平和の為に何をやれるか、愚行積善備忘録、園田幸二のブログ

人間『死ぬまでの暇潰し』と思ってみても、日本人として、日本文化を愛し、歴史伝統を護りたい。日本の安寧祈願。旅

奇跡のわんこ物語

2011-04-05 00:18:28 | 震災復興支援
宮城・気仙沼沖で救助の犬、飼い主と再会
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1558265&media_id=88 3週間も冬の海の上で生存していた事実が凄い、凄すぎる。
いったいどうやって生きていたのだろう、
寒い、食べ物?飲み物?

凄い生命力、救助された時、衰弱もしていなかったとの事??
何食べてたんだあ??

地震直後、津波が早かった、まだ、日没まで時間が有る、
三沢の米軍、自衛隊、すべてのヘリを総動員、スクランブル発進で行かせなかったのか? 30分で岩手沖の現場の海に行けた。
だとするなら、まだ夕方前、漂流物の上に沢山の人が確認出来た筈、

習志野の航空自衛隊、厚木からもどんどん飛ばすべきだった。
厚木からでも1時間半で宮城県沖へ、イケた。
習志野からだともう少し早い、

アホ菅が地震当日の夕方の会見で、『アメリカからも支援したいとの申し出が有った、これから検討して、何を御手伝いして頂くか決めたい。』
なんと暢気な、
津波、即、スクランブル発進願い、各航空自衛隊へも、緊急発進、
山形空港、秋田空港、全然使えていない茨城空港、その他、補給基地として使える校庭などを即確保、燃料・食料もどんどん運ぶ手立て、
横須賀から米軍空母も即出港、海上自衛隊、海上保安庁も総動員命令、
それやってれば、支持率100%
石原だったら、即、米軍に連絡、自衛隊にスクランブル発進しただろう、

3週間目に入って、懸命な捜索の為の大動員、
残念無念、3月11日、三陸沖には何千人の人々、犬猫が海の上で生きていた事は容易に想像出来る。
助けて~~~と叫びながら、寒さで体力を奪われ、眠ってそのまま海の中、
寒い冬の海は経験したもので無いと判らない、
不気味で寒さが半端じゃない、怖い、
、何故、何もしない総理をそのままにしているのか?
本人は恥を知らないのだろうな!
それにしても、そのワンちゃん、ゴン??だったけ?
『おめえ様は偉い、ホンマ偉い、寂しかっただろうな、よく頑張ったね』
それにしてもよかった、ヨカッタ
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