太宰治の『人間失格』より
世間とは、いったい、何の事でしょう。
人間の複数でしょうか。
どこに、その世間というものの実体があるのでしょう。
けれども、何しろ、強く、きびしく、こわいもの、とばかり思ってこれまで生きて来たのですが、
しかし、堀木にそう言われて、ふと、
「世間というのは、君じゃないか」
という言葉が、舌の先まで出かかって、堀木を怒らせるのがイヤで、ひっこめました。
(それは世間が、ゆるさない)
(世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?)
(そんな事をすると、世間からひどいめに逢うぞ)
(世間じゃない。あなたでしょう?)
(いまに世間から葬られる)
(世間じゃない。葬むるのは、あなたでしょう?)
汝(なんじ)は、汝個人のおそろしさ、怪奇、悪辣(あくらつ)、古狸(ふるだぬき)性、妖婆(ようば)性を知れ! などと、さまざまの言葉が胸中に去来したのですが、
自分は、ただ顔の汗をハンケチで拭いて、
「冷汗(ひやあせ)、冷汗」
と言って笑っただけでした。
けれども、その時以来、自分は、(世間とは個人じゃないか)という、思想めいたものを持つようになったのです。
そうして、世間というものは、個人ではなかろうかと思いはじめてから、
自分は、いままでよりは多少、自分の意志で動く事が出来るようになりました。
「世間」とは結局のところ、
マジョリティの漠然とした「正しい」了解・常識を武器に、
新しいことにチャレンジしようとする人たちの頭を押さつけるために使われるコトバである。
「世間=個人」と喝破した太宰さんはすごいです。
世間体を気にするということは、
自分の価値判断の基準を自分自身にではなく、他人の目に置いてしまうこと。
他人にどう思われるか、どう見られるかによって自分の決断が左右されてしまう。
世間や世間体を振りかざし、
ただ世間並み・人並みに普通の会社に定年まで勤めてくれればよいと願い、
人の夢を粉々にし、チャレンジ精神をつぶそうとする最大のボスキャラは親なのです。
どんなにパワハラ・セクハラに苦しもうと、
上司の奴隷としてこき使われようと、
過労で倒れようと、
自殺しそうなまでに追い詰められウツに苦しんでいようと、
そんなものは関係ない・眼中にないのです。
どんな目に会おうとも自分の子どもが会社に所属しているという事実こそが親にとって大切なのです。
ちなみにコレは中島義道さんの『人生を「半分」降りる』に書いてあったことを元に、
ちょっと掘り下げてみただけです。
世間とは、いったい、何の事でしょう。
人間の複数でしょうか。
どこに、その世間というものの実体があるのでしょう。
けれども、何しろ、強く、きびしく、こわいもの、とばかり思ってこれまで生きて来たのですが、
しかし、堀木にそう言われて、ふと、
「世間というのは、君じゃないか」
という言葉が、舌の先まで出かかって、堀木を怒らせるのがイヤで、ひっこめました。
(それは世間が、ゆるさない)
(世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?)
(そんな事をすると、世間からひどいめに逢うぞ)
(世間じゃない。あなたでしょう?)
(いまに世間から葬られる)
(世間じゃない。葬むるのは、あなたでしょう?)
汝(なんじ)は、汝個人のおそろしさ、怪奇、悪辣(あくらつ)、古狸(ふるだぬき)性、妖婆(ようば)性を知れ! などと、さまざまの言葉が胸中に去来したのですが、
自分は、ただ顔の汗をハンケチで拭いて、
「冷汗(ひやあせ)、冷汗」
と言って笑っただけでした。
けれども、その時以来、自分は、(世間とは個人じゃないか)という、思想めいたものを持つようになったのです。
そうして、世間というものは、個人ではなかろうかと思いはじめてから、
自分は、いままでよりは多少、自分の意志で動く事が出来るようになりました。
「世間」とは結局のところ、
マジョリティの漠然とした「正しい」了解・常識を武器に、
新しいことにチャレンジしようとする人たちの頭を押さつけるために使われるコトバである。
「世間=個人」と喝破した太宰さんはすごいです。
世間体を気にするということは、
自分の価値判断の基準を自分自身にではなく、他人の目に置いてしまうこと。
他人にどう思われるか、どう見られるかによって自分の決断が左右されてしまう。
世間や世間体を振りかざし、
ただ世間並み・人並みに普通の会社に定年まで勤めてくれればよいと願い、
人の夢を粉々にし、チャレンジ精神をつぶそうとする最大のボスキャラは親なのです。
どんなにパワハラ・セクハラに苦しもうと、
上司の奴隷としてこき使われようと、
過労で倒れようと、
自殺しそうなまでに追い詰められウツに苦しんでいようと、
そんなものは関係ない・眼中にないのです。
どんな目に会おうとも自分の子どもが会社に所属しているという事実こそが親にとって大切なのです。
ちなみにコレは中島義道さんの『人生を「半分」降りる』に書いてあったことを元に、
ちょっと掘り下げてみただけです。