よりみち散歩。

日々の暮らしのなかで心に浮かぶよしなしごとを、こじんまりとつぶやいています。お役立ち情報はありません。

『手ぶらで生きる。』を読み、食器を捨て始めた。

2019年12月29日 | 断捨離
『手ぶらで生きる。』(ミニマリスト しぶ)を読んでいるうちに
私の中の断捨離熱が復活しはじめ、読了前に使わない食器を処分しよう、
という思いがふつふつとわいた。



この数年、まったく使っていない食器たち。キティちゃんのワイングラスは、あるのを忘れていたし
相田みつをの湯飲みは、数年前にみつを美術展の福袋に入っていたもので、一度も使っていない。
不要タッパーも含め、すべて処分。



今はこんな感じ。まだ捨てる要素はあるのだが、完璧は目指さないことにする。

ついでに不要な書類もざくざく捨てる。使わない毛布もごみ袋に押し込む。
45リットル袋ふたつ分、処分した。




私はミニマリストではないが、モノを置くのが好きではないため、
寝室はこんな状態。夜だけ布団を敷くが、普段は何も置かない。


今、テレビの調子がややおかしい。完全に壊れたら、テレビのない生活を始めようと思っている。
旅行先で湯めぐりを終えたあと、いつもは見ないテレビをつけたら、一気に不快指数が上がってしまった。
ニュースは、虐待、事故、殺人…と見ていてつらいものばかり。


若いころは、清濁併せ呑むことを目指し、視野を広げるためにいろいろな情報をキャッチせねばという
何とも不思議な強迫観念めいた発想をもっていたが、最近はそうではない、と思うに至った。

逃れられない不快なことはさておき、選択権のある状況であれば、快適な方を選ぶ方が良い。

例えば「清らかで美味しい山の天然水」と「工場排水など有害物質が混在した水」の
どちらを飲んでも良いといわれたら、通常、ひとは前者を選ぶだろう。
何も好きこのんで、気分が悪くなる方を選択することはない。

不快なものを極力、生活の中から取り除くと、清々しさが増すようになる。



快適さは自分で選ぶことができる。


最新の画像もっと見る