続いて、縄文時代後・晩期(3700~2500年前頃)の、長期間存続した北陸を代表する集落遺跡 “御経塚遺跡”と出土品を展示している野々市市ふるさと歴史館の紹介です。
現在、約15,000㎡が史跡公園として整備され、復元された住居を中心に縄文の集落を体感する施設です。
柱の跡が復元されています。
柱の位置などからかなり大きな建物が建っていた事がわかります。
配石遺構 土偶や石棒などが出土されてる事からここで、何らかの祭祀が執り行われていたものと推測されています。
右側の穴は食物の貯蔵庫だったと考えられています。
復元住居 毎度思うのですが復元住居は、良く見る「竪穴式」です。公園内の各柱の位置関係を見るとかなり規模の大きく複雑な造りであったことが予想出来ます。復元をするならば、柱の位置を忠実になぞって立てるべきだと思うのですが如何でしょう?
続いて併設されている「ふるさと歴史館」を拝観して参りました。
公園内で出土された樹木(かつら) 放射性炭素年代測定でBC4079年~BC3026年頃のものなんだそうです。しかし、良く石化せずなおかつ朽ちずにここまで原型を留めていた事に驚きです。
展示室
派手な装飾は少なく実用的な土器が目立ちます。
ほぼ全てに焦げ跡が見られるので煮炊きに使われていたのはあきらかです。
土偶の破片が多く見られることから、祭祀が行われていたのでしょう。
現在、約15,000㎡が史跡公園として整備され、復元された住居を中心に縄文の集落を体感する施設です。
柱の跡が復元されています。
柱の位置などからかなり大きな建物が建っていた事がわかります。
配石遺構 土偶や石棒などが出土されてる事からここで、何らかの祭祀が執り行われていたものと推測されています。
右側の穴は食物の貯蔵庫だったと考えられています。
復元住居 毎度思うのですが復元住居は、良く見る「竪穴式」です。公園内の各柱の位置関係を見るとかなり規模の大きく複雑な造りであったことが予想出来ます。復元をするならば、柱の位置を忠実になぞって立てるべきだと思うのですが如何でしょう?
続いて併設されている「ふるさと歴史館」を拝観して参りました。
公園内で出土された樹木(かつら) 放射性炭素年代測定でBC4079年~BC3026年頃のものなんだそうです。しかし、良く石化せずなおかつ朽ちずにここまで原型を留めていた事に驚きです。
展示室
派手な装飾は少なく実用的な土器が目立ちます。
ほぼ全てに焦げ跡が見られるので煮炊きに使われていたのはあきらかです。
土偶の破片が多く見られることから、祭祀が行われていたのでしょう。
興味深かったのは中央の土偶3点です。
確かに顔に入れ墨らしき紋様が描かれています。従来だと顔の一部に見られる事例を見た事がありますが顔全体に施こされています。
マオリ族の入れ墨に似た感じです。
御物石器(左上)は、富山、石川県で見られる特異な遺構です。
手斧
入館料無料の割には、なかなか見ごたえのある展示内容でした。
北陸地方の縄文遺跡は、今回初見でしたので興味深かったです。
【マップ】
北陸地方の縄文遺跡は、今回初見でしたので興味深かったです。
【マップ】
北陸の縄文は、自分が住む山梨や長野~関東にかけての縄文、青森を中心とした東北の縄文とは、土器や土偶の形状が異なり独自の進化をしていて面白ですよね。
信越に行くと「火炎土器」の象徴的な土器の文化を見ることが出来ます。
当時の人々の独自性が最も色濃く表れた時代だったのでしょうね。