「自分の価値を高めたければ、良いものを普段使いしなさい。
そのブランド品にふさわしい自分だと刷り込むのです」
なんてことを、よく聞きます。
たしかに「こんな良いものを使うのは、もったいない」と自分を卑下することはないと思います。
ですが、モノに値段をつけているのは他人。
他人のモノサシに、自分を合わせることはないと思います。
持ってみて「これがしっくりくるな」「これが心地よいな」と感じれば、それがふさわしいモノなのです。
以前、紀宮さまがご成婚されたときに、知人が「もっと華やかな衣装になさればいいのに」とつぶやいていました。
庶民なら、結婚式は生涯でお姫様になれる一大イベントですから、かなり張り切っても不思議ではありません。
ご幼少の砌から十二単だ、ローブデコルテだと、お姫様ファッションを数えきれないほどこなされた内親王さまなら、そういう拘泥はないと思います。
(ですので、紀宮さまの衣装に私はまったく違和を感じませんでした)
ローマの休日のアン王女が「シルクのネグリジェはいや、コットンのパジャマがいい」というようなものです。
最終的には、ご本人が満足であれば、他者がとやかくいう話ではないと思いますけれどね。
話が逸れましたが、つまり値段が高いとか、高級だとか、箔付けされているとかではなく「自分で好きなモノを選ぶ」ということが肝要だということです。
やましたひでこさんの『モノが減ると心は潤う簡単「断捨離」生活』に“良いものを普段使いに”“下着もブランド品にして長持ち”というくだりがあって、少しびっくりしたのですね。
断捨離人は、あまりモノに執着しないものだと思っていましたから。
うーん…いいものを厳選しモノを極力減らすのがミニマリスト、モノや人に対する執着を少なくし、自分軸で生きてごきげんに暮らすのが断捨離人というのが、私の認識でした。
少し違うのかな。
やましたさんの表現だと「お気に入り」を持たないのがミニマリストで、持つのが断捨離人なんでしょうか。
提唱者のスタンスと違っていても、まあ良いです。
こういう考えは、どんどん自分でカスタマイズしていくものだと考えていますから。
最初の概念に縛られなくてもいいと思っています!自分軸でいきましょう。
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そのブランド品にふさわしい自分だと刷り込むのです」
なんてことを、よく聞きます。
たしかに「こんな良いものを使うのは、もったいない」と自分を卑下することはないと思います。
ですが、モノに値段をつけているのは他人。
他人のモノサシに、自分を合わせることはないと思います。
持ってみて「これがしっくりくるな」「これが心地よいな」と感じれば、それがふさわしいモノなのです。
以前、紀宮さまがご成婚されたときに、知人が「もっと華やかな衣装になさればいいのに」とつぶやいていました。
庶民なら、結婚式は生涯でお姫様になれる一大イベントですから、かなり張り切っても不思議ではありません。
ご幼少の砌から十二単だ、ローブデコルテだと、お姫様ファッションを数えきれないほどこなされた内親王さまなら、そういう拘泥はないと思います。
(ですので、紀宮さまの衣装に私はまったく違和を感じませんでした)
ローマの休日のアン王女が「シルクのネグリジェはいや、コットンのパジャマがいい」というようなものです。
最終的には、ご本人が満足であれば、他者がとやかくいう話ではないと思いますけれどね。
話が逸れましたが、つまり値段が高いとか、高級だとか、箔付けされているとかではなく「自分で好きなモノを選ぶ」ということが肝要だということです。
やましたひでこさんの『モノが減ると心は潤う簡単「断捨離」生活』に“良いものを普段使いに”“下着もブランド品にして長持ち”というくだりがあって、少しびっくりしたのですね。
断捨離人は、あまりモノに執着しないものだと思っていましたから。
うーん…いいものを厳選しモノを極力減らすのがミニマリスト、モノや人に対する執着を少なくし、自分軸で生きてごきげんに暮らすのが断捨離人というのが、私の認識でした。
少し違うのかな。
やましたさんの表現だと「お気に入り」を持たないのがミニマリストで、持つのが断捨離人なんでしょうか。
提唱者のスタンスと違っていても、まあ良いです。
こういう考えは、どんどん自分でカスタマイズしていくものだと考えていますから。
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