響けブログ

音楽コドモから「音楽コドナ」へちょっと進化。ドラムとバイオリンと小鼓を弾く、ヒビキの音楽遍歴。

閑話休題、楽器フェアがやってくる。

2009-10-23 | おんがく
舞浜にて←画像は@舞浜

ヒビキ大興奮の4日間、ミュージシャンも大量にやってくる楽器の一大イベント「楽器フェア」が今年もパシフィコ横浜で開催されます。

2009楽器フェア(2年に1度の開催)
2009/11/5、6、7(土)、8(日)
http://musicfair.jp/


見どころはまだいろんなイベントの詳細がアップされていないようなので、わからないのですが、tenori-onのデモが11/5トップバッターの11:00にあるようす。ヤマハの新しいドラム「PHXシリーズ」の試打もありそうですね。

2009楽器フェア ヤマハブース内のイベントについてはこちら
http://www.yamaha.co.jp/event/gf/


ホームページによれば、毎回あるいみ楽器フェア以上にもりあがるプレミアムギターショーもあるそうであります。ケロミンもくるし、鈴木楽器のハーモニカを手作りするイベントもあるし、実に盛りだくさん。

ところで、楽器フェアのリンクをたどっていたら、楽器占いというのに遭遇。
「DJ-Tracksの楽器占い」というものなのだが。

ヒビキ バイオリン
夫のジャズうさぎ ベース
クラシックイタチ(私のことです) ピアノ

という結果に。うーん。なんか当たっているように思えてしまう。ギター、ホルン、シンセ、ピアノ、ベース、バイオリン、トランペット、フルート、ドラムといった選択肢があるようなのだが。たった生年月日というだけのデータで、いろいろ書いてあります、言われます。そこがちょっと面白いので、おためしください。

加藤和彦さん追悼

2009-10-18 | おんがく
sky

ニュースについてはこちらへ
音楽家の加藤和彦さんが自殺 軽井沢のホテル、遺書も
http://www.47news.jp/47topics/e/134441.php


加藤和彦さんのことをなんというか直接知らなかったり、演奏する姿を見たりしていなくても、いつかの時代の音楽というかたちで、日本のほとんどの人が聴いてきたり、影響を受けたりしているものと思う。

亡くなったと聴いて、驚いたと同時に、思い出したのは、日経おとなのバンド大賞の時のことだ。審査員のひとりとして、きっちりと審査をまとめ、しかもミュージシャンというポジションを崩さず、しかもミカバンドの曲を一曲演奏してくれた。アマチュアのバンドが演奏した後だけに、そのどこがうまいのかがすごくよくわかるのだった。「CDが売れない」、そういう時代なのだと言っていた。

軽井沢のホテルなんて、加藤和彦さんらしい。そうみんなが思うだろう、と加藤さんも思っただろう。なにしろまだ62歳だったのだ。

たまには「メディアアート」なる切り口で。

2009-09-08 | おんがく
ヤマハのというか、岩井俊雄さんのというか、そう「TENORI-ON」が、なんとMoMAのパーマネントコレクションに選定されたとのこと。

というのも、今オーストリアでアルスエレクトロニカというメディアアートの祭典をやっているんですね。

文化庁メディア芸術プラザブログ
http://media-arts.cocolog-nifty.com/map2009/2009/09/tenori-on-a590.html


TENORI-ON公式サイト
http://www.yamaha.co.jp/tenori-on/


おめでとうございます。

メディアアートという括り方を知ることで、技術とアートの最先端的な状況──というのはつまり、一般の人との関わりの部分ともいえるわけで。──が見えてきて、日頃おっ、これはおもしろい、すごい、と新しさを感じていたものがちゃんと集められていたりして、ほっとするというか、楽しいのであります。
ついでに、アートに「メディア」がつくことで、ま、一般的には「科学技術」チックになるというのは確かにあるんだけれも、それだけじゃなくて個人的にはアートよりかなりチープになるように思う。芸術制作がものづくりになる、みたいな。ほんとはそんなことないんですよ。けど、なんか芸術市場の派手さにひきくらべて、芸術が本来もっていた貧乏さというか、チープなところがかえって顕れてくるような効果を感じます。


写真は私の指輪なり。白はMoMA shopにて購入、緑はベネチアングラス。さあてどっちがチープ?……とどこまでもチープな私なのでありました。

マイケル・ジャクソンさんが亡くなったそうで。

2009-06-26 | おんがく


忌野清志郎さんの死が、いまだに信じられない、という方は多いと思います。ヒビキがドラムレッスンへ行く道の途中にも「タワーレコード」があって、忌野清志郎キャンペーンを毎週展開している。そんなことも陽水さんなら、うまく歌詞にしてくれそうで、ちょっとぞっとするくらい。

そうしたら今日は、突然のマイケル・ジャクソンの訃報。

このところ私は、アメリカのニュースに右往左往しているのだが、少し前にワシントンで地下鉄(といっても地上を走っていた)の追突事故があって、宝塚線の脱線事故も思い出されるところなので、いろいろとニュースを見てしまったのだが、とても印象深かったのは、日本ならすぐニュース番組に登場するはずの事故現場の模型とかCGとかがまったくないということだ。あのぶんだと新聞などでも図解は載っていないのだろう。(画像は現場のストリートビュー)

ところが今日のマイケル・ジャクソンさんのニュースは、病院からヘリでどこかへ搬送される遺体を、なんとヘリで追走してまで、カメラに収めているのである。ここまでやるだろうか? マイケルのお兄さんの一人が記者会見で、日本でいうところの「どうかそっとしてほしい」というようなことを話していた。という動画を配信しながら、また別のクリップで伴走して収めたその動画を流しているのである。

スターというのは、どこの国でも治外法権なんだろうか。

ご冥福をお祈りいたします。

ユニクロのブログパーツ、クロックの次はUNIQLO CALENDARだ!

2009-06-23 | おんがく
UNIQLO CALENDAR
http://www.uniqlo.com/calendar/?cID=JP&aID=13215


2006年度木村伊兵衛賞を受賞した「small planet」本城 直季そのままの動画版、そして清水靖晃としか思えないサックス。今回はさすがに動画の種類(長さ)は有限という感じだけれども、だからどうした、の妥協なきクオリティ。すばらしいです。

と思ってウェブサイトをよく見たら……サウンドはこの人たちだそうです。

Fantastic Plastic Machine Official site
http://www.fpmnet.com/


ちなみにsmall planetはこちら。ああ、あれか、と思われた方もきっといることでしょう。
small planet
本城 直季
リトルモア
amazonへ

ユニクロのロゴにユニコーンって書いてあって、似てる~!

2009-06-22 | おんがく
マトリョーシカ絵付けに挑戦

というTシャツ、ご覧になりましたか? ちらしではユニコーン・メンバーのアー写(アーティスト写真のことをあーしゃ、などと言ったりするわけですが。ちなみにスティービー・ワンダーがかわいいというほうはアイシャであります……)が載っていて、この奥田民生さんがむちゃくちゃうれしそうなのが、たいへん印象的でありました。バンドで演るのが、きっとすごくお好きなんですねえ。

さて、祖父母宅へでかけていてこのことはとんと知らんであろうヒビキ、最近の痛快小坊主ぶりを2景。

自分のCDコンポのラジオのチューニングを、(野球中継をきくために)パパがなおしてくれたんだ~、と言いながらラジオをかけたら、なんと甲斐バンドの「ヒーロー、ヒーローになるとき~」というのが流れてきた。クラシックイタチこと私が「うーん。、。」と思っているとヒビキ、

「これきっと、『ヒーロー』って曲だよ」

確かにィ~と言いたいところですが、さすがに知ってますって、年長者なんだから。

さらに先の土曜日、夫がヒビキに「最近ママ、カラオケ行こうって言わないね」と耳打ちすると、ヒビキ、

「うん。最近はマトだから」

と即答したというのだが……このマトというのはですね、私は最近マトリョーシカ(入れ子状になっていて中から一回り小さな人形の出てくる、ロシアの木製人形)の絵付けというものをせっせと行っているのです。ふつうはもう色がついて人形の容姿なって売っているわけですが、これをわざわざ白木のまま入手して、これをわざわざ下絵描いて、色を塗って、ニスを塗ってしあげていくわけなのです。というわけで、これをなんだかせっせとやってるから最近はカラオケって言わないねえ、という、ま、まっとうなヒビキのご意見なのでありました。

やれやれ。

ま、なぜ一生懸命、研磨、研鑽しているのかというと、マトリョーシカをテーマにしたウェブコンテンツを、実は昨年もアップしていたのですが↓

『週刊リョーシカ!』2008
ほんとうのマトリョーシカ。
http://www.famipro.com/ryosika/matory_m00_cntn.html


今年は装いもあらたに、オリジナルマトを作る! というコンセプトで、再スタートしたのです。私の作ったマトリョーシカを──失敗談とともに──アップしておりますので、よかったらご覧ください↓

『週刊リョーシカ!』2009
わたしだけのマトリョーシカ。
http://www.famipro.com/ryosika2_011.html


九州について。さだまさしと井上陽水

2009-06-15 | おんがく
空、遠い九州

昨日さだまさしの「童話作家」のことを思い出して、夫にはなしたら、
「よく知っているね、童話作家はそれほど有名な曲じゃない」
というのは、たとえば「関白宣言」とかと違って、というほどの意味であろう。そういうことならば、ではなぜ私は「童話作家」を知っていたのだろう?(しかもかなりちゃんと歌えるほど歌詞を憶えていた)。

なんだかそこのところがとても気になり、youtubeでいろいろと視聴してみることにした。その中で、私はなんだかとんでもない大きな記憶、かつてうっすらと知りかけ、しかし結局のところよくは理解できないままであった何か、に遭遇した気持ちになった。それを「九州」ととりあえず呼んでおくことにする。

Youtubeでは、さだまさしのクリップのほとんどに、大絶賛のコメントが寄せられている。茶化す人もいないくらいだ。さだまさしの歌詞世界には独得なものがあり、それを賞賛する人も多い。それでだんだんわかってきたのだが、私はどうも「夢供養」というアルバムを持っていたようなのだ。あるいは誰かとテープか何かを交換したのだろう。どの曲もかなりしっかりと歌詞を憶えており、それはやはりその歌詞世界というものに、関心があったものと思われる。(だがなぜこれほどまで、このようないきさつについては、憶えていないのだろう?)

だがこのたびこのYoutubeを聴いて最も感じたことは、歌詞そのものについてではなく、語られている内容そのものの、鮮烈さ、壮絶さ、熱さ、厳しさ、そしてそれらが私の小さい頃から当時へかけての暮らしの中にはまったくなかったということ、……といったことだった。これらは、結局のところ、さだまさしの故郷である九州と関係あるもののように、私には思えた。根拠はない。

そこで、どうしても井上陽水が気になった。何かがひどく共通しているように思えたのだ。井上陽水は九州出身だ、いわずもがな。「キーワードは九州だ」と私は思った。

ところが、そうこうしているうちに、本当に「共通点」、いや「一致」が見つかったのである。結論から言うと、それはメロディであった。「九州」とかじゃなくて。

井上陽水'心もよう'PV<'73年>
http://www.youtube.com/watch?v=JVndkMJ1hTM&feature=related
1973年作品


風の篝火  さだまさし
http://www.youtube.com/watch?v=e38aScEeJX4
1979年作品

ひとは作家やミュージシャンになろう、といつ決めるのだろう?

2009-06-14 | おんがく
「○○になるには」というシリーズの本「なるにはBOOKS」というのがあるのをご存知でしょうか? 私の場合は、よく図書館の棚に入っているのを見かけるのだが、とにかくありとあらゆる職種を網羅していると言ってよい。私が最初みかけたころはイラストレータとか声優、スタイリストなど、だったが、今眺めてみると、動物看護師になるには、ウェブクリエータになるには、フードコーディネータ……とさらにカバーエリアがぐんと広がっているようだ。

「○○になろう!」と人が考える、決心する時点について考えることは難しい。またそれを語るトーンにも変遷があって、昔は「なれないと思うな、親や周りに迷惑をかけると思ってあきらめるな」という文脈が多かったが、昨今は「そう簡単にはなれないんですよ」という調子が多い……といったこともあるんじゃないだろうか。

それにしても、私たちが気軽に「○○になるには?」という問いを、気恥ずかしくなく発することができるようになったのには、ある「転機」とでもいったものがあったように思う。

私が思い当たるのは、歌だ。

私が童話作家になろうと思ったのは、
あなたにさよならを、言われた日。

帰去来
さだまさし,渡辺俊幸
さだまさしソロ第一作のこのアルバムの中に「童話作家」という曲が入っています
amazonへ


今でこそ「○○になるには?」と考えるのはふつうのことだけれども、この「童話作家」はちょっとセンセーショナルなところがあったように記憶する。

この歌の歌詞はそのあと、なぜわたしが童話作家になろうと思ったのか、そのわけが綴られていくのだが、「わたしはコレで童話作家になりました」というところも、現実に引き継がれて行っているような気がしてならない。今でこそふつうのことだけど、こういうきっかけで○○になった、なんて発言は、それ以前には滅多に聞いたりしなかった、ような気がするのだ。

音楽家になるには (なるにはBOOKS)
中野 雄
ぺりかん社
amazonへ

これがオリジナル、Sketch Show

2009-06-03 | おんがく
audio sponge
SKETCH SHOW,SKETCH SHOW,David Blume,Yukihiro Takahashi,Mack Discant,Corinne Tulipe,Snakeman Show,Paul Jerry Keller,Haruomi Hosono,Tomoko Yoshihashi,Towa Tei
カッティング・エッジ
amazonへ


Sketch Showと言えば、細野晴臣さんと高橋幸宏さんと、で教授も「気軽に」レコーディングに参加してくれたというユニットだが、その後「HASYMO(ハシモ)」になり、今夏はYMO名義でのライブも行われるそうですね。

ヒビキはちょうどこのSketch Showの折に初めて聴いたものだから、あの3人のことは「Sketch Show」だと思っている。

と、先日YouTubeを見たら、おなじSketch Showといってもこちらはイギリスの放送のクリップ。ずいぶんアップされているんですね。

The Sketch Show - All The Leaves Are Brown Sketch
http://www.youtube.com/watch?v=1v9cRhT8Gno&NR=1


UK sketch show california dreaming sketch
http://www.youtube.com/watch?v=P2oFEzlf6gA&feature=related


6曲目の「Do You Want To Marry Me」にちなんで
Will You Marry Me?
http://www.youtube.com/watch?v=4zlRQHzKQX0&feature=related

上田現という人を知る、一枚の地図。

2009-05-13 | おんがく
flower

ジャズうさぎこと夫のブログ「ほぼ週刊イケヤ新聞ブログ版」で、元レピッシュのキーボーディストで、昨年47歳で亡くなった上田現を追悼している。


上田現が歌う「ワダツミの木」があることを、今日初めて知りました
http://blog.goo.ne.jp/hoboike_diary/e/db224fa2647bea10aa818f3ea812c10a


トリビュート・ライブが行われたのは2009年5月5日。その日の野音はたいした雨足で、それでも集まったひとりであった夫は、雨具の用意もなく、元ちとせを聴いたのだそうだ。

それまで私は上田現という人のことを知らなかった。亡くなってから知ったわけなのですが、ホームページへ行って驚きました。ページの背後に張ってあるいわゆるバックグラウンド画像に、見入ってしまったのです。それは、Gen氏の地図でした。

Live Atlas - Gen in ELE
http://www.uedagen.com//themes/bg.jpg


なんていうかな、よく青少年向けの物語本に地図が載っているでしょう? 「宝島の地図」と言えば細野晴臣さんの歌詞にもありますが、インディアナ・ジョーンズにも地図があるし、コロボックルにもあったような気がする──あの手書きの、インク感のある、"秘密を埋蔵した"地図。

でもね、そのようなフィクション以外では、滅多に目にする機会がないものだと思うんですよ、このいわゆる精神地図のようなものは。こういうものを私も小さいときに持っていたような気がする。だけどコドモの時ってえてしてそういうものは頭の中に自然とあるもので、描く対象としてはうまく考えられなかったりする。大人になるといつの間にか忘れてしまう。そういうものなのではないだろうか。だからこんなに完全な形(といっても、また象徴的なことに周囲が切れている!)で目にすることは、滅多に起こらない、ということになるのではないでしょうか。

大人になってから、たまに帰った実家で、コドモのときに自分が書いたものやおもちゃや写真なんかが見つかって、へえと思うことがある。そんなときの戸惑いは、かつて持っていたそんな地図と関連しているんじゃないかと思う。地図を忘れちゃったなあという感慨も含めて。

上田現 オフィシャル ウェブサイト | uedagen OFFICIAL WEB SITE
http://www.uedagen.com/

フィギュアスケートは好きなんだけど、音楽が悩ましい。

2009-04-19 | おんがく
みなさん、フィギュアスケートはお好きですか?

いやフィギュア・ファンじゃなくとも……すごかったですね、真央ちゃん。何段も上、というすごさをすがすがしく見せてくれました。かっこいいなあ。トリプルアクセル×2で勝負してくるというのは、意外な展開だったのですが、そこでなぜか「荒川静香解説」の時代になっていて、伊藤みどりさんのトリプルアクセルへの意気込みなどが聞けなくて、やや残念。それからね、ステップがすごかったですね、真央さん。

テレビ番組では、いつも変わらない笑顔の松岡修造さんが、スケーターたちの「フィギュア」を前に司会という趣向で──笑いました。

このフィギュアスケートというやつ、私自身は「ジャンプの種類」が分かるようになって以来、なんだかすごく面白くなったんです。ジャンプで切り分けると、すごくプログラムがわかりやすくなるし、プレイヤーが基本的にはどこで苦労しているのかもわかりやすくなる。

今シーズンはしかし、ぜんぜん見ていなかったのですが、久しぶりにフィギュアスケートというものを見たら、これはクラシックイタチ(私のことです)のすなる「クラシックバレエ」と根は同じものだな、と思いました。クラシックバレエと体操と新体操は、もともととても似たところにあって、特にロシア、フランス、カナダというように寒い国々では、それがフィギュア・スケートにもなるという、それだけのことなのか、と思ったりしました。それらの国はほら、サーカスもさかんじゃないですか。

しかしながら、音楽という点ではPAも含めて、場所によって音がずれちゃったり、決してよくない音色だったり、またそういった中で「会場が手拍子」というのも相変わらずキビシイ。

そうは言っても、昨日の浅田真央さんのフリーは歴史的瞬間でした。


何年か前、ジャンプの種類を教えてくれたのはこのサイト
フィギュアを見るのが楽しくなります↓
フィギュアスケートのジャンプを見分けよう

ちょっと思い出せないあの曲に、楽譜のダウンロード

2009-04-18 | おんがく
以前のポスト「クラシックの楽譜をフリーでダウンロードする。」で、パブリックドメインの譜面ダウンロードサイトをご紹介した。

International Music Score Library Project(IMSLP)
Petrucci Music Library


今度は有料で、またピアノ譜だけのようだが、ちょっと視聴したり、1ページ目の画像を見たりして、内容を確認しやすいサイトを発見。

ヤマハ ピアノレパートリーガイド

アマゾンやレコード会社のサイトでも視聴できるものがあるが、楽譜と視聴が一体化しているので、なかなか便利という気もする。

なぜこんなに楽譜を漁り回っているのかというと……バッハである。実はクラシックでもバロックというのは──現代音楽に並んで!?──えらく人気のないジャンルらしく、ビバルディの四季と、パッヘルベルのカノンと、バッハはレパートリーがすごいので、まあそのうちのどれか、といういわゆるバロック名曲集どまりで、市場的には満腹してしまうようである。

が、昨年もシューベルトの衝撃的なポスターで湧かせてくれた有楽町・東京国際フォーラムの「ラ・フォル・ジュルネ」の今年のテーマが──なんとバッハなのであります」

東京国際フォーラムホームページ
LA FOLLE JOURNEE au JAPON「バッハとヨーロッパ」
Bach is Back!
バッハが時空を超えて帰ってくる!


バロックといえば第一人者の皆川達夫氏の授業で──誠に大昔でありますが──翻訳ものの推理小説などで、Bachを「バック」と訳している例があって、音楽的な常識がないとことほどさようになる、という話を覚えている。……Bach is Back というのはまあ、そういう冗談なのでありましょう。

キッズ向けプログラムのお申込も4/20まで延長とか。特にズーラシアン・ブラスでも、小曽根真さんのNo Name Horseでもご活躍の、トロンボートと言えばこの方、中川英二郎氏の「得意な楽器でジャズ・セッション! バッハをジャズにアレンジ」というすごいプログラムも。

好きな音楽で、自分の"うつわ"を評価する。

2009-03-29 | おんがく
うむ、新しい視点、である。

突然どうしたのかというと、自分がどんな曲が好きかということは、案外その人のひととなりを現わしているし、その曲とその人となりにでかい差があるときは、かなり誇大妄想的というかですね、自己評価とのズレを実感できたりもするだろう、ということに、今更ながら気づいたのである。

マーラーの交響曲、とかさ。
カラヤンがふってるモーツァルトの40番とかさ。
U2でもいいです、ひっきー(宇多田ヒカルさんのことですが)とかね。
シンプルにビートルズとか。
ま、いろいろあると思います。

で、クラシックイタチの場合ということなんですが、
というのも、先日、ヤマハ渋谷店で、目に付いた楽譜を購入したのであります。

ウィーン原典版(46) ブラームス ピアノのためのワルツ作品39
音楽之友社
このアイテムの詳細を見る

こう書くと、ピアノを弾かれる方はともかく、そうでない方には、どうという情報にもならないと思いますが、これ

(作曲者による平易楽譜)

という注のついた譜面なんですね。またウィーン原典版というのはそういうオリジナルな底本に基づくということで、そのこと自体はシロートのクラシックイタチ(私のことです)には何の関係もないのだが、音友のこの赤い表紙のシリーズはいろいろ食指の動く楽譜があって、家ではよく見るものとなっているのである。

でもって、私が好きなのはこういう曲なんだよなあ、とか、しみじみ思ってしまいまして。(春ってさ、ほんと憂鬱ですよね)

自分がまだコドモで「ピアノを習っているコドモ」であった時から、ショパンに憧れたことはないし、サティだと万が一には「友だちになれるかも」しれないが、聞くぶんにはテレマンがいちばん身近だったりして。

って、どういう"うつわ"かい、と考える。

というわけで、私には私の「お茶の間をすてきにするやさしいワルツ」曲集を書くことをライフワークにしたいと思います。(なんのこっちゃ!?)

小学生、タワーレコードで、CDを物色する。

2009-03-16 | おんがく
タワーレコードでのひとこま

なんとなく、前回のつづき。

昔から相も変わらず大人はコドモに「将来何になりたい?」と訊くけれども、今と昔ではおおいに変わったことも、少なからずある。特に私が感じるのは、小学生が得ることのできる情報量だ。

こないだのサタデードラムレッスンの帰りに、ヒビキが大好きなタワーレコードのミニ店舗へ寄るというので、親たちは店頭の椎名林檎10周年コンサート、斎藤ネコ氏指揮というDVDを立ち見していたのだが、いつまでたっても出てこないので見に行くと、買いたいCDがあるという。

それはなんでも小学校でやっている曲で(卒業式とかで歌ったりするものかもしれない)、いい曲だからほしい。そのシングルが新譜の棚にあるのを最初に見つけたが、しばらくするとベストアルバムでその曲が入っているやつというのをどこからか探してきて、これがほしい、とおっしゃるのである。

うわー、こういったことはまったく大人に頼むか、自分でやったりしたのは中学や高校へ行ってからだよなあ、と親たちは思いつつ、
「そういうのはさあ」と、つかえながら「自分のお小遣いで買うものじゃない?」

確かにこれが中高生ならば成り立つ話だが、小学生だとうまく適用できない。しかし、大人というのはワガママだから、自分がいいと思わないものにはおサイフのひもが固いのであります。

というわけで、なんとか収めて帰ってきたのだが、いやはや、楽器屋やレコード屋はすいすい渡るヒビキなのでありました。

リズムか、メロディか、それが問題で。

2009-03-09 | おんがく
春の花々、夜

一昨日のつづき

前々回、ポップスみたいなクラシックを聴いて、どうもしっくりこないのはなぜだろう? たとえばバイオリンをソフトに、というかポップスっぽくアレンジしたもの聴い場合──ということで、なぜクラシックイタチが「ヘン」と思うのかを、書き始めたところなのであった。

なぜって、そういうのにはだいたい、ドラムまたは打ち込みのリズムが入っているのである。まずこれが、どうも余計な感じがする。

なんでだろうねえ、とウチで話していたのだが──こういうギモンを呈し始めるのはだいたいクラシックイタチであって、ヒビキくんはそういうことは言わない。ヒビキはYoutubeで桑田さんの「Change the World」を聴いていておしまいのほうで、「あれ、今コードひとつ違った」などとおっしゃるのである──で、話は戻るのだが、要するにアンサンブルをやっている場合、演奏者はお互いの演奏を聴いて、自分の楽器を演奏しているわけである。

その時、自分の演奏には、他人の演奏のリズムが入っているし、リズムの人は、メロディに内在するリズムを音にしているのであって、演奏者はみんな音楽的な成分を共有しているはずなのだ。

ところがこういうクラシックのソリストを迎えて、というソフトクラシックは、ちょうどカラオケみたいにバッキングのトラックだけできていて、そこにふんわりと天使が舞い降りるようにバイオリンが流れるのである。(逆という場合もあるかもしれない)どういうレコーディングであってもよいのだが、バイオリンの歌いのなかに、バックに流れているリズムが「ない」。これがどうも別々のものみたいでヘンなのだ。

ジャズうさぎは、「歌を拡張したもののなかにリズムがあるはず」というのだが、どうだろう。

クラシックイタチはもっと極端に、リズムが根源的にあって、そこからメロディーが生まれてくるようなイメージがあるんだけどな。

とジャズうさぎは「メロディだけのものもあるでしょ、労働歌みたいに」と反証してくる。

そうなるとどっちでもいいような気がしてくる。メロディのこともあるし、リズムのこともある、というふうに。でもいずれにしてもそのふたつがある時は、それらが関係ねーになってるとヘンだ。そういう話になった。そういう音楽は、要するに、なんか白々しくて、ご都合主義的に聴こえるのである。