母と私の共通の趣味は旅行だった。
しかし、母は時刻表が読めないから私が計画を立て、宿をとっていた。計画を立てるのは得意だった。母とは行きたい所が同じなので私は自由に計画を立てた。
最初は四国の西半分、東尋坊と能登半島、松江と足立美術館、黒部峡谷、南紀、北海道、上高地、軽井沢など東北以外は結構行ったような気がする。
旅行に行くのはいいが、私は最初のうちは元気だが、日にちが経つにつれて段々疲れてきて記憶が曖昧になっていた。しかし母は鮮明に覚えていた。
実は大学受験に失敗したことから、母には悲しい思いをさせてしまったとの想いを私はずっと引きずっていた。そのことで後に泣きだしたら涙が止まらないという現象が現れたが。
だから、働き出してお給料をもらうようになってから、青春時代の無かった母のために忘年会と称して食事会をし、休暇が取れれば旅行に行った。ずっと罪滅ぼしをしていたのだ。
でも結果的には、母とそういう時間を持てたことは今になって幸せだと思っている。
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