
最近になって少しわかってきたのだけれど、
写真というのは二次元の平面だから、どうしてもアタマがフラットに、
しかも当節、デジカメのせいで被写界深度をいじらないため、
ついでに単純化されたまま、シャッターを押してしまうことが多い。
ところが、だ。
実は、私たちの視覚は「二次元」なのだそうである。
御参考↓
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錯覚美術館へようこそ。
明治大学 杉原厚吉特任教授
これは、いわば人類全体がこのように二次元情報(に何かを補って)
三次元へと転換するという話であって、
写真家ひとりひとりが撮影の現場で何をしているか、
とは違う話である。
違うどころか、写真家でさえも、人類である以上、
そういう「見方」からは逃れられない、
──そう、この記事にある「錯覚」作品を実際に見ると、
本当にどう見ても、どう理屈ではわかっていても、そうとしか見えません。──
のであって、
逆に言えば、そのような能力を人間はみんな持っているのだ。
ま、その能力は「錯覚する能力」でもあるんだけどね。
ところがカメラは、私たちひとりひとりのアタマのようには、
写真を撮らない。
カメラというツールが、どのように二次元を三次元にコードし、
私たちが二次元の写真を見て、どのように三次元へとデコードするのか、
そこには当然ずれが生じもしよう。
というわけでより実践的には、
カメラという装置が結ぶ像の性質を把握する、
というのが撮影者の心得ということになるんじゃないか。
すっごく回りくどいだけという気もしますが。(笑)

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