国道103号の十和田湖畔からR454号(冬季通行止め)を東へ八戸方面に30キロほどの場所に『キリストの墓(キリストの里)』は、あります。
十和田湖畔から来ると峠越えで地味に遠い場所にあります。
ゴルゴダの丘で磔に処せられたはずの「イエス・キリスト」の墓がなぜこの日本の青森の辺鄙な場所に存在するのでしょうか?
その経緯を紹介しますと…。
戦前の話です。茨城県磯原市にあるその筋では有名な『皇祖皇太神宮』の初代官長「竹内巨麿」が、古代史研究家「鳥谷幡山」らと共にある日突然この村を訪れ「竹内家に伝わる古文書にキリストがこの村で106歳の天寿を全うしたとの記述がある」と説き、沢口家の敷地にあった「2つの土まんじゅう」を見つけ右側をキリストの墓「十来塚」左側をキリストの弟イスキリの墓「十代墓」であると断言してしまったからさあ大変。 村中が大騒ぎとなったそうです。
「キリストの里」へのアプローチ
キリストの里公園案内図
案内板や水飲み場のデザインに十字架があしらわれていて町おこしのテーマとしてかなり気合が感じられました。
丘の上に円墳の様な塚が二つあり右が「キリストの墓(十来塚)」左がキリストの弟「イスイリの墓(十代塚)」と、伝わります。
キリストの墓(十来塚)
イスキリの墓(キリストの弟)十代塚
お賽銭をするのが日本人らしい。「ヒランヤ」一時期はやりました。
その後自称考古学者らがぞくぞく村を訪れ「キリストの遺書」が発見されたり地質学者で考古学者の「山根キク」女史が「光は当方より」の著書内でこの村のことが紹介されると マスコミはこぞって「神秘の村」とあおりたて「キリストの里 新郷村」として現在でも村人達に語り継がれています。
遺言書には、キリストが21歳の頃始めてこの日本に訪れ(十一代垂仁天皇の御代)日本の越中国で11年間日本語を会得し、そのあと33歳で故郷に戻り日本の尊さを説いて回っていたんだそうです。磔に処せられたときは、実は弟のイスキリが身代わりとなりイエス自身は、シベリアから日本に船で渡り八戸へ上陸し「十来太郎大天空」と名を改め陸奥国 戸来村(今の新郷村)に移住し「ミユ子」という婦女を娶り三人の女子を授かり106歳の天寿を全うしたと記されているのだそうです。
キリストの里伝承館
入館料¥200(現在も変わっていませんでした。)
キリスト伝説の証拠として、良く引き合いにだされるものが毎年6月第1日曜日にここで催される「キリスト祭」で、古くから村に伝わるとされる盆踊り「ナニャドヤラ」で歌われている歌詞が日本語では意味不明なのに、ヘブライ語で意味解けると言う説があります。しかし、事実は異なるようで意味をなさないそうです。
国文学者の金田一氏の訛が転化した説や他にも諸説あって現在もなお「謎」として残ったままなのは確かな様です。
☞参考リンク:「ナニャドヤラ」の起源・由来
また、村に古くから残る風習もキリスト伝説の証拠として語られています。
子供の額に十字を描く風習
土地の所有者沢口家の墓と戸袋に描かれた五芒星の家紋(複製)
沢口家の家紋は昔、六芒星(ダビデの紋章)だったとの事ですが、沢口家の祖先がダビデ紋を使うのは恐れ多いと五芒星に変更したとまことしやかに伝わっています。その他、古くからの風習として
●父親を『アヤ(ダダ)』母親を『アパ(ガガ)』と呼ぶ(アダ・エパと記す説もあるが発音の転記ちがいでしょう。)
●子を初めて戸外に出すときに子供の額に墨で十字を書く。
●手足が痺れたとき人差し指にツバをつけて額に十字を三回書くと痺れがなおる。
(いずれも現在では、お年寄りが伝えるだけで風習としては残っていないそうです。)
●村の地名が昔は「戸来(ヘライ)」村と、呼称していたそうでヘブライが転訛したと言う説
一笑のうちに片付けられてしまう竹内文献を根幹にしている以上どうしてもそのあまりにも突飛な伝説には、辟易してしまう人も多いのではないでしょうか。ですが、地元ではどうやら伝説と言うよりは「湧説」として町おこしの一環で、その筋のイベントやマニアたちが訪れる珍スポットとして今でも語られています。
真偽は別として無視できない事実も存在している事は確かなようです。そして何よりも新郷村発行観光パンフレットには、以下のように記されています。
『60年以上経った今でも、神秘・ロマンとしてこの「湧説」を取り上げています。そして村民たちは純粋な気持ちでそれを信じ、言い伝えて今日に至っている。』・・・・と。
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(撮影:2000年8月)
お断り:2000年当時の情報となります。当時とは異なる事が想定されますので訪れる際には、事前に調べて頂き記事は参考程度とお考え下さい。
お断り:2000年当時の情報となります。当時とは異なる事が想定されますので訪れる際には、事前に調べて頂き記事は参考程度とお考え下さい。
【マップ】
確かに真意は別として記事に書いた村に残る古くから伝わる風習は、今は語られているだけですが不思議です。
時間とお金の無駄遣いとよく周りからは言われますが(^^;
やはりロマンを追う事ははけして悪い事では無いと思っています。
情熱や探求心の向上などむしろメリットの方が大きい様に思うのですが如何でしょう?