研究室のようなところで私は臨床検査技師兼研究助手として一人で働いていた。そこには一人のDr.がいて、その指示で動いていた。
部屋には細胞培養のためのふ卵器、冷蔵庫、細胞保存用の液体窒素、蛍光顕微鏡などが所狭しと置かれていた。
Dr.の下では秘書的なこともしていた。文献探しに図書室に行ったり、血液学の本の注文、整理をしたり、電話の応対もそうだった。
電話は恐怖だった。相手が簡単なことを伝えたい場合はいいが、一つでなく二つ、三つのことを言われると、頭がついて行かなくてせいぜい一つのことを覚えるので精一杯だった。今になって思うとそれでよく事無きを得たなぁと思う。
この地方は海岸線に近く、ATL(成人T細胞白血病)が多かったため、京大に検体を送ったり、京大の先生方が来られたりしていた。ATLは有名な高月先生が一つの疾患と提唱し、先生も来られたことがあった。
仕事はマイペースで出来たので、京大と同レベルの検査が出来た。特に染色体は分からない場合は京大に送り添削してもらい、染色体専門の先生(講師)に褒められたりして嬉しかった。
しかし、検査技師長から〇〇さんは黙っているから何考えているか分からないと皆が言ってたよ、と嫌味を言われたり、隣の化学検査室の次長から私が一人で一部屋を与えられているから妬まれたりと嫌な思いをした。喋れないから弁明することが出来なかった。
でも、これらは小さな世界ならどこででも起こりうる事で、今となってはどうでもいいことだと思っている。