出かけようと表へ出ると、おばあさんが桜を見上げていて、
「見とれちゃって」
と言う。
日本語は状況依存型のエコな言語だ、とはよく言われるところだが、特にこのようにご高齢の、なにげないひと言というのは、受け取る方で考えてしまう。道ばたでそう言ったおばあさんは、マンションの敷地から出てきた私にそう言ったというシチュエーションであって、「見せてもらっている」という意味合いだったのかもしれない。いや、そういうつもりは全然なくて、孫だの親戚だのあるいはペットといった身近な生き物のように感じて、桜を嘆じたのかもしれない。
「そうですねえ」
と応えて分かれたが、その時私の頭の中でささやかれたのが、冒頭の一文であった。
「見とれてください、たくさんの人に見られても 桜は平気ですから。」
と、私は思ったのだった。