※ 本投稿は、旧ブログ:日々平穏の過去記事を編集したものになります。
大湯環状列石 日本のストーンサークルと言うと秋田県鹿角市の大湯環状列石(野中堂・万座遺跡)が特に有名ですが、北海道にも道北を除いた道内各地にストーンサークルが点在しています。
道央には特に密集しており小樽から余市にかけての地域は、半径4㎞圏内に100基以上のストーンサークルが確認されているそうです。
興味深いのは、本土で見られるものと違って、北海道独自の形態が見られるところでしょうか。
その中でも有名どころを訪れましたので以下に紹介していきます。
まず、古代(縄文中期~後期(推定))の民達がストーンサークルを設けたその意図は、現在は一般的に祭祀を執り行う祭り場説、集合墓地説などが定説となっているようです。
太陽祭祀施設(夏至-冬至ラインとの関係)カレンダー、日時計説も一時期は有力視されていたのですが、決定打にかけており未だに謎が多き遺跡でもあります。
【曽我北栄環状列石】
羊蹄山を真東に望むことが出来ます。発掘調査で人の骨と思われる骨片、硬玉、深鉢型縄文後期式土器が発見されており、研究者は、祭祀的なものというより、環状列石墓であると主張しているそうです。
【マップ】
【西崎山環状列石】
大きいサークルを構成する小さいサークルの一つ一つは墓穴と思われます。土器や石鏃が発見されています。
【マップ】
【忍路(おしょろ)環状列石】
日本の考古学史上初めて学会に報告されたストーンサークルだそうです。こちらも集団墓地説が有力視されています。
【マップ】
【地鎮山環状列石】
発掘調査では中央よりやや南寄りに円形の集石(小さな円石を集めたもの)がみられ、その地下部分から方形の土壙(2m四方深さ1mほどの穴)が発見されています。土壙底には川原石とみられる円石が敷かれていました。この遺跡も縄文時代後期の区画墓の一種と考えられていますが、土壙墓が一個しか発見されなかったことから集団の墓ではなく首長墓としての性格を持つものとされています。(解説文:こちらより引用)
【マップ】
(撮影:2004年8月)
※トップのストーンサークル分布マップはこちらより拝借加工させて頂きました。
《☞北海道調査旅行報告 その9》へ続きます。
お断り:2004年当時の情報となります。当時とは異なる事が想定されますので、訪れる際には、事前に調べて頂き記事は参考程度とお考え下さい。
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お断り:2004年当時の情報となります。当時とは異なる事が想定されますので、訪れる際には、事前に調べて頂き記事は参考程度とお考え下さい。
祭祀跡だと思いますが、なぜこのような形、また、なぜ北海道なのでしょうか。
一度実物を見てみたいです。
以前までは、日時計説や暦を知るためのカレンダー説が有力視されていましたが、現在は否定されているようで、実際の用途に関しては、未だ謎が残ったままなのが真相の様です。ただし、北海道で見られるものは、記事にもある様に多くの遺構から集団墓である事がほぼ確定しているようです。
古代より墓石に見立てて石を立てる行為自体に意味があるのではないかと思っています。