たかが親子されど親子、そして兄弟そして夫婦そして自分

いづみかほるの様々な想い(世のファミリーをテーマにエッセイ風に綴っています)

悲しみを乗り越えるとは

2009-07-09 10:04:48 | エッセイ風
肉親を亡くしてしまった時、本当に深い深い悲しみにくれてしまいます
妻や夫を、または親を、または我子を。

母は夫を30代で亡くしました、娘の私はまだ8才兄は11才でした。
その半月後、8才だった私が父と同じ病気で入院になりました。
更に兄も同じ病気があることもわかりました
母は夫の死の心の整理もつかないままに、入院中の娘の私の世話や兄の通院付き添いに明け暮れました。
っと同時に、母の仕事でもあった1000羽程のカナリヤが伝染病で全滅してしまいました
その結果その仕事は続けられなくなり、母は新たな職を探さなくてはなりませんでした。
引越しをし新天地で仕事を新たにはじめ、病み上がりの私と兄を懸命に育てるのに必死の毎日でした

そんなわけで、夫の死の悲しみにくれる時間が母にはありませんでした
私が中学に入った頃、やっと母は笑うようになりました
高校に入る頃、気付くと母は少し元気になっていました
次々にやってくる事柄を対処することに必死だった母、でも逆にそれが母の悲しみを同時に癒していたのかもしれません。

けして続いて起こる悲劇が良いということではありません。
でも、それによって悲しみを感じる余裕を失わせてもらえるのは事実です。

妻や夫を亡くし幼い子供が残された場合、まずはその子を必死に育てなくてはならない現実が目の前にあり、悲しみに浸ってはいられませんよね。
でも、我子を亡くした場合、特に一人っ子だったりしたら、殆んどはとっぷり悲しめる環境に違いありません。
悲しいことに、十分に悲しみに浸れてしまうことがよりいっそう深い悲しみになるのでしょうね。

いずれにしても、悲しみは死んだ直後にはいくら頑張っても消えやしません。
心の整理などできません

今日も肉親の死で悲しんでいる家族はいっぱいです
どうか、ゆっくりゆっくり深い悲しみから立ち上がって下さい


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