よりみち散歩。

日々の暮らしのなかで心に浮かぶよしなしごとを、こじんまりとつぶやいています。お役立ち情報はありません。

最愛の師匠の愛ある言葉「モローとルオー -聖なるものの継承と変容-」

2013年09月15日 | 美術
モローとルオー -聖なるものの継承と変容-を観覧してきました。



モローの「ユピテルとセメレ」は、ずっと実物を観たいと思っていた絵画のひとつでした。

ユピテル(ゼウス)の気迫に満ちた眼差しと、愛する男の真実の姿を知り驚愕するセメレ。
ユピテルに比べ、セメレの顔の描き方がちょっと雑な気がしたのですが、
迫力満点の作品でした。



ルオーは黒い輪郭で人物を描く画家。
…くらいの認識しかなかったのですが、この展覧会で初めて二人が師弟関係だったと知りました。

美術学校でふたりが出逢ったのは、モローは66歳、ルオーが21歳のときでした。

正直言って、今回の展覧会で一番印象に残ったのはとりどりの絵画ではなく、
このふたりの往復書簡でした。

モローは72歳で胃癌でこの世を去るのですが、直前まで愛弟子の行く末を案じ、
後援をしています。

1896年7月の、師モローからの書簡(私の思い出し書きです)。

「食べると気分が悪くなるが、6時間も経てば調子がよくなってきます。
 また制作に取り組む機会を持てればよいのですが。

 君はもっと私にまめに手紙を寄越すべきです。

 (ルオーの友人)ピオは作品を仕上げ、楽しそうにバカンスに行きました。
 作品は、まだまだ荒いところがあります。

 期間中に目的を達成できたわけでなく、制作過程で得たことを生かすために、
 作品を仕上げた後に、制作を再開することが必要不可欠なのです。
 
 これには大変な熱意と、膨大なエネルギーが必要です。

 しかし、恵まれた環境で、享楽的に甘やかされて育ってきた人間には、
 たやすく手に入らないものです。


 君は私に「<むしろ>手紙を出さずすみません」と書いてきたが、
 <より迅速に>と書くべきでしょう。

 教師はより迅速に、間違いを指摘しなければなりません。
 早く手紙をもらえれば、こちらも早く対応できるのです。

 (ルオーの友人)ミルサンドーにデッサンを出すようにいいましたが
 おっちょこちょいな彼が約束を覚えているか不安です。
 出来上がったら取りに行くから、電報をください。
 電報代は、私が負担しますから。


 君たち(ルオーとミルサンドー)への手紙に封をしようとして
 気づきました。
 軽率な君たちは、私に連絡先を知らせていませんね。
 大学に尋ねて、この手紙を出します。

 それにしても君たちはなんといいかげんで、頼りないのでしょう!」


モローは、このとき既に胃癌の兆候が出ていたようです。

その燃え尽きる寸前の灯火のような自分の命を振り絞り、
才能はあるものの、先行きが不透明な若い弟子たちの指導に
心を砕いている様子がうかがえます。

お金のない若者のために、電報代を負担するという思いやり。

作品を早急に仕上げ、心がバカンスに飛んでいるピオ、
師匠に住所を伝えるのを失念するルオーとミルサンドー。

未熟で頼りない彼らを、慈愛と謹厳さをもって父親のように案じ、
少しでも道筋をつけようとする様子に、胸を打たれました。

モローは72歳で身罷りますが、このときルオーに5000フランを遺します。
27歳のルオーは悲嘆のどん底に突き落とされました。

ルオーの師匠への思慕もまた強いものでした。
モロー美術館の初代館長は、ルオーが務めています。


デッサンの鍛錬後にキャンパスに色を乗せる手法を打破し、
いきなり絵筆で造形を取らせる教育を実践したのがモローでした。

その革新的な講義は大変な人気で、美術学校では立ち見が出るほどに
人気があったといいます。



モローの手紙。
今年読んだ文章の中で、一番感動し、一番印象に残ったものになりそうです。

それは、相手のことを本当に深く想い、力になりたいと願い、
尽きかけた命の焦りを伏せて、時折ユーモアを交えながら
叱咤激励をしているからです。

美文麗文、格調の高い表現は数多ありますが、
ここまで心のこもった文章には、めったにお目にかかれません。

良いものに触れた、としみじみ思いました。


※ 手紙文は、私の曖昧な記憶を再現している上、中略も多くなっています。
  これから当美術展に行かれる方は、ぜひ完訳をご覧ください。


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サザエさんの東京物語

2013年09月15日 | 読書
『サザエさん』を描いた、長谷川町子さんの妹、
長谷川洋子さんのエッセイを読みました。

サザエさんといえば、理想的な家庭の象徴であり、日曜夕方のオアシス番組でもあり
――とにかく、国民的漫画であることは間違いありません。


しかし、長谷川一家は、マンガのように穏やかではなかったようです。

晩年、末妹の洋子さんは、長姉・鞠子さんと次姉・町子さんと絶縁し、莫大な遺産も放棄しています。

エッセイにその詳細は描かれていませんが、どうやら「いつも三姉妹仲良く同居」を当然と思っていた二人の姉に対し、「独立宣言」をした妹の態度が不快だったようです。

「60歳過ぎまで主体性なく、母や姉たちのいうがままだった自分に呆れていたのだ」

自由のよさを知った洋子さん。
60歳過ぎで目覚める、変化に挑戦する、というのも凄いことです。

年を重ねるほどに、パターンを崩すのは困難になるから。


「サザエさんのうち明け話」では語られていた洋子さん、
町子さんの遺作となった「サザエさん旅日記」では、
わずか1コマしか出ていません。

まるで存在そのものがなかったかのような描きぶりに、
町子さんの嚇怒が込められているような気がするのです。

個人的な感想ですが、洋子さんという方は、頭もよく、
常識的な感性をもっていた唯一の女性だったと思います。

他の3人は、ある意味、女傑。天才。常人離れしています。

母の貞子さんは、強烈なクリスチャンで、全財産をつぎ込んでも、
世のため人のために尽くしてしまう。
ときには、娘が大事にしていたペットのにわとりまでつぶして、人に与えてしまう。
(町子さん、この件で号泣したそうです)

寄付自体はいいことですが、やるなら「自分のお金」で、と思うのは私だけ?
子どもが稼いだお金を親が湯水のように浪費するのは、善行であれ、
男に貢ぐのであれ、たいして違わない気がします。


長姉の鞠子さんも、ぶっとんでいます。
夫が戦死したという連絡を受けた時、

「あの人は死んだら自分の足で私に伝えにくる。
 来ないんだから、生きている」

とめちゃめちゃな理屈で旦那の実家にも足を運ばず、葬式も出なかったらしい。

(旦那さんを愛していたというよりも、よほど会いたくない人物が
嫁ぎ先にいたのかな、と邪推しています。結婚後も実家暮らしだったし。)

平成の今でも眉を顰められる行為を、戦中にやるなんて、なかなか個性的な人物です。

町子さんの天才ぶりは周知のことなので、割愛します。



こんな個性的な3人と生活した洋子さん。

好きな数学を学びたいといえば、町子さんに「国文科にしなさい」と進路変更を強制され。

大学進学するも、貞子母に頼まれた菊池寛が「面倒みるよ」といったら、大学を中退させられ。

結婚後も旦那さんはマスオさん状態(同居)で、何かと干渉され。

旦那さんが他界した後は、母親の「跡取りがいないから籍を抜きなさい」に従い。


洋子さんは可愛い良い子(支配下にあって従順な性質)であることを強要され続けていたのでしょう。

愛が深い分、しがらみを外すのはつらかったでしょう。
愛が強い分、庇護下から抜け出す妹を憎んだのでしょう。


町子さんが亡くなった時、鞠子さんは
「マスコミには知らせるな、特に洋子には何もいうな」
と緘口令を敷いたそうです。

その鞠子さんも、2011年1月に鬼籍に入りました。

愛が濃いほどに、憎しみも深く、深い縁で結ばれた間柄であっても、
いえだからこそ――掛け違えたボタンをはめなおすのは難しいのだと、しみじみ思います。


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