果ててのことらしい。鈴木議員は、民主党など他の政党が協力しない限り、委員会や本会議で質問のチャンスは回ってこない。鈴木議員の、おそらく唯一の国会活動が質問主意書の提出だったわけで、決して悪い話ではないが、行き過ぎは禁物だ。鈴木議員への答弁書作成のため、外務省が機能しなくなっているという説もあるくらいで、案の定、質問回数の制限という議論が持ち上がってしまった。

本来の趣旨からいっても、質問主意書に回数の制限を設けることは理に叶わない。会議や委員会で十分に議論されなかった項目については、質問主意書の形をとらざるをえないわけで、鈴木議員のように質問時間が殆ど与えられない議員の場合は、質問主意書の制限は、議員活動そのものの制限になってしまう。

そして何よりも、いったん閣議決定を経た答弁書の内容を、たとえ再度の閣議決定を経ても撤回することのないように、政府は十分に責任を持ってその作成にあたるべきだ。無責任に答弁書に抜け道をつくる前に、政府は、川内議員の質問事項をじっくりと再検討すべきだ。輸入再開に向けて、クリアしなければならないハードルは、まだまだ沢山ある。このまま不安点を放置するようでは、とてもまっとうな政府とは言えないではないか。
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